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あの夏の忘れ物を取りに part0 マジカルバケーション再プレイ時々絵日記

 12月7日。
 私にとって、そして日本に散らばっている多くの人にとって特別な日で、マジカルバケーションというゲームボーイアドバンス作品の発売日だ。
 2020年は、19年目を迎える。それを越えたら、20周年がいよいよ目に見えてくる。
 いつも通りの数字を過ぎていくばかりなのに、なんとなくきりがいい数字になると特別感が増す。

※以下の文章はマジバケを知っている人にしかわからない単語が多発しますが、注釈を入れていたらきりがないのでご容赦下さい。


 マジカルバケーション、略称マジバケから受けた影響は計り知れなくて、人間性の基盤を構成しているように感じていて、それだけの力がある名作だと思っている。19年という年月が経っても、様々な方に愛されているのは、同じように感じている人がたくさんいるという証拠だろう。
 大好きな作品だけれどどこか扱いが不遇というか、WiiUでバーチャルコンソールが発売されたものの、今やSwitchが完全上位ハードとして誕生し、WiiU自体販売終了となって久しい。ようやく布教しやすくなったと思ったらまたもプレイしづらい状況となっている。なんてこった。Switchでできるようになってくれ。
 かくいう私も、GBA版のデータが吹っ飛んだりセーブできなくなったりといったことが恐ろしいので、かつてわざわざこのバーチャルコンソールのためにWiiUを買い、マジカルバケーション専用機として冬眠についている。
 私はGBA版ソフトを三つ所持していて、一つはそこそこやりこんだソフトで一番思い入れがあり、一つは周回プレイ用で、一つは一人アミーゴ用だった。化石扱いとなりつつある初期GBAや初期DSでプレイしていた。そのいずれもソフトも、起動しなくなった。大人になって田舎を飛びだしてからは、マジバケでオフ会に参加する際にアミーゴ用として起動することが多くなった。

 人生を構築してきたゲームだけれど、どんどんとマジバケの気配が私の中で薄まっているのを感じている。それは、最近ゲームをしていないこともあるし、マジバケファンの姿を日常的に見ていたTwitterのアカウントにほぼログインしなくなったことも要因として大きい。
 最近、minneか何かで販売されているカシスのピアスのページが、大興奮なメッセージと共にLINEで送られてきた。「黒いカシスのクリスマスコフレ ピアス」と書かれたそれはとても可愛くて、私は単にカシスであることからこんなに興奮しているのかと思ったら、クリスマスとカシスの組合せがやばいと言っていて、私は確かに、と思いながら、ほんとうに私の中でマジバケに対する感受性が低下してしまっていることを自覚した。
 だだちゃ豆だとか、ドーナツだとか、エビフライを見てえびふりゃーを彷彿するとか、各キャラクターやマジバケ世界を構成していた要素は日常の中に溢れていて、気付くときも気付かないときもあって、ただ、なんというか、クリスマスとカシスの組合せに気付かなかったことは、私に少なくない衝撃を覚えさせた。マジバケが薄まっている。ストーリーも、キャラクターも、ドットによる美しい背景も、音楽も、やわらかで個性的なキャラクター・モンスターデザインも、道すがらに出会う村人たちの言葉も、いくつも好きなことはあるのに、どんどん薄まっている。遠のいている。年を重ねるごとに。
 20周年を前にして、何かやりたいということは考えていた。それがなにか、ずっと掴めていなかったけれど、ゲームをきちんとやり直そうと、思った。でもただやるのは面白みがないと思っていたら、ふと気が付いた。
 マジバケのことは好きだし、今でもファンであると思っている。
 それでも、実は、精霊コンプをしたことがない。なんなら、ガラムマサラの最下層に行ったことも、リドナヒーの最奥に行ったこともないのである。
 基本的に飽き性なので、ゲームは好きだけどあまりやりこまない。マジバケのことは好きだけれど、このゲームを味わい尽くしていないことを、不意に思い出した。
 やりこみ要素が凄まじいゲームなので、やろうと思えば、攻撃は魔法禁止で物理縛りとか、全キャラクターをレベル999まで上げるとか、この世界、ちょっと頭のネジが外れているのではないかというような猛者(※褒め言葉です)はいるのだけれど、そこまでのことは望まない。
 ただ、精霊コンプと、ガラムマサラの最下層、シサバレイ・リドナヒーの最下層。そしてすべてのキャラクターを仲間にする。文鳥、きみもだ。
 けっこう大変なんだけどやろうと思えばやれる(はず)の、やりこみ要素を、私はすっぽり忘れたまま、というか諦めて、そしらぬ顔でマジバケで人生構築されていると宣っているのだった。いや、勿論それはそれでいいと思う。そういうファンも少なからず、いると思う。ゲームの楽しみ方は千差万別だ。でも、なんか、これは、大きな忘れ物だ。あの夏休みに忘れていったまま。少なくともマジバケそのものが薄まってる今のこのままでは、きたる20周年を、祝えない。全然そんなことないんだけど、そう思った。
 マジバケをやろう。

 そうして久しぶりにゲームを起動した。いつ壊れるとも分からないのにどのソフトもきちんとデータが残っていたし、WiiUもきちんと起動した。GBAとWiiUのどちらを選択するかは迷ったのだけれど、アミーゴシステムがこのゲームの肝ともいえる大事な要素なのでGBAを選択することにする。地獄の一人アミーゴを選択したということになる。
 ただ、今のご時世なかなか難しい部分はあるのだけれど、ご時世が平穏になって機会があれば、誰かと通信ケーブルを繋いでアミーゴできたらいいなあなんて考えている。そうしたらこの企画は個人だけのものではなくなり、もっと面白いものになるし、アミーゴシステムが最も輝く。私自身がこの界隈において今は出不精を極めているので現実的に希望は薄いけれども。

 ストーリーを噛み締めながら、このゲームを改めて見つめ直す。やってみたかったけれど諦めていたやりこみ要素に挑戦する。薄れてしまったものの色を取り戻し、今だからこそ見えるものを掬う。それを、最近はまっている風景画でゲームの中の景色を自分の目と手で写し取りながら、絵日記みたいにして綴っていく。
 完全に個人のもので企画倒れする可能性もあるのだけれど、そうしたことを不定期で少しずつやってみたらいいな、と思う。

 あの夏の忘れ物を取りに。
 それが、今日19年目を迎え、だいぶ気が早いけど来年の20周年に向けたマジバケへの餞になると考えた、つまり一年かけて楽しむ個人企画の主旨です。

 最後になりましたが、愛すべきマジカルバケーション、19周年おめでとうございます。

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小萩うみ / 海
たいへん喜びます!本を読んで文にします。