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小説「チェリーブロッサム」第3話

…いうわけではなかった。何もトラブルは起きないのである。カメラは旅で大活躍をする。【前回まで】

 中学生の頃、僕はとても孤独に日々を過ごしていた。友達がいないも同然の僕は、その頃毎日何をして過ごしていたのか、思い起こすとずっと読書をしていたような気がする。生意気にも中学生の頃の僕は、生きてる作家の本なんておかしくて読めないぜ。死んだ者が残した言葉こそが文学だ。などと鼻息を荒く吐き出し、太宰だとか、三島だとか、芥川なんかを読み漁っていた。しかし1人だけ現存作家の本を読んでいた。
 大型古本屋に行けば100円の値札が付いた名作がいくらでも手に入った。いつもは一冊読んだら一冊買うというサイクルだったが、一度だけ奮発をして10冊ほどまとめて買ったことがあった。家に持ち帰るとその中になぜか村上春樹という作家の小説が紛れていて、「?」となった。その小説は本棚の隅で長い時間佇むことになった。読むものもなくなった時にしかたなく読んでみると、その世界観はとても興味深く、一気に僕の心を引き込んだ。読むほどにその世界を近くに感じ、いつしか親しげに「ハルキ」と呼んでいた。少しだけさらにその世界に近づけた気がした。
 だからといって、誰かと文学に付いて話をするなんてことは一切なくて、その小説の世界に自分を置くことによる感覚を楽しんでいた。今になって振り返ってみると、僕はもうその頃から人と関わることを恐れ、孤独を好んでいたのかもしれない。
 ハルキの小説に出てくる青年も、たいていは孤独だった。相部屋の同居人を煙たがったり、離れで一人孤独に暮らしてみたり、「やれやれ」と言っては、バーでプール一杯分のビールを飲んだ。そして体だけの関係のガールフレンドと、港の海が見えるクーラーの効かない部屋で、汗まみれに交わったりしていた。
 中学生の僕には酒だとか交わるだとか、ほとんど意味なんて分からなかったが、その小説の世界の中にいる自分を想像すると光や温度までも感じとれた。その世界から自分が肯定されているかのようだった。元々自分の中に孤独なんかなかったかのように。
 僕は大人になってからもことある毎に、誰かの決め付けや否定に傷付き、しくしくと落ち込んではその世界へとページを開いていた。ある時は、その小説の世界のように、唯一のガールフレンド……、いや僕の世界では、過去に一度飲み会で電話番号を交わした程度の友達ともいえないような女性に、思い切って電話をかけてみたが「なに?」と冷たく煙たがられた。焦った僕は、「あ、やかんが沸いて吹き出しちゃった」と、破いて捨てたくなるような嘘を言って電話を切ると、落ち込んだ。せめて「パスタがのびすぎちゃうから」くらい言えば良かったと少しだけ後悔をした。隣の母の部屋からコードを無理矢理引っぱって、ギリギリベッドの上に置いた黒い電話機の上に、悲しみを纏った受話器を下ろす。
「うまくいかないものさ」
 と、あぐらをかいて腕を組んだまま目をつぶり、俯きかげんにそう言うと、またページを開いた。まだ携帯電話も持っていない頃の話だった。
 僕はあまりにも人との関係に悩み、もう人生いいや、と真剣にあきらめかけた時もあった。しかしハルキの登場人物の孤独は、そのあきらめを埋め合わせてくれるような存在だった。僕の命を助けてもらったと言っても大げさではない。そんな青年期を僕は過ごしていた。
                            
 僕の心は渦巻いていた。20歳も過ぎたというのに、人とうまく接することができなかった。まともな友人すらいない僕は、会社では浮き、知り合いの中でも浮き、親戚ですら僕が浮く対照だった。どんな時も果てしなく浮かび上がっていた。あまりにも浮いてしまう自分を見て、「ここまで浮くんだったらアメリカまでだって帆も張らずに航海できるかもな、ははは」などとごろごろ転がるベッドで乾いた笑いを吐出していた。つまり僕は世間からは「変わり者」と見られていた。
 僕の家の中を見渡しても家族はいつもバラバラで、友人も数える必要がないくらい少なかった。大人になればなるほど人とうまく関われなくなっていく。人に嫌われる恐怖、人に拒否をされる恐怖、人に見捨てられる恐怖、人に価値観を押し付けられる恐怖。そんな恐怖はいくらでも挙げられた。僕は人と関わることがますます怖くなっていく。
 そんな僕は、ある日突然せっかくできた友人との関係を自ら断ち、何も言わずに消え去ったり、家族とも同じ屋根で暮らしながらも、それぞれが関係を断ち、ばらばらになっていった。そして父に至っては、父自ら僕らとの関係を絶ち、「二度と会わない人」となって消えていった。
 僕は寂しくとも、独りで過ごす時間を何より大事にした。けれど、僕は誰かに心から愛されたかった。ただただ愛されたかった。しかしそれは漠然とした想いで僕には理解できていなかったが、僕の胸の奥の中の、さらにまた奥にある、自分では感じ取れないほどの心の奥底には、しっかりと包まれて仕舞い込まれた箱があり、その中にはこんなメモが入っていた。
「誰かに心から愛されたい」と。
 僕の心は渦巻いていた。20歳も過ぎたというのに、人とうまく接することができなかった。まともな友人すらいない僕は、会社では浮き、知り合いの中でも浮き、親戚ですら僕が浮く対照だった。どんな時も果てしなく浮かび上がっていた。あまりにも浮いてしまう自分を見て、「ここまで浮くんだったらアメリカまでだって帆も張らずに航海できるかもな、ははは」などとごろごろ転がるベッドで乾いた笑いを吐出していた。つまり僕は世間からは「変わり者」と見られていた。
 僕の家の中を見渡しても家族はいつもバラバラで、友人も数える必要がないくらい少なかった。大人になればなるほど人とうまく関われなくなっていく。人に嫌われる恐怖、人に拒否をされる恐怖、人に見捨てられる恐怖、人に価値観を押し付けられる恐怖。そんな恐怖はいくらでも挙げられた。僕は人と関わることがますます怖くなっていく。
 そんな僕は、ある日突然せっかくできた友人との関係を自ら断ち、何も言わずに消え去ったり、家族とも同じ屋根で暮らしながらも、それぞれが関係を断ち、ばらばらになっていった。そして父に至っては、父自ら僕らとの関係を絶ち、「二度と会わない人」となって消えていった。
 僕は寂しくとも、独りで過ごす時間を何より大事にした。けれど、僕は誰かに心から愛されたかった。ただただ愛されたかった。しかしそれは漠然とした想いで僕には理解できていなかったが、僕の胸の奥の中の、さらにまた奥にある、自分では感じ取れないほどの心の奥底には、しっかりと包まれて仕舞い込まれた箱があり、その中にはこんなメモが入っていた。
「誰かに心から愛されたい」と。

つづく

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宍戸竜二
イラストレーターと塗装店勤務と二足のわらじ+気ままな執筆をしております。サポート頂けたものは全て大事に制作へと注ぎます!