見出し画像

ケモノの医者の体験談 vol.10 Y動物病院の話 その①

Y動物病院はご夫婦で診療している病院でした。従業員は動物看護師1名、トリマー1名で、トリマーさんは私と同い年でトリミング歴が長くベテラン、動物看護師さんは勤続2年で前の看護師さんから業務を引き継ぎ病院のことのほとんどを任されていました。

B動物病院での看護師さんのことがあったのでやや不安がありましたが、Y動物病院のトリマーさんと看護師さんはそれぞれの仕事に誇りを持ち、常に向上心があって仕事人でした。

特に動物看護師さんは本当にエキスパートな人で、たぶん出逢った中で一番素晴らしく、あれから20年たった今でも彼女の右に出る人はいません。

新人獣医師というものは国家資格があるだけで未熟なので、その病院にいるベテラン看護師さんにバカにされやすかったりするのですが、Y動物病院の看護師さんは獣医師といる立場をくすぐったいくらいに尊重してくれる人でした。

私が飼い主さんの前で分からないことがあったり病院の方針と少しずれたりしたときは、必ず飼い主さんがいない場所で教えてくれたり、できるだけ獣医師に恥をかかせないよう気遣いをしてくれていました。

トリマーさんは最初は少し怖い人かと思いましたが、こちらから歩み寄ればしっかり答えてくれる人で、気づけばお昼を一緒に食べに行ったり仕事が終わってから飲みに行ったりする仲になっていました。

彼女がトリミングするワンちゃんの仕上がりを見るのがとても好きで、ビフォアーアフターでこんなに変わるもんなんだ!と毎回感動していたものです。

そしてY院長。洗濯物の干し方、錠剤のPTPシートの切り方などが細かく指示されたり、せっかちで厳しい一面もありましたが裏表はない人でした。

褒める時は恥ずかしくなるくらい褒めてくれます。従業員への感謝の気持ちもストレートに口に出します。

怒るときは怒ります。最初に怒られたのは自分の知識がなく質問をしたとき。「自分でまず調べてから聞けよ!」と言われ、ごもっともなことなので人にものをたずねる前にはきちんと調べるという癖がつきました。

治療方針についてさっきAと言われたからその通りにしたのに、あとからBになってしまうという理不尽なこともありました。自分で判断しろよ!という日もあれば、やる前に聞けよ!と言われることもあり、どっちなんだよ!と突っ込みたくなることも多々ありました。

私の前の代診お二人が、それぞれ精神を病んで辞めてしまったことの原因を所々に感じましたが、例えば確認不足とか自分にも非があるなと思うこともあり、私はそれほど圧を感じませんでした。

何より基本的な診療スタイルや考え方、飼い主さんへの説明の仕方などはとても尊敬する部分が多くて、とてもカリスマ性がありコアなファン(飼い主さん)がたくさんいました。

代診は最初に勤めた病院の色にもっとも濃く染まると言いますが、私も類に漏れず今の自分に染みついているのはY院長から学んだことばかりです。

離婚の危機か?

さて、働き始めて初日、2日目…とトラブルなく過ごしていましたが、数日したころにびっくりした出来事が。

Y院長夫婦はお子さんが3人いて、上は小学校6年生でしたが一番下の子がまだ乳飲み子だったため、奥さんは曜日と診療科を決めて勤務していました。

奥さんは勤務日でもトイレで授乳したり時短で帰ったりなど、なんとな~くダラダラとやっていて、奥さんが病院に来る日は若干院長が不機嫌になっているのがわかりました。

診察も予約制で再診がある飼い主さんには必ずそれを伝えなければならず、その手間が多少院長をイラつかせているなぁという時もありました。

常勤ではないのと奥さんの診療科を理由に、手術などはY院長が担当していたのですが、奥さんが院長に打診せずに手術の予定や入院を決めてしまったりすることがあり、とうとうY院長が激怒するのでした。

その日は朝から「家庭の今日の予定」について口論をしており、予定がたてられない奥さんと、予定を決めたい院長で言い争いをしていました。

そんな中、奥さんがとある患者さんの手術の予定を勝手に決めてしまい、院長には事後承諾になりました。

恐らく手術の日はY院長の予定は何もなかったのですが、とにかく勝手に決められたことに激怒しました。そして朝の話も持ち出し、ややせっかちで矢継ぎ早に問いただす物言いをするので、院長の怒鳴り声はそれはそれは激しいものに。

といっても、奥さんはのほほんとしているので院長がガンガン問い詰めても「ハイハイ。」という感じ。

それがまた神経を逆なでするらしくて院長がヒートアップ。

勤務して初めて夫婦げんかに遭遇したため、Y院長のあまりの剣幕にビビってしまい「これは離婚の危機では?」と焦りました。

でもトリマーさんも動物看護師さんも涼しい顔で淡々と仕事をしています。

なにこれ大丈夫なの??と私がそわそわしていると看護師さんが「いつものことですよ。」と。たぶん私が来たことでちょっと気を遣っていたので、しばらく心穏やかに過ごしていたに違いないということで、もともとこの状態が平常運転。

これを気にしていたらここではやっていけないですよ、と。

今は待合室には誰もいないけど、飼い主さんがいる時にも喧嘩が勃発するときがあるんだそう。

しかも喧嘩の原因が、まさに待合室で待っている患者さんの手術や入院のことだったりすることもあり、聞こえているに違いないので毎回ヒヤヒヤしました。

数か月たつと私も慣れてきて、その時に来ていた先輩獣医師と耳にコップを当てて、壁の向こうの喧嘩の内容を聞き取ろうとふざけられるようになったほどです。

どうやら飼い主さんにも日常茶飯事というか、古株さんにとっては「またやってるわねぇ…」と大目に見てくれる方が多かったようです。

でも初診の方はびっくりするでしょうし、夫婦がギスギスしたところを見せてしまうのは、やっぱりあまりよくないかなぁと思いますよね…。

獣医師のような職業は、よほど同じ志で同じポリシーをもっていないと、診療方針で食い違って意見がぶつかることもあるので、他人ならともかく夫婦で一緒に働くというのは難しいかもしれません。

得意分野が違えば診療科をわけたり、完全に方針が合わないなら担当医制にして診察日を分けたりすることでトラブル回避できますが、同じ時間に同じ空間で診察するならきちんとお互いのことを尊重しあい、尊敬しあっている夫婦でないと、なかなかうまくいかないようです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?