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鉄骨をガバリガバリと剥ぐ炎暑

隣接するビルの解体工事がはじまって、三か月が過ぎた。
私の部屋のカーテンを開けると丁度、組み上げられた足場を歩く作業員と同じ目の高さになる。だから私は仕方なくカーテンを閉ざして、昼間も照明を点けて生活している。

鉄筋コンクリートのビルを解体するのだから当然、一日中、ものすごい騒音である。防音パネルを立てていても、耳障りな轟音は容赦ない。ガガガ、バリバリバリ、ゴゴゴ、ギュインギュイン、ガバリガバリ、キーンと、うるさいこと、この上ない。

カーテンは開けられないし、粉塵が舞い込むから窓を開けて空気を入れ替えることもできない。
恨めしい思いで私は毎日、カーテンの隙間から工事の進捗状況を覗いた。

8時30分、作業開始
10時30分から15分間、休憩
12時から13時、昼休憩
15時から15分間、休憩
18時、作業終了

毎日きっちりと時間通りに作業は進められ、束の間、静寂が訪れる。すると待ちかねたように今度は、蝉の声がけたたましく響くのだ。


重機を操縦する人、高圧ホースで絶えず放水する人、全体の指揮を執る人。
逃げ場のない陽射しの中で、それぞれの作業員が無駄なく動いていた。
ファンの付いたジャケットを着ていても、彼らはきっと恐ろしく暑いだろう。

なるほど、こうやってあの太い鉄骨を折るんだ。
その後は、器用につまんで片側に寄せるんだな。
こんなふうにして、コンクリートを崩すのか。
クレーンで軽々と、重機を下の階に降ろすの、すげぇ。

観察日記がつけられるほど、私が熱心に覗き見ている間にも、轟音とともにこつこつと同じ作業が繰り返され、ビルの解体工事は進んでいく。

たまたま解体現場に隣り合わせた身としては、騒音は不快だし、迷惑だなぁという気持ちが消えたわけではない。
けれども毎日、覗き見るうちに少しずつ、現場作業員の方たちに親近感がわいてきた。

「……こんな雨でも作業するんだな」
「まあまあ降ってきたけど、大丈夫かな」
「今日も一段と暑くて、キツイだろうな……」
「どうか作業員の方たちが、熱中症になりませんように」

解体工事の進むさまをつぶさに(自分自身はエアコンの効いた涼しい部屋に居ながら!)見学できるのは、私にとってもはじめての経験だった。


束の間の平安が訪れた昼食時、テレビのニュースで、各国紛争地での爆撃の惨状が映し出される。
日常の中でうっかり忘れそうになるけれど、今この瞬間にも地球上のいたる所でミサイルが飛び交い、着弾し、人の命や街が破壊され続けているのだ。

また毎年、八月を迎えると報道特番が組まれて、79年前の、廃墟となった映像が繰り返し放映される。
もちろん生まれる前の出来事だけど、幼い頃から何度も見続けてきたそれらの光景は心の深いところに刻まれて、見るたびに、自分自身がその只中にいたかのような気分に襲われる。

1995年、2011年、2024年の大規模な震災の、瓦礫の映像もまたそうだ。どの時も私はその地に居なかったはずなのに、やはり見るたび、そこに佇んでいるかのような恐怖と寂寥感とを、まざまざと感じてしまうのだ。

戦争、紛争、災害、そして新生のための解体。それぞれ理由も、事情も、背景も異なる。
それなのに、鉄骨とコンクリートの残骸は、等しく見る者の心をざわつかせ、不釣り合いな感傷を引き寄せる。

それは、真夏の炎暑のせいかもしれない。
あるいは私が、もはや淘汰される側の老境に入ったからなのかもしれない。


秋の終りに解体工事が完了すれば、今度は高層マンションの新築工事がはじまるらしい。工期は2026年まで続くそうだ。

こうして街が、生まれ変わっていく。

まるで親から子へ、その孫へと、世代が移り変わっていくように。



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