鳥渡る見たことのない道の果
「旬杯」のグランドフィナーレをもって、「みんなの俳句大会」が惜しまれつつ「とうけつ」した。夏の終わりのことだった。
多くの人が、みん俳ロスの空虚な心を持て余していた頃、riraさんからお知らせが届いた。
現在、OSアップデート中のかっちーさんに代わり、「勝手に俺杯~俺の俳句大会🪐」が開催されると言う。
かねてより、かっちーさんに「勝手に俺杯」観覧を希望していた私は、突如、投票権を得て、嬉しくて舞い上がった。
数あるかっちーさんの名句の中で、私には、どうしても忘れられない一句があったのだ。
それが、
渡り鳥イデオロギーを越える頃
激戦を経て、「勝手に俺杯」大賞にも選ばれた一句である。
今から二年前の、2021年秋。
「ハクハイ、ハイハイ🎵」という楽しそうなテーマソングに導かれ、noteの片隅にいた私は、物陰からこっそり、その様子を覗いてみた。
「白杯」は、誰でも参加できる「俳句大会」らしい。身内やお友達やグループの一員でなくても構わない。俳句の素人も大歓迎、とある。
noteをはじめたばかりで、ガチガチに人見知りしていた私が、「投句してみようかな⋯⋯」と思いついたのは、今にして思えば本当にグッジョブ👍であった。自分を褒めてやりたい。
当時の私は、その前身の「アポロ杯」のことも知らず、「みんなの俳句大会」へとつながっていった経緯も知らず、運営やクルーの方々のほとんどを知らなかった。もちろん、かっちーさんがどういうポジションの人なのかもわかっていなかった。
渡り鳥イデオロギーを越える頃
一読して、あっ!と、思わず声が出た。
まったくの俳句素人の私にだって、凄い句だということがわかる。
秋の季語である「渡り鳥」の、物悲しくも力強いイメージ。
鳥たちは、自身の翼と本能だけで何千キロもの空を渡っていく。
人間が勝手に引いた国境線など関係なく、ましてや、イデオロギーの違いなど知ったことではない。
右だの左だの、主義だの体制だの、人間の偏狭さや愚かさを悠々と超えて、ただ着実に風を読み、時を得て、群れをなして飛んでいくのだ。
時代は、パンデミックのさなかだった。
行動を制限され、大人も子供も皆、閉塞感を感じて息苦しく喘いでいた。
鳥たちの旅だって、実情はきっと、とても厳しい。脱落したり、次の場所へ辿りつけない仲間だって大勢いるかもしれない。
それでも、この句の大らかさはどうだろう。
雄大で、力強く、どこまでも自由だ。
あぁ、これが俳句なのだ。
私は、この時はじめて、俳句という文芸に打ちのめされたような気がした。
大きな時代の流れの中では、個人はあまりにも無力で、どんなに叫んでも声は届かず、ましてや世の中を変えることなどできない。
だから頑張れば頑張るほど、その現実に嫌気がさして、もうどうにでもなれ、と自棄を起こしてしまいそうになる。
長いものに巻かれ、誰かの言うままに従って思考停止していれば、それなりに時は過ぎ、小さな安定を得られるのだからーー。
そんなふうに挫けそうになるたびに私は、「渡り鳥イデオロギーを越える頃」の一句を思い出した。
その大きな世界観に憧れ、計り知れない勇気を貰った。
「ペンは剣よりも強い」のかどうかはわからないけれど、幸いにも今私は、自由に発言、発表しても、拘束されたり断罪されたりしない時代を生きている。
「人間が人間を殺してはいけない!」と、強く思うなら、そう叫んだっていいんだ。
「私は尊重されて生きる権利がある!」と信じるままに書いたっていいんだ。
こうして私は、書くことにおいての自分の覚悟が定まった。
当のかっちーさんには、そんな意図はまるでなかったかもしれない。
「そんなん、俺、知らんがな⋯⋯」と当惑されるかもしれない。
勝手に盛り上がっちゃって、すみません💦
バージョンアップして帰ってこられた暁には、どうかまた、スケールの大きな俳句を詠んでください。
心より、お待ちしています。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。もしも気に入っていただけたなら、お気軽に「スキ」してくださると嬉しいです。ものすごく元気が出ます。