お葬式にいってきた。どんな人生を送ってもどうせ最後は骨だ。
おじいちゃんおばあちゃんが立て続けになくなった。
お葬式のあと、骨を拾い、49日に納骨をした。
大人になってから全部みたのは初めてだった。
死体の時点から、それはおじいちゃんじゃなくてモノだと思った。
動いてない、生きてないのだから、それは道に転がる石と同じ。
何の意味も持たないただの個体。
焼かれた後の骨はなおさらだった。
完全にモノとして扱われる。
「これが膝だって」
「これが骨盤だって」
裸を通り越して全部見られる。
さらに納骨。
みなさん、お墓の中をみたことはありますか?
私は結構ショックだった。
母方のおばあちゃんのお墓は骨壺ごと真っ暗な墓の下に閉じ込められ
父方のおじいちゃんのお墓は穴があってその中に先祖の骨がごちゃまぜに入っていた。
私は軽く絶望した。
どんなに功績を残した人も。どんな犯罪者も行きつく先はこれ。
骨になって終わるのだ。
と同時にこうなるんだから、もうどうでもいいやって気持ちになった。
他人の顔色を伺ったり
自分の感情を我慢したりしても
どうせ骨になる
評価する人も、される人も全員、平等に。
そういえばホリエモンが悪口言われることが平気な理由として
「だって別にそいつ死ぬじゃん」って言ってた。
どうせそいつ死ぬんだから何言われてもよくない?みたいな。
極論だと思ったけど、今ならわかる
どうせ骨になるんだから
骨になる人に何言われてもいいし
私も骨になるんだから何をしたっていいじゃないか、と。
ある意味ひらきなおったのだ。
話は変わるが、私はRPGゲームをしたときに大量にお金を残すタイプだ
お金どころか、アイテムもほとんど使わない
「何かあったときのために」残しておいて
何も起きずにクリアして無駄になる。
私の人生も同じじゃないだろうか
「何かあったときのために」お金を残して
欲しいものも買わず、いきたいところにもいかず
何も起きずにクリアして、すべて無駄になりそう。
「そんな人生はいやだな」
おじいちゃんおばあちゃんの死を目の当たりにして、そんなことを思った。