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Week15 質的研究論文の質の担保

こんばんは
ウミガメおばさんです
いよいよ質的研究についての
最後の講義になりました。

最後の講義

本日の講義項目は
1: 質的研究の分析から執筆まで( 分析の⼿順、データの整理、分析⽅法)
2:  質的研究論⽂の質を担保するには
の2点でした。2点目の「質的研究論文の質を担保するには」についてまとめた上で、自分なりに考えたことを書き残しておきたいと思います。

講義内容で印象に残ったこと

1 質的研究の質を確保するための従来の基準として(量的研究における) 厳密性は(質的研究においては)真実性である。  真実性は、明解性、信⽤可能性、移転可能性、確認可能性を通して判定される。修士論文については枚数上の上限があるが、著書であるなら、これらについて言及する箇所がある方がよい

2 真実性とは、事実通りか、意義のある詳細な描写・物語・景観図となっているか、方法論の適切性を確認するもの

3 明解性とは研究手段について、何をどうしたのか、明解に説明出来ているかどうかが問われるもの

4 信用可能性とは、結果がどの程度正しいのかということである。 研究者の発⾒は研究参加者の知覚に⽭盾していないか、 結果は研究参加者にとって意味があり、有⽤か、 研究は「間主観的(inter-subjectivity)な認識」を通して妥当といえるかが問われる。<分析でどのくらいの時間をかけられたかに、かかってくると先生は話されていました。>
 各⾃が他者を経験し、知り得る。それは各⾃が体験し、⾃分⾃⾝を知ることでなされるのではなく、共感と共存の感覚である。 最初のうちは、真実は特定の個⼈の独⾃の知覚と、⾃⼰知識に基づいている。個⼈が⾃⾝の、そして他者の世界に内在することで他者とのコミュニケーションが可能となり、間主観的な理解を促進させる。<この過程において、研究者の「成熟度」が増すとのことでした。読み込みの段階で、他者(調査対象者)と自己(研究者)を行ったり来たりするのですが、研究者自身を振り返ることにもなるため、知りたくなかった自分が見えてしまう(ふたをしていた心があらわになる)こともあり、心理的な揺さぶりをかけられ自責の念が出てくることもあるとのこと。ただし、この間主観的な理解を得るための、スパイラルなプロセスについて、論文の中にすこしでも記述されていると信用可能性は増すと先生は話されていました。>

5 移転可能性とは、 ある⽂脈における知⾒と結論が、似たような状況や参加者、他の⽂脈にも適⽤できるかが問われるもの

6 確認可能性とは、情報源から結果に⾄るまでの過程を辿れるかが問われるもの。 質的調査は主観性を認めているので客観性の到達は困難。 主観性を隠すのではなく、それを吟味し、傍らにおく<私という人間はこんなことを考えていて、だから、こう考えるのだ、という主観性があることを隠さず「吟味」する>

7  研究の質を確保する⽅略として、メンバーチェック、別の事案の探索、専⾨家による検討、トライアンギュレーション、監査に⾄る⾜跡の開⽰、濃密な記述、振り返りがある。

8 研究者が研究の場で過ごすことや、⾃分⾃⾝をその場に浸らせることが重要である

質的研究の質とは?

「質的研究論文の質の担保」というタイトルで講義をきいていて、質的研究の質が高いって、どういうことなんだろうって考えました。

わたしは「カメ」ですので、何をするにも時間がかかります。この文章も3日に分けて書いています。つまり、3日考えていることになりますかね?(笑)


甲羅干しするウミガメ

その中でたどりついたシンプルな答えが
「読んだ人に確実に届くこと」ではないかと思います。
「伝わる」だけじゃなく「届く」
そして届いたあとに、読んだ人になにかしらの「質的な化学反応」が起こる

「質的な化学反応」って言葉遊びみたいに聞こえるかもしれません。
こんなふうに考えました。

「届けようと思って書いた文章」の質が高ければ「受け取った人」との間にも「間主観的な相互作用」が生まれると思うんです。そうすると、受け取った人のこころやあたまや、・・・ひょっとしたらからだにさえ、なるほど、そうなのか、という驚きや感動が沁みわたっていくわけですから、そのひとになんらかの変化が訪れるのは必定だと思うのです。化学反応と書いたのは、「届けようと思って書いた文章」+「受け取ることができた人」=「数値では表現できない変化」と、これまたシンプルに式にできそう・・と思ったからでした。

講義中何度も出てきた「内在化」についても稿を改めて書きたいと思っています。

今日もわたしの課題に最後までおつきあいいただき、ありがとうございました。





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