死というものは



死というものは
とにかく急に来るもので


私のおばあちゃんも
叔母さんも
実家の猫もそうだった。



年末だし
ついこの間会いに行った猫も
多分そろそろ会えなくなるだろうから

実家に帰らないといけないな〜と

それでも呑気に整体の予約をしており。


あまり連絡を返していない母から
お風呂に入っている最中にテレビ電話がかかってきたときに

ああ、多分もう終わるんだなと
思ってしまった。



ぶっきらぼうに電話を切って
整体のLINEに明日の予約のキャンセルを入れ

ああ〜〜!と
母に対しての苛つきなのか
すぐに会いに行かなかった自分への後悔なのか
よくわからない声を上げて
湯船から出た。


シャンプーをしながらあの白い猫を思い浮かべ
細くてがりがりになった
骨の目立つ身体をなぞるように
感謝の気持ちを並べた。


心臓がどくどくした。


やはり
死というものは

少しだけ怖いのかもしれない。




お風呂から出ると
猫が息を引き取ったとの連絡があった。



間に合ったほうが良かったのだろうか。




来た場所に戻っただけだから。


いつもそう思うのは
死んだ人が目の前にいなかったからだろうか。



白くてやらわかい
私が泣いているといつも側に来てくれた
あの優しい猫を思い

「飼っている動物 死んだら」

で検索した。



年末だからドライアイスの郵送はできないらしく
近所の氷屋に取りに行くしかないかなと考えながら髪を乾かす。


半分ほど荷造りしていたトランクに着替えを詰め

ご飯2合炊いちゃったなとか
半分以上残っている5号のケーキどうしようかなとか
飼っている猫が死んだことに比べたら、多分きっとどうでも良いことが気になる。



炊飯器のお米はそのままだし
ケーキも冷蔵庫に入れっぱなしで
タクシーを手配する。



電車に乗ると思ったより人が居て
この中にもきっと私と同じように
誰かの死に立ち会いに行く人がいるんだろうなと思った。



電車でも調べながら
母親とやり取りをして
明日お葬式の手配をすることになりそうだと報告を受けたときに
黒い服を持ってないことに気付く。



整髪料も忘れたし
靴もニューバランスだ。



あの子はきっと
そんなこと気にしないし
私もかわいい服や体で送りたい。



白くて勇ましくて
優しいあの子。



兄弟のいなかった
兄弟を欲しがった私にとって
美しい姉であり、
泣いていたら側に居てくれる
抱きしめるには小さいけれど
抱きしめてもらうには十分すぎる愛をくれたあの子。



そうか、死んだのか。



20年も生きた
猫にしては長生きすぎるあの子。


よぼよぼでも
私が話しかけたら鳴いて答え
私が帰りたくないようにしたあの子。



いくら抱きしめてもきっと足りない。



私は全然良い飼い主ではなかったし
良い家族でもなかった。



本当にだめな飼い主だった。



あの子が
どうか安らかで健やかで在りましたでしょうか。



私が優しくできない私の母に
一番やさしくしてくれたあの子。



もらうばかりで何もできなかったけれど
あの子の未来は安らかで健やかであってほしい。



どうか健やかであってほしい。




私の大切なあの子。




たくさんの時間と

たくさんの愛をありがとう。




色々ごめん。
何もできなくてごめんね。




母に優しくしてくれてありがとう。




私が泣いているとき
母が泣いているとき

優しくしてくれてありがとう。 





それだけで
十分すぎるほどの愛。







真っ白なあの子へ。






2022/12/28

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