大企業づとめで得た人脈は、誰のものか
3月に大手新聞社を退職し、
5月から無名の再生可能エネルギーベンチャーに転職した。
会社を辞める前は、正直、失うものが大きいのだろうと思って、
飛び出すのは、ちょっぴり怖かった。
肩書きとか、名刺とか。
かつての同僚で独立した人は、「朝日新聞にいたこと」を持ち出すと、
「相手の態度が変わる」と言っていた。
やっぱり、肩書きって大事なんだなあと思っていた。
個人事業主になっていたら、確かに心細かったかもしれない。
セミナーひとつとっても、「会社」「役職」があることを前提にしているものが多い。
でも、今のベンチャーに移ってみると、
会社が無名であるかどうかは、あまり関係ないように感じる。
自分の力とか経験とか、自身で築いてきた人脈で生きている人が多くて、
そこからまた、新しいビジネスが広がっていく。
その人が今まで一緒にやってきた仲間や取引先からは、
過去の実績で信用してもらっている。
「次は何やってるの?」「この人がやってるなら面白いかも」という興味で、今の仕事も一緒にやってもらえるのだろう。
そういう仲間たちが、とても力強く見えるし、自分も自分なりに、できることをやりたいな、と思う。
一方で、自分自身がいま持っている人脈がなぜあるのか。
ということをたどれば、それは間違いなく、前職の新聞社時代に、
たくさんのチャンスをもらって、仕事をさせてもらったから。
辞める時、オンラインに入れていた名刺2500人ほどにご挨拶メールを送った。
返事が返ってきたのは1割弱だった。
Facebookでコメントをいただいた方も入れたら、2割ほどから反応があったかもしれない。
第二の人生を始める私には、十二分に過ぎる数の、仲間たちだと思う。
朝日新聞ではおつきあいしてくれたけど、
朝日新聞じゃなくなった私とは、お付き合いしてくれない人もいると思う。
当然のことだ。
楽しく仕事をしていくのに、必要なのは名刺の数じゃない。
楽しく仕事をできると、お互いに思える、信頼できる仲間の存在。
そういう仲間は、結局、社内だろうが、社外だろうが、
修羅場を一緒にくぐったり、同じ苦労をしたりして、肩書き以上の経験をともにした人たちだ。
かつて、ソーシャルメディアエディターという仕事をしていたとき、
当時、NHKを掘潤さんが辞めることになって、「自身が続けてきたツイッターアカウントを、辞めたら使えなくなる=会社のものだから」ということが、論議を呼んだのを覚えている。
会社の職務で、個人の個性で発信していたツイッターは、誰のものなのか?
アカウントにもよるけれど、私はこの場合は、個人のものだったと思っている。
サラリーマンをしていても、必ず、その人の個性というものはある。
個性が強い人もいれば、そうでもない人もいる。
自分の主張やキャラクターに重きを置く人もいれば、そうでない人もいる。
でも、仕事には、どこかに必ず、「その人らしさ」はある。
そして、どんな仕事であっても、
「その人らしさ」に支えられたり、支えたりして仕事をしている人がいる。
これからの時代は、その一人ひとりの個性がとても大事で、
それを生かせるかどうかで、会社を伸ばせるかどうかも決まっていく。
そんな時代だと思う。
それは、会社の「顔」として活躍したかどうかとか、
会社の偉い人になったかどうかとか、
そういうことではなくて。
その人が、その人だからこそ、できる仕事が、誰と響き合ったかどうか。
ツイッターでファンをつくる。
というのは、その典型的なもののようにも思う。
かといって、会社そっちのけで、自分がやりたいこと、自分の実績づくりばかりに奔走する人は、正直、好きじゃない。
そもそも会社は、サラリーマン一人ひとりで成り立っていて、
その集合体の人格。
よくも悪くも、「社会に対して、会社にとって何ができるか」に奔走する人の集まり(のはず)。
だから、自分のキャリアだけを考えて、
自分のための人脈構築をしているだけでは、
一緒に働く仲間と関係を続けることはできなくて。
「会社のおかげ」「肩書のおかげ」で仕事をしているけど、
会社とか、個人とかを超えて、
「長くつきあいたい」「またつきあいたい」と思われる仕事をできたら、
いい仕事もできるし、幸せなのかな、と思う。
会社を辞めて、失った人脈もあるのかもしれない(間違いなく、ある)。
でも、だからこそ、自分に残った人脈の大切さを、最近は痛感します。
新人の自分を育て、チャンスをくれた新聞社に感謝。
そこで築いた人脈資産をさらに育て、
これから、社会に還元したいなあと思います。
そう。仕事で築けた人脈は、社会のためのもの。
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