オープニング:あの夏の忘れ物を取りに part1
2020年12月10日 木 曇りときどき晴れ
データを消す時にはいつだってどきどきする。
私はあまり主人公の名前に実名を入れることもハンドルネームを入れることもなくて、デフォルト名があれば大体そちらを採用するのだけれども、今回はなんというか今の自分目線で改めてマジバケをプレイしたいという主旨が大きいので、「ウミ」という名前で女の子にした。
属性は非常に迷った。一番最初にマジバケをプレイした時には火を選んだので、火にして楽な道を進んでも良かったのだけれども(ゲームでのアドバイスでは初心者向けだが、攻略本によると火は中級者扱いになっているのは攻撃範囲が四マスだからだろうか。キルシュは序盤で仲間になるし威力もやや高めだし相当初心者向けだと思っている)、せっかくなのであまりプレイしていない属性をやりたくて、ガルがあまりに可愛いので獣にした。いや、理由はそれだけではなくて、「最も強い武器は友情だ」というコマーシャルのフレーズがこのゲームの重要な部分だと思っていて、そしてそれを一番体現しているのが獣属性の最終魔法「みんなのちから」だと思う。全員のMPを全消費して敵全体にぶっぱなすというトンデモ技である。全ての力を以てしてケルレンドゥに「みんなのちから」を叩き込みたい。それ以外は単体攻撃だし、状態変化も力低下という魔法攻撃中心のこのゲームにおいては正直ほとんど無意味に等しい、通常プレイでは使いづらいことこの上ない属性で、このゲーム意外と難易度はやや高いので久々のプレイでやるには少し大変だけれども、オリーブとガルが可愛いので万事問題ない。それに「みんなのちから」のロマンは格別だ。それで充分だった。
キャラクターセレクトを終われば、オープニングへ突入していく。
すべての物質に精霊は宿る。
木の枝にも、岩にも、歯車にも、羽にも、水溜まりにも、動物の足跡にも。この世界では便宜上というか設定上、それぞれの属性に対して精霊が設定されているけれども、本当は全ての物質により多種多様な精霊がついているのだろうなと思う。全ての概念に対してプレーンが存在するというこの世界観において。
転がっている平凡な現実の中に精霊が宿っているかもしれないと思うと少し日常も楽しい気がする。勿論精霊はゲーム上でしか存在しないのだけれど。
それにしても懐かしいテーマだ。妖精をたくさん引き連れたグラン・ドラジェに手を引かれて、幼い子供は魔法の世界へと行く。このオープニングの曲はしかし、ただ懐かしいとノスタルジックに浸っていられるほど甘っちょろい曲ではない。闇の魔法使いにしたい、しかし近くにマジバケをプレイしている仲間が100人もいるわけもない、そもそも一人もいなかった。だから一人、ひたすらリセットを繰り返しては新しいデータで通信プレイを展開する、冷静になれば狂気とかいいようがない一人アミーゴ。その間延々と繰り返されるテーマだ。グラン・ドラジェのおっとりとした優雅な背中を、苦しみを通り越して最早無感情で見つめる。夢に出る。うなされる。いや、うなされたことはない。でもなんもしてなくてもあの曲は流れてきた。脳が染まっていた。そんな時もあった。いろんな意味で目頭が熱くなる。あらゆる懐かしさだけではない。やがて私は同じ道を歩むのである。そう考えると涙を禁じ得ない。
しかしそれでも闇の魔法使いにならなくてはシサバレイでピスカプークちゃんには会えないし、光の魔法使いにならなくては精霊コンプリートはできない。このゲーム本当とんでもない。100人友達がいなければ二つソフトとハードを用意して通信すればいいじゃないと狂った名案を思いついたプレイヤーもやばいしそれを実行した人が恐らく少なくない人数で存在するのもやばい。あえて「やばい」と言いたい。ただ、あらゆるゲームの本性が隠し要素にあるように、マジバケもまた本性は隠し要素に眠っている。私はかつてそこを諦めた。だから私はまだマジバケの本性を味わっていない。発売から19年以上経って本性を曝こうという。
闇も全て乗りこなしてようやく魔法使いは光を得る。
やってやろうじゃないか、と思いながら、グラン・ドラジェの背中を見つめるのだった。
懐かしいみんなの声がする。マジバケではキャラクターが喋るとき効果音の高さが違うから、ボイスがなくとも、目だけではなく耳で会話を楽しむことができるのが良い。そんなことは初期プレイ当時はまったく気付かず、ネットでいろいろ情報を見るようになって知ったことのひとつ。
これから、きみたちの予想もしていない大冒険が待っている。その過程を、ゆっくりゆっくりと噛み締めながら歩んでいきたいと思う。