神様の水を飲んだ猫④
約二週間の入院で分かった事は、おかしくなる人は夜に動き出す。夜中に叫び出す人、勝手に病室から抜けて違う階に行く人、一度俺がいた部屋を開けて「みよこ、どこだ!」とみよこ探しの人が夜中来た。みよこさんは奥さんなのか、娘さんなのか、架空の人なのか。すぐに看護師さんが走ってくる足音が聞こえる。慣れた対応で連行されながら、名前を呼び続ける。「みよこー!みよこー、みよこ」だんだん遠ざかる声。静まり返った病室で目を瞑り、早くみよこさんに会えますようにと願い、眠った。
一から十まで 馬鹿でした
馬鹿にゃ未練は ないけれど
忘れられない 奴ばかり
夢は夜ひらく
様々な人をケアをする看護師さん、ドクターに頭が下がるばかりです。
手術の執刀医は静岡県出身だった。術後、終わりを待っててくれた家内に、「あ、奥さん、見る?旦那さんの肺」と言ってホルモンの様な切開した肺の一部を見せた強者。面白い人だった。
術前の診察中、静岡県で肺が破れたんですよと言うと、
「ははは、まるで、静岡県が悪いみたいに言わないでよ」
と笑顔で返してくる。でも目はきちんと診察してる感じだ。1日中何人も患者を診るせいか、何を言っても笑顔でフワフワしてて、常に自分のゆるいリズム感をキープして離さない印象だった。
術後数日経って、診察の時に思い切ってこれからの事を聞いてみた。自分はボーカルで、歌う事で人前に出ている。まだライブ、活動は続けたいが、歌を続けられるかどうか。医学的な意見をきちんと聞いておきたかった。というか気が弱っていたんだと今は思う。
「そんな事は気にしなくていいよ。君の肺は突然良くなったりしないが、今回破れた悪い所はきちんと縫ってある。また他の場所が破れる可能性はあるし、肺は二つあるから今度は逆が破れるかも知れない。でもこんな事で自分が大切にしている事を捨てる事はない。生活のレベルを落としてはならない。僕には分からないが、君にとって歌う事は長年続けた大事な事なんでしょ?今まで通りに生きて向上するのが一番だよ」
さっきまで先生の周りを包んでた、独特のゆるいリズムが消えている。
「破れる時はなにしても破れるからね、もしまた破れたら僕が縫ってあげるから大丈夫!」
何が大丈夫なのか、全然分からない。もしまた破れたらゾッする工程が口を開いて待っている。痛みを背負うのはこっちだ。でもこの時の先生の「大丈夫」には随分励まされた。大丈夫って気にさせてくれた。よし。また破れたらこの先生にお願いしよう。自動車が壊れてレッカーされて、良い修理工に出会った気分。ありがとう先生。もう一回やってみるわ。
車に乗って病院を出た。まだ身体は痛んでたし、いつもの何げない景色だけど、見えるだけで最高だった。家に着き玄関を開けると、足元を一瞬に駆け抜けて何かが飛び出してゆく。愛猫マイケル、神様の水を飲んだ猫だ。
扉が開くタイミングをずっと待って、開いた途端に飛び出す。飛び出した後はコンクリートに身をこすりつけてよじれながら遊ぶ。東京に居ようが三重に居ようがマイケルにとっては関係の無い事で、ただ純粋に毎日、自分の衝動にいつも正直だった。よく中野新橋アパートの前でも、こうして二人で遊んだ。最上階の端の空間は、誰も気にせず、野放しされるからマイケルは楽しくてしょうがない。下の道を行き来する人を好きなだけ眺め、カラスに向かって鳥語を真似して鳴いている。神様の水を飲んだ猫は、扉を擦り抜け自分の好きな場所に行く事が常だった。
一ヶ月半休んで復帰一発目は四日市でCONTRAST ATTITUDE結成二十周年ライブ。練習や、リハーサルで肺が破れるのが一番困るから、本気の声出しは寸前まで抑えていざ本番。
少し怖かったから、楽屋でメンバーに、肺が破れたらさようならやな!て笑って呟いてみたけど、ライブは気が狂った様に楽しく最高だった。
photo by sennachanel
2018.12.8 Contrast Attitude 20th Anniversary Day 1 @ 四日市 Club Chaos
有難い。東京で25年間ぶっちぎれたライブハウスに通い続けたおかげで、自分の衝動に正直で居られる。まだライブが出来る。そこに心が向かえる。突然ゴミ箱でどつかれたり、散々な目にあった時もあるけど俺はライブハウスが大好きだ。人の心と音がぶつかりあう空間。心が揺さぶられる瞬間は、何度味わっても、何年経っても最高だ。
ライブ後、肺が破れた時に見た、闇の薄ら笑いみたいな奴が、困った顔して遠のいて行った。
遠距離バンド存続のため、移動費、交通費に当てます。旅は続くよどこまでも