手に入らない時ほど欲しくなるもの
あいつがたべたい。あの白いコーティングがされた小指くらいの大きさの、かりんんとうみたいなあいつ。
奉天かりんとうというらしい。ググって初めて知りました。
昔は、おばあちゃんにおやつをねだりこれが出てくると「え〜〜〜これ〜〜〜!?!?」と文句を言いまくった。「こんなんじゃなくて、コアラのマーチとか、ポテチとかが食べたいのにぃいい!!」
でもほかにめぼしい物もないので仕方なく食べると、案外くせになる味で、いくつも食べてしまう。おばあちゃんの家で出てくる渋すぎるおやつという立ち位置だったあいつ。
でも今、あいつが無性に食べたい。どうしても食べたい。でも手に入らない。
海外だと、探せばかりんとうくらいはあるが、あの白いあいつは見かけた事がない。あったとしても、今はどこも店が閉まっているから買えない。
なんで突然あんなものが食べたくなるんだろう??日本に帰って買い物する時、大量に買い込むお菓子リストに一度たりとも食い込んだ事がなかったあいつなのに。
そしてどうしても食べたくなったものその2がいももちである。何を隠そう私は生粋の道産子である。昔はおばあちゃんがじゃがいもをふかして潰して片栗粉と混ぜてこさえてくれた。いつものおやつ。北海道の居酒屋で出てくるような砂糖醤油のタレが一般的なようだが、うちではそれを棒状にまとめて冷凍し、食べたい分だけ輪切りにしてバターで焼いて醤油をかけて食べる。
どうしても食べたくなって早速作った。ばあちゃんの味には及ばないが、まあまあだ。バターと醤油の懐かしい味と香りにすっかり癒された。
どうしてこういう時、懐かしいものが食べたくなるのだろうか。
風邪をひくと母親が恋しくなるのと同じで、先の見えない不安の中で引きこもっていると、幼い頃食べたものが恋しくなるのかもしれない。
子供の頃食べたものの力は不思議なほど強い。父も、たいして美味くもないだろう真っ赤な昭和のソーセージを時々食べたがる。子供時代よく食べたそうだ。記憶という調味料が味を底上げしてくれるのかもしれない。
もう一つ食べたいのは、ようかんパンだ。
これは北海道とそのほか一部地方のみで一般的らしい、ようかんが薄くかかったパンにクリームが挟まっている独特なパンだ。北海道に帰るとどうしてもたまに食べたくなる。なぜか時々父が「ほれ」と買ってきてくれた懐かしの味。
九州の甘口のたまり醤油を普段使いする妻と、一般的な醤油を使い慣れた夫の理解し合えない文化の違いバトルのように、うちでは両親の赤飯の豆の違いが厄介だ。
これもおそらく北海道だけなのだろうが、北海道では小豆をつかった赤飯だけでなく、甘納豆をつかった赤飯も一般的だ。甘い豆が入ってるなんて受け入れられないという人も多いだろう。各家庭で好みが分かれるようだが、父は甘納豆の赤飯派で、母は小豆の普通の赤飯派。わたしはどちらも好きだが、どちらかというと普通の赤飯が好きである。母は父に気を使い安納豆の赤飯ばかりつくるが、こっそり普通のお赤飯もたべたいね、と囁きあったりする。
早くコロナの心配をせずに里帰りしたいなー。いつになるかわからないから、とりあえず今日は赤飯でも炊いてみようかな。