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品位ある生き方。

最近、体調が悪く。
産婦人科に定期検診以外で受診しています。

下腹部の痛みと違和感。
あまりの痛さに歩くことも苦痛な時もありました。
先日、CT検査をしてもらったところ
「癌ではない・しかし何かしらのものが
 卵巣のあった場所にある」
とのこと。
ただ原因不明のため、治療することもできず
経過観察となりました。

今日はその診察日。
待合室に行くと、目を奪われる女性がいました。
シスターでした。
普段教会にご縁がなければ、シスターにお会いすることは、まずありません。
それゆえ釘付けになったということもあるのですが、夏仕様の淡いグレーのシスターの装い。
アクセサリーやお化粧などせず。
シンプルなシスターの服。
余計なものは一切削ぎ落とし
衣服と身ひとつ。
あるとしたら、それは神への絶対的信仰心。
その凛とした美しさに
わたしは目を奪われたのでした。

特別オシャレをせずとも。
宝石やブランドものを持たずとも。
ただ神を信仰する。
その信念ひとつ。
揺るぎない思いが
その人を美しく。
そしてオーラを輝かせるのだなぁ…
と感じました。

病院の入り口を歩きながら
「品位のあるひとでありたい」
と願った矢先のシスターとの出会いでした。

何を持つのか。
何を持たないのか。
ミニマリストという言葉は、そこにフォーカスされがちですし。
実際わたしも「どれだけものを持たないか」を意識していた時代もありました。
いかに物を減らすかにアドレナリンを放出させ
刺激として楽しみ
「持たないことがかっこいい」のだと思っていました。

けれどわたしはそういうことではなく
「品位のあるひと」として生きたいのだ。
持ち物の数を競うのではなく
ひととして美しい生き方をしたいのだと
しみじみと思いました。

待合室でお見かけしたシスターが、わたしが生きたいと思う「道」を示してくださったように思います。

30代の頃に出会った聖フランチェスコの祈りです。

〜平和を求める祈り〜
神よ
わたしをあなたの平和の道具としてお使いください。
憎しみのあるところに愛を
いさかいのあるところにゆるしを
分裂のあるところに一致を
疑惑のあるところに信仰を
誤っているところに真理を
絶望のあるところに希望を
闇に光を
悲しみのあるところに喜びをもたらすものとしてください。
慰められるよりは慰めることを
理解されるよりは理解することを
愛されるよりは愛することを
わたしが求めますように。
わたしたちは与えるから受け
ゆるすからゆるされ
自分を捨てて死に
永遠のいのちをいただくのですから。

この意識をもとに、品位のある生き方をしていきたいと改めて思った受診日でした。

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