小編|秋の絨毯
遠くに響くモトモトのダミ声が間もなく空がネイビー色に染まることを知らせてくれる。
モトモトは脚が長くて、身体は丸をちょっと上に引っ張ったような見た目をしている。私はフクロウに似てると思うけど、お兄ちゃんにはそうかなぁ?と言われた。
それから、モトモトは顔周りの羽根が少し長くて量が多いのが特徴で、羽根は青黒く、脚も嘴も両の目も赤みがかっていて、少し不気味だ。
朝を知らせてくれるニワトリ達が早寝早起きできるように、夜の訪れはモトモトが知らせる決まりが私の曾曾曾婆ちゃんの時にできたらしい。
確かにモトモトの喉をギューっとしたようなダミ声は、早くお家に帰らなきゃという気持ちにしてくれる。
私はいつもより急ぎ足のお兄ちゃんの背中を見つめながら、少しでも前にたくさん進めるように大きく腕を振りあげた。すーっと冷たさを持つようになった風が気持ちいい。
今日は、明日はお芋を焼くぞって爺ちゃんが言うから、お兄ちゃんと一緒に隣の街まで焚き火用の星のカケラを買いに行った。焚き火用の星のカケラは、いつもお母さんがお台所で使ってるのと違って何だか大きくてゴツゴツしてた。
星のカケラを売ってくれるお姉さんがくれたジュースはリンゴのシャリシャリが残っていて美味しかった。遠くまでおつかいに来たことを褒めてくれて、明日はお芋を焼くことをお話ししたら、楽しそうだねって笑ってくれた。
甘いリンゴジュースの味と優しいお姉さんの事を思い出すと、身体の内側がピョンピョンしてゆっくりスキップしたい気持ちになる。
隣の街に行く時には開いていたパン屋さんは、もう閉まっていた。ここのパン屋さんはバターがジュワッとしみたクロワッサンが美味しい。外側はパリパリだから食べるとテーブルの上が砕けたクロワッサンだらけになるけれど、誰も怒らない。砕けたクロワッサンは、いつも婆ちゃんがサッと集めて小鳥たちにお裾分けしてる。
婆ちゃんは、私にもお兄ちゃんにも''お婆ちゃん''じゃなくて、''婆ちゃん''と呼ばせたがった。その方がうーんといい、いい響きだと言っていた。
私が婆ちゃんと呼ぶと、ニコニコと幸せそうな顔でハイハイ。と返事をしてくれるから、毎日の事なのに私もつられて幸せな気持ちでいっぱいになる。
パン屋さんの前を通って横の階段を登っていくと、階段の両脇にはたくさんの木が生えていて、少し前までは青々とした葉が頭の上いっぱいに生い茂っていた。
その頃はパン屋さんの隣の隣にあるお菓子がたくさん売ってるお店で、アイスクリームを買って、お兄ちゃんと階段の途中に腰掛けて食べていた。口の中で溶けるアイスクリームと、石のひんやりした冷たさが伝わって一時のオアシスを味わえた。
それが今は黄色に赤に茶とたくさんの落ち葉が積み重なって、上まで続く絨毯みたいになっている。
私はつま先にちょっとだけ力を込めて、上にすっとあげた。何重にも重なった落ち葉がカサカサした音をたててフワと浮いて直ぐに定位置に戻った。階段を一段一段登りながら、落ち葉たちを目を凝らして見ると、殆どはどこか形が変わってしまっているなかに綺麗な形を保ったものもある。色の具合もひとつひとつ違って、出来ればよく吟味して家のスケッチブックに貼りたいけど、目線を正面に戻した先のお兄ちゃんは止まってくれそうもない。空の色も時間が進むごとに色が絡み合い始めている。
仕方ない。明日お芋を焼く前に爺ちゃんが集めた落ち葉を見せて貰おう。家の周りの落ち葉はここよりまばらで絨毯には程遠い。だからちょっと違うのだ。絨毯の落ち葉より濃くなくて、白っぽくくすんで見える。完璧な一枚を探すのはすごく難しい。
階段を登りきって小さなお店通りを抜けていく、いつもは大きな坂道を下っていくのに、お兄ちゃんは細い横道に入っていった。この道は私も何度かお兄ちゃんかお父さんと一緒に通った事がある。
途中の道が細くて暗くて不気味だから、私はあまり好きじゃなかったけど、今年はアレがある。
私はさっきよりお兄ちゃんとの距離を縮めながら、胸がドキドキしているのを感じた。細い道を抜けた先のぽっかり開けた空間が見えてきた。あそこにアレがある。
「あっ…。」
それまで胸で感じていたドキドキが、耳の奥で響く。目玉と脳みそが上に吊り上げられた感覚がする。私の声に気がついたお兄ちゃんが振り向いた気配がした。どうした。と怪訝な声で聞くお兄ちゃんの足元からその先の光景に私の目は釘付けになった。
「蝶々が。」
「ああ、うん。もう枯れる時期だからね。」
蝶が死んでいた。
たくさんたくさん折り重なって、絨毯のようにあたり一面を埋めていた。
「そこを歩くの?」
「だってこの道が一番早いよ。」
お兄ちゃんの手が目の前に差し出された。手に暖かいオレンジの光が反射している。私が差し出された手の奥にある枯れた蝶々から目を離せないでいると、お兄ちゃんはそのまま私の手を掴んだ。
「落ち葉の上は歩いたじゃないか、これももう枯れてる。」
足の裏に死を感じた。靴を履いているのに、剥き出しの足で死に触れた気分になる。
ぽっかり開いたこの空間に数本立っている樹々は、いつも枝になにもつけていなかった。それも私がこの道を好きじゃない理由の一つだった。春も夏も秋も冬も何もつけない枝は何だか寂しそうだった。
それが今年は春の訪れと共にたくさんの蝶々が枝になっていた。野原でいつも見る蝶とは違って、ここの蝶々たちは何処かにふらふら飛んでいったりはしなかった。
たまに繊細な羽をゆっくりパタパタすることはあっても、ずっと枝の周りにいた。
よく見ると羽の模様は微妙に違ったし、色もちょっとずつ違った。よく晴れた日はとくにキラキラとして美しかった。
気がついたらお兄ちゃんに手をひかれたまま家に着いていた。
爺ちゃんが庭からひょっこり顔を出して声を掛けてくれる。
「おかえり。おつかいありがとう。明日の焼き芋の準備はバッチリだよ。」
お兄ちゃんが手を握ったまま、私の顔をじっと見ていた。
終
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