ケモノの医者の体験談 vol.7 B動物病院の話 その②
さて、なんとか病院にも慣れ、看護師さんの扱いも勝手がわかってきて、来院する飼い主さんの診察現場を少しずつ見られるようになってきました。
ワクチン接種や皮下点滴、モグサを使ったお灸や鍼灸、手術も時々ありました。
ある日、ペットホテルの猫がお泊りしていました。私は常勤ではなかったこともあり、入院やペットホテルなど院内で動物を預かる状況を経験したのは初めてでした。
私がその猫に朝ごはんをあげることになり指定の缶詰を渡されました。
与える量は半分という指示を受けたので、スプーンですくって半分「くらい」お皿に入れ、残った分は冷蔵庫にしまいました。
すると院長がやってきて「どれくらい食べた?」と聞かれました。
猫は完食していたので「半分くらい食べました」と答えると、
「半分くらいってなに? 2分の1なの?8分の5なの?それとも8分の3?」と矢継ぎ早に言いながら、
冷蔵庫からさっきの缶詰を出してきて残りを私に見せました。
「これじゃどれくらい食べたかわからないよね?」と。
確かにスプーンで適当にすくった「半分くらい」は厳密には半分ではありませんでした。
与える前にスプーンでまず新品の缶詰に2等分~8等分の線を入れること、そしてその線を垂直に切り取って正確に量を把握するように言われました。
それまで自分の家の猫だったり野良猫だったり、猫に缶詰を与えるときは「適当」でした。
スプーンでぽいぽいとお皿に入れて、残った具はスプーンできれいに寄せておくとか、あるいはタッパーにうつすとか。
残りを寄せ集めてしまうのも量の把握ができなくなるので、とにかく缶詰は線を引いたら垂直にすくう、ドライフードなら計量器で正確に測る、そしてペットホテル管理表や入院管理表などに食べた量を正確に記載するよう言われました。
動物病院で入院動物を管理するというのはこういうことなんだな、と思いましたが、猫はもう「適当な」量を食べてしまっていたのでその日の朝はそのままということになってしまいました。
B動物病院に在籍していたのはもう20年も前のことですが、たぶん私がこの病院でもっとも印象に残っていること、それがこの出来事です。
でも。
大切なことを教わったなとは思いますが、自分が逆の立場になったとき、こういう教え方をするだろうか…と思いました。
事前にしっかり指導しておくか、せめて目の前でどうやってやるかをチェックして、間違った時点で制止するほうが良いのでは?
たま~にこういう方法をとる人がいますが、相手が失敗するだろうなとか、知らないだろうなと思っているのにわざとやらせてみて、結果、その通りになると鬼の首を取ったように「ほらね」というのは、あまり気持ちの良いものではないです。
何よりも、飼い主さんからお預かりしているペットを利用して教えることではないし、病気でないから1回くらい良いということでもないと思いました。
人を指導するには
人に何かを教えたり指導するとき、恐らく自分の体験から同じように部下に教えようとする人もいると思います。
でももし自分が受けた指導があまり良いものでないと感じていたら、自分の部下には違う方法で、自分が望む方法で指導してみよう、と思いますよね。
私が中学生だった頃の体育会系の部活は、先輩後輩の上下関係がとても厳しい時代でした。
服装から挨拶から、今思えばなんであんなに過剰な敬いを強要されたんだろうかと思うことばかりです。
私は女子バスケ部でしたが、代々3年生と2年生は険悪ムード、飛び越して3年生は1年生にはちょっと優しくしてくれる、という関係が続いていました。
2年生にしてみれば、自分たちは3年生からきつくあたられ、1年生は何もできないのに可愛がられているとなると面白くないのは当然です。
そんなこんなで2年生が1年生を嫉妬するので仲良くなるはずもなく、そのまま学年が上がると再び3年と2年は仲が悪く、3年生は2年生より1年生をかわいがり…の繰り返しでした。
Dear 全国の体育会系の方々
私が1年生の時の2、3年生も伝統からはずれることなく険悪ムードで、昔にありがちな、校則に違反していなくても「生意気な」制服アレンジは許されないなど、部活以外のところでもチェックされていました。
そしてやはり3年生がいる間は、私たち1年生にとって2年生は怖い存在でした。
でも3年生が引退したあと、2年生の先輩方が私たち1年生に言いました。
「私たちは、自分たちが上からやられたから下にも同じようにするというのはしたくない。自分たちの代で断ち切りたい。」と。
それから女子バスケ部はとても楽しい部になりました。先輩はいっぱい我慢してくれたと思います。私たちもそれにこたえる形で頑張りました。
今までは恐怖と義務でやっていたボール拾いが、先輩のために拾いたいと思うようになりました。
廊下にずらっと並び、先輩の姿が見えなくなるまで無意味に何度も言っていた「おはようございます。」が、先輩が見えたら駆け寄って行って挨拶するようになりました。
休みの日に一緒に遊んでくれたり、放課後にダラダラ集まっている輪に入れてくれたり、恋の悩みも聞いてくれました。
怖い一面もありましたし、練習でミスをしたらちゃんと叱られることもありましたが、それは指導だと受け止めることができたのも、日ごろの関係が良かったからです。
やはり人間というのは「自分もそうだったから」で無意味に続けてしまっている習慣があると思います。
それが良いことならまだしも、悪習ほど理由なく継承されている気がします。
B院長の指導方法には、時々そうやって「自分もやられたから同じようにやる」というのを感じる場面がありました。
しかも私や看護師に失敗させてから注意したり、あるいは小バカにしたような質問をしたり、悪習を継承していることのほうが多かったように思えました。
私はあの頃の先輩たちのようになりたい。自分がやられて嫌だったことは人には絶対にやってはダメ、と子供の頃親から教わった人も多いと思います。
もし、全国の体育会系(に限りませんが)の上にたつ方々で、悪習を継承している人がいたら、ぜひ断ち切って英雄になっていただきたいです。
ちょっとだけ裏話
B動物病院の女性院長は当時35歳くらい。
その頃病院はまだ軌道にのっていないと聞いていたけれど、持っている車はベンツでそんなにお金には困っていないようでした。
動物看護師のBさんが言うには、B院長のご両親はそれなりに裕福なご家庭とのこと。
結婚歴がありバツイチとも言っていました。もちろん院長から聞いたわけではなく看護師経由の情報です。離婚を機にちょっとやさぐれてしまったというか…。
かなりお酒を召し上がるとのことで朝は苦手。
そして同じ女性だからわかるのだけど、女性ならではの周期的なイライラもあるようでした。
明るく優しい時もあれば今日は少し機嫌が悪いなという日もあり、缶詰事件の日はご機嫌ナナメの日のようでした。
可愛がられていた動物看護師のAさんでさえ、院長の機嫌が悪いといつもは叱られないようなことでブツブツ文句を言われてしまっていたほどです。
B動物病院で勤務していた時期からだいぶ後の話になりますが、イライラしていたり、人に八つ当たりや意地悪をするような人に対して「あの人は可哀想な人なんだな、って思うことにしてるんです。」と私に教えてくれた人がいました。
そう思うことで自分のストレスを受け流しているというか、相手から嫌なことをされても「ああ、この人は可哀想な人なんだな」と思えば気にならないし辛くない、というのです。
何が可哀想なのかは何でもいいのです。相手に対してそう思うことで自分が優位に立ち、相手からされている嫌なことを仕方ないなぁと受け入れてあげる、という手法なので。
その頃、相手からの嫌味にカッカしていた自分には目から鱗でした。とても優しい考え方だなと思いましたが、実は相手を空気にしてしまうので一番冷たい対応かもしれません(汗
B院長が当時、お酒が増えたり精神的に不安定になったりしていた一番の原因は離婚という出来事だったようで、もし私が「可哀想な人なんだな…」と思うことができていたら、B院長との納得いかない色々なやりとりも乗り越えられたかもしれないなと思います。
ただし具体的に相手の何が「可哀想」なのかを公表してしまうと、今のご時世では色々問題が勃発しますので、自分の中だけで思うようにしないとダメですよ。