神様の水を飲んだ猫-最終話-
幼い頃、自分の部屋が無くて祖母の部屋に勉強机を置いて過ごしてた。小学生の後半になってくると、マセてきて、部屋を思い通りにしたくなりポスターなど貼り始める。次第に祖母のタンスがどうしても気になってしようがない。THE桐のタンス、まるで時代劇から抜け出したような重厚感満載のドッシリした黒いやつ。そのタンスと、ビーバップハイスクールのポスターや、コカコーラの置物がどうやってもミスマッチだ。ある日思い切って、祖母に願い出た。このタンスを、ペンキで白く塗っていいか?と。この狂った孫は一体何を言い出すんや、、そんな哀しい目だったけど、祖母は優しく説明してくれた。
「このタンスはな、うちの嫁入道具やねん」
祖母は明治45年生まれ。ハレー彗星を二回見た計算になる。三重から大阪に嫁ぎ、戦争の疎開で三重に戻った。昭和初期、田舎から大都会大阪に嫁ぐ娘に、せめてどこに行っても恥ずかしくない桐のタンスを持たせてやりたい。祖母の父の想いが詰まった桐のタンス。100年以上持ち、リメイクすれば、もう100年使える本物の家具。戦争も共に乗り越えてきた祖母の宝物。しかし当時の自分では良さが全くわからず、とにかくそこら辺に売ってる2、3年で潰れてしまうような白い家具に憧れてしまってた。
祖母の哀しい目と、桐タンスと祖母の逸話で、嫁入り道具は「滅茶苦茶、大切な物」と言う事が幼いながらに深く心に刻まれた。
神様の水を飲んだ猫は、奥さんの嫁入り道具でうちに来た。だからマイケルを初めて見た時、あの桐タンスが脳裏に浮かんだ。人それぞれ縁がある物が違うから守ってくれる物も違う。祖母には桐タンス、うちにはマイケルさんだ。
移住し、身体も治ってきて、やっと少しずつ心が落ち着き始めた頃、マイケルに異変が起きてきた。元々強い猫ではなかったけど体調が明らかに悪くなってきた。外のコンクリートに身体を擦りつけるのが大好きだから夕方は、なるべく一緒に外で遊んだ。
やっとこれからなんだよー。やっとこれから始まるんだよー。やっとなんだよー。東京から帰ってくるときはどしゃ降りの嵐だったねー。揺れて怖かったねー。みんなでよく頑張ったねー。やっとだよー。やっとこれからなんだよー。中野でもこんな風に外で遊んだねー。ありがとうねー。やっとだよー。やっとなんだよマイケルー。やっとこれからなんだよー。
こんな話をマイケルにしたと思う。
ある日、夕方に帰ると、神様の水を飲んだ猫は、神様の所へ旅立ってた。ちょうど10年間一緒に暮らした。
どうしても遺骨を残したいから、市の火葬場ではなくてネットで業者を探すと、ハイエースの後ろを火葬出来る様に改造したペット葬儀屋さんが来てくれた。
365日、ほぼ毎日休みなくペットの火葬をしている人で、毎日、何体も亡骸を見るから、死ぬ最後の感情がわかるようになったという。マイケルの顔から感じた事を話してくれた。神様の水を飲んだ猫を焼いてくれた男は、丁寧に骨の説明をしながら長い時間をかけて骨壺に納めてくれた。
マイケルさんは随分と、小さくなってしまったが今も一緒に居る。
ROCKET/departureの一部
神様の水を飲んだ猫が爪を研いで
送り火に泣いたガルーダ 空に消えた
歌詞の中にも出てくるからライブでも一緒だ。ありがとうねー。
感情を文章にして、伝える面白い記事や、日記に出会うと、自分も東京から移住して感じた事、入院中に感じた事、痛んだ心や笑えた事を記録したいな、と思ってnoteを始めてみた。いろいろ書いてたら、コロナが始まって振り返るどころではない時期もあったけど、"神様の水を飲んだ猫"を書けて良かった。皆さま、まだまだ予断がつかない状況には変わりないけど、見えかけた物、感じた物をしっかり見据えて動いていこう。最後まで読んでくれて有難う。
やっとこれからだよー。
遠距離バンド存続のため、移動費、交通費に当てます。旅は続くよどこまでも