愛はどこにある

僕は、人間不信だ。
理由はたくさんあるが、細かいことは割愛する。

一番信じるのが難しいと感じることがあって、
人の好意というのはどうも信じきれない。

つまり、
ねぇほんとうにすき?とかいうメンヘラなのだ。
実際に相手に聞くことはしない。
だが、いつも思っている。

どれだけ尽くされても
どれだけ伝えられても
手紙をもらっても、看病してくれても、
どんなに心を込めてもらっても、疑ってしまうのだ。
それが失礼であること、相手が悲しむことは頭では分かっている。

それでも、僕は愛がわからない。
好かれるわけがないと決めつけてしまう。
いつかなくなると決めつけてしまう。

そこで、どうすれば愛されている自覚が持てるだろうか、どうなれば信じられるか、と考えてみた。

何よりも僕を優先してくれたとき…
一生離れないと確信できたとき…
色々考えた結論は、
僕が死んで相手が後追いしてくれたら。
そうなったら未来で「やっぱ要らね」って言われる心配もなく、僕のためだけに全ても捨てられるほどの気持ちを信じることができる。
うん、やはりメンヘラだ。

いや、死んだら元も子もない。
生きてなきゃ意味がない。
あくまで信じて生きたいという話なのだ。

行動も言葉も信じれない僕は生きながら愛を知ることはできないのかもしれない。

人の愛を、何から感じればいいのだろうか。

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