葡萄が蒲団にはいっていると子らがいふ
博子は小学4年の息子武と4歳の娘紗良と3人暮らしである。ひとり親である。2年前に離婚。居酒屋でパートをしていたがコロナの感染拡大で仕事がなくなってしまった。今は生活保護を受けながら暮らして居る。息子武は 不登校だが地域のボランティアがやっている無料塾に先月から通い始めた。無料塾では月1回無料塾とは別のボランティア団体「絆御飯」が無償で子どもたちに食材配布を行うイベントを行っている。武も食材をもらって家に帰ってきたのだが、博子はもらってきた食材を見て少し複雑な気持ちになった。生活保護は受けているが物貰いではない。生活は苦しいがもらう筋合いの無いものをもらったことに屈辱と不甲斐無さを感じた。子どもが平気で人から物をもらうことに慣れてしまうのではないかとも思った。
もらった食材の中にシャインマスカットが白い緩衝材に包まれてあった。配布する食材の中で一点豪華主義で普段買わないようなものを一品入れるのが「絆御飯」の代表佐川玲子の考えであった。それは玲子が貧困の中で育ってきたことに由来していた。
「お母さん 葡萄がふとんにはいっているよ。」 武は今まで見た事もない大粒の葡萄をみつめて言った。博子は台所でその声を黙って聞いている。武と娘の紗良があんなに喜んでいる。無邪気にはしゃいでいる。スーパーの見切り品ばかりの生活しか子どもたちにさせていないという現実。物貰いではないと思いながらも正直なところ貰ってありがたい品々もあるのだ。博子は複雑な思いを抱えながらも絆御飯の代表佐川玲子に御礼のはがきを書いた。
翌月博子は絆御飯の食材配布に行ってみることにした。どのような団体なのか、佐川玲子がどのような人なのか知りたかった。なぜこんなに私たちに親切にしてくれるのか知りたかった。何のつながりもない私たちに…
絆御飯代表の佐川玲子は明るく、てきぱきとした感じの人であった。年のころは50代くらいか。大きな瞳は信念の強さのようなものを感じさせた。「いつも武がお世話になっています。高田 武の母です」と声をかけた。一瞬博子の顔をじっと見て「ああ武君のお母さん。初めまして佐川です。今日はどうされたんですか。」博子は咄嗟にそう聞かれて戸惑った。無料塾に来るのは子どもたちで親が顔を見せることはあまりない。絆御飯の食材配布も来ている子どもたちに渡しているので親に直接渡すことはないのである。
「実はいつもいろいろいただいて、おいしくいただいているのですけれど・・・」
「ご心配なく。私たちも行政や企業などから支援をいただいて配布をしているのです。武君にだけ何か特別なことをしているわけではないんですよ。でも今日お母さんにお会いできてよかったわ。」玲子は武の母がなぜここにいるのかすぐに理解した。
食材配布をしていると様々な人たちに出会う。喜んで感謝してくれる人が多いが、中にはもっと欲しい、こんなものが欲しいと食材以外にも衣類や寝具などを買ってもらえないかと言ってくる人もいるのだ。目の前にいる女性は直面している現実が受け止めきれないでいるのだと玲子は直観的に感じ取った。実はこういう人は生活を向上させていく意思のある人である。「こんなはずではなかった」という思いと厳しい現実に直面し「私が…何故…」という気持ちがあるのだ。
しかしそうした気持ちが仕事を見つけ生活を良くしようという原動力になる。玲子はそうした人たちを今までも見てきた。
「今どうですか?お仕事はされているの?」玲子はストレートに相手の事情を聴きながら、博子と会話をする。
15分くらいの短い時間であったが、博子は佐川玲子に会えてよかったと思った。「物貰いではない」という何かくすぶった気持ちは消えていた。むしろ自分のことを聞いてくれたことがうれしかった。考えてみるとコロナの感染拡大で居酒屋の仕事がなくなってしまってから子ども以外の人と話をすることがなくなっていた。そのせいなのか話をしたということ自体が楽しかったのだ。佐川玲子とは初対面にもかかわらずひとり親であることや武のこと暮らしのことなどをしゃべった自分に不思議な感じがしていた。そして刹那的ではあるにせよ日々の言い知れぬ不安からの解放感さえ感じていたのだった。