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INTERVIEW: Kota Hayakawa(part,2)

インタビュー企画(ゲスト:早川幸汰【Part,1】)は、いかがでしたでしょうか?
ここからさらに熱く濃厚な内容になりますので、ぜひご覧ください!!


置き土産

みやぎ&まさき
(まさき)ちなみにその置き土産とか考え始めたのって、具体的にいつぐらいだったんですか?

幸汰さん
置き土産は、それはずっと前から思っとって。俺、高校卒業したあと下関で4年間消防士やとって、当然下関のためにと思って働きよったけど、なんか意外と直結で人のためになってることって消防士少なくて、例えば火事って日常的なものじゃないやん。救急は日々あるけど、救急で人のためになるかって言われると、その現状維持しながら病院に運ぶってことで、あんまりそのときに「何か人のためになったな」っていうのも少ないよね。業務の中でいうと、9割は文書の処理。もう本当に公務員みたいな仕事ばっかりで、これを俺やらんでもいいなと。これ俺1人抜けても、別に回るなっていうのがあったし、するなら、人生かけて何かもうちょっと人のためになることをしたいなっていうのがあって、そこで始めたのがバリスタ。やり始めた理由を最初から話すと紆余曲折あるんやけど、「下関でバリスタをやりよう」っていう意味合いは下関に住んでる若い人が、コーヒーっていう文化を通して下関に住んでることが…なんだろう。生活のレベルが上がるっていうか、こういうレベルの高いコーヒー飲めるとか、こういう場所でこういうコミュニティができて、何か生活が豊かになるみたいなことをしたくて、ずっとやってたよね。

活動の目的

みやぎ&まさき
(みやぎ)若い人たちの生活が豊かに成るためのツールとしてコーヒーだったってことかなと思ったんですが、豊かな生活っていうのが、キーワードなんですかね?若い人たちが下関で豊かになるための活動手段がバリスタから政治家に変化した感じですか?

幸汰さん
そうねまぁ、、なんか俺も今政治家っていう感覚では1個もなくて。さっきのコーヒーの話とかでも、俺がたまたまオーストラリアで1年間向こうの現地の人と同じ仕事をして、同じような生活をしよった中でやっぱりいいなって思う部分もかなりあった。これを日本で感じられるとこってどこかなってなると下関にはなかったし、東京とか福岡とかにそれに近いものはあるから、そこに人が流れるんのはすごいわかって。それが下関にあったらいいなっていうのがあって、バリスタをずっとしよったよね。22歳から5年ぐらいやりよったんやけど、やっぱり下関で出会った友達とか街を出ちゃってるんだよ。でも、下関出身の人にとって下関がいずれ戻ってくる可能性のある土地だと思ったよね。親の事業を継がんにゃいけんけど、その修行のために1回出たとか。あとは普通に進学で出たとか。けど、子育てとかになったらこっち戻ってくる人もおるし。そのときに、いい街だなと思ってもらえる要因になれるようにずっとやりよって。そんな中でコロナとかあって、人口減ってるし、俺がしよったコーヒー屋も山口県とか近隣でいうとかなり力があるし、みんな一生懸命やりよったんやけど、それでもこの程度かって感じだったよね。売り上げとかね、来客数とか、そこにやっぱ限界を感じたときに、もういいかっていうので、(下関を)出ようかなっていう考えになったのと、あとはその出る前にせっかくここまでやったから、もし可能性があるなら選挙出るかっていうのが繋がってるっていう感じ。芯は同じかな。そんなに大層なことしたいと思ってないし。今も自分が思う中で、みんなにちょっとでも還元できたらっていうとこはあるかな。繋がりとしてはそんな感じ。やけ、俺は今、消防を18歳ぐらいからやり始めたときの気持ちと、あんまり心は変わってないって感じ。だけどなんか外から見たらさ(笑)、なんかちょっと悪目立ちするやん(笑)、消防やめてバリスタして政治家みたいな。俺一切そんなつもりがないっていうのが一番自分の中では大事かな。

下関市を今でも出たいか

みやぎ&まさき
(まさき)選挙を通じて政治家に成ったじゃないですか、それでもまだその外に出たいっていう気持ちはありますか?

幸汰さん
外出たいよ、すぐ出たい。

宮城&まさき
(まさき)そうなんですね(笑)。

幸汰さん
外で働きたいんよ(笑)オーストラリアで1年働いたのがすごい自分に合ってたというか。俺日本で下関以外のところに住んだことがないんよ。自分は一歩外に出たら自分のことを誰1人知らん環境で1から始まるっていうのもすごい好きなんよ。その感覚が多分みんなわかるかもしれないけど、他んとこから来ちょるけぇね。何だろう、そこでやっぱコミュニティが新しくできたりするのが自分の幅がかなり広がる感覚が俺ん中ではあるけぇ。言ってしまえば。俺は下関で政治家になる4年間って自分の人生の4年はドブに捨てとると思っとんよ。だって、自分が成長するためにはこれもすごい良い経験にはなるけど自分が求めてる成長とは違う方向の成長と思っとるし。今28なんやけど、大体どの国もワーホリで外国で仕事するのって30歳までで。もう行けなくなったよ。今も外国行きたいし、住むなら福岡とか京都とか、多分大阪とか東京とかに住みたい気持ちは今もあるし。そういう質問されたら、みんなに1回出た方がいいよって言うと思う。下関の若者とかに、それは絶対すすめる。出たときに、好きな街だなと思って戻ってくればいいと思うし。俺も出たいし、みんなも出た方がいいと思う。

みやぎ&まさき
(まさき)それこそ僕もオーストラリアのワーホリ行ってたんで、その気持ちはわかるというか、何かを感じることもすごい多かったですし。

幸汰さん
絶対、出たがいいよって俺は言う(笑)。出たい気持ちがあるなら。

PART3へ続く。

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