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愛されない僕ら

 児童養護施設という場所をご存知だろうか。そこは、理由は何であれ親が育てることができない子供が預けられ、生活を共にする施設である。僕はそこで暮らしていた。そこで感じたことのひとつを、紹介したい。  施設に来る子供には、様々な事情がある。親が亡くなった、アル中の親、被虐待児、非行で手に負えない、親が海外へ出張、育てる金がないなど、実に様々だ。施設にいる間、親と連絡を取る子もいれば親を完全拒否する子もいる。  そんな子供たちが、一緒に生活を送る。  施設にいる子供たちには、あ

    • 愛はどこにある

      僕は、人間不信だ。 理由はたくさんあるが、細かいことは割愛する。 一番信じるのが難しいと感じることがあって、 人の好意というのはどうも信じきれない。 つまり、 ねぇほんとうにすき?とかいうメンヘラなのだ。 実際に相手に聞くことはしない。 だが、いつも思っている。 どれだけ尽くされても どれだけ伝えられても 手紙をもらっても、看病してくれても、 どんなに心を込めてもらっても、疑ってしまうのだ。 それが失礼であること、相手が悲しむことは頭では分かっている。 それでも、僕は

      • 助けられないくせに。

         僕は体調を崩すと気が弱くなる。普段は結構がんこ者で、強がりでプライドが高い自覚があるから、弱音を吐くと大抵の友達はどうしたものかと焦る。  それに、1回言ってしまった弱音は、なんだかもう1度言えない気がする。例えば「なんか疲れちゃったよ…」と1回言ったら、数分後に「いやぁ、なんか疲れたなぁ」と同じ弱音を吐くのはタブーな気がする。さっき聞いたよ、と呆れられてしまうのが怖いのかもしれない。それでも疲れが数分で吹っ飛ぶわけもない。  だから僕は体調が良くなるまでの辛抱だと思って

        • 僕の目標は小学5年生のあいつ

          今でも覚えている、たった3秒の出来事。 同級生の「ここどうぞ」という声 たったそれだけ、それだけが今でも僕の心に強く残っている。 その時の話をしたい。  小学5年生の頃、ある塾に通っていた。  塾へ向かうバスの中で、塾でのクラスのいじられキャラ、あるいはお調子者、僕とは特に仲良くないそいつが途中で乗ってきた。  僕に気づくなよ、と心の中で唱えながら目を伏せたが、特に何もなく、そいつは座って、バスが出発した。  次のバス停でおばあちゃんが乗ってきた。元気そうだし、

        愛されない僕ら

          見てはいけないもの

          見たな………?ヒエッ  なんてね、そんなホラーな話をするつもりはない。ホラー苦手なので。  ただ、生きづらい世の中だなぁと僕が思うことの一端をご紹介できればと思う。 見てはいけない。  この世界には、配慮と呼ばれるものが存在する。そして基本的には美徳とされる。  たとえば、セクシュアリティの配慮で「『くん』『ちゃん』ではなく『さん』を付けて呼びましょう」だったり、多様な家族編成の配慮で「家族についての話題は裸を見られることも同然だから慎重に」だったりの声かけがある。  

          見てはいけないもの

          イキって生きる。

          僕は最近、20歳になった。 おめでとう?おぉ、ありがと、え、言ってないって?  まぁそんなこと置いておいて、誕生日に毎年聞かれることが「今年の抱負は?」という質問なんだが、どう答えるものなんだろうか。僕のいつもの答えは「生きる!」のみ。  今年になって初めて理由を聞かれたから、それについて話をさせてほしい。  理由を平たく言えば、ただイキっているだけである。  もう少し細かく言えば、「生きろ」と言われるのが嫌だから、自ら進んで「生きる」と言っていれば他人に言われることは

          イキって生きる。

          僕のスーパーヒーロー先生

           僕には、大変お世話になった先生がいる。スーパーヒーローって言うと筋肉ムキムキみたいな想像をしてしまうが、その先生は数学の先生。数学の先生らしい容貌の眼鏡先生。僕は中高一貫校に通っていたのだが、中学2年生から高校3年生までの5年間を担任してくださり、僕の救世主だ。他の生徒にも慕われている先生で、僕の同期は口を揃えて「恩師」と呼ぶ。そんな先生の話をしたい。 中学入学  僕の家は変なところにあって、地元の公立の中学校に行くよりも、中高一貫校の方が近くにあった。そこそこ難易度の

          僕のスーパーヒーロー先生

          お母さん、お酒飲めるようになったよ。

          この記事は、僕のお母さんへ、読ませるつもりもないけれど自分の心の記録として書いたもの。 僕のお母さんは僕のことが大好きで、でもメンヘラすぎて僕のことを縛り付けていた。僕は、その期待に応えられなくて家出して施設へ入所した。それから顔も合わせていない。そんなお母さんへ贈る手紙。 あのね、お母さん。 「大嫌いだ」ってずっと言っていてごめんなさい。  僕のために怒ってくれていたのも、僕が大切なあまりに厳しかったのも、知っていた。お母さんもお仕事が大変で、お父さんもいなくなって頑張っ

          お母さん、お酒飲めるようになったよ。