ダメ人間のダメダメ放浪記
生活リズムを自分から破壊しに行ってしまう。おかげで休日は時間を溶かすことしかできなかった。もはやこのような事態は避けられないと悟り始めている。こうなったら溶かすという行為に多少のプラスな有効性を付与する努力をすべきかもしれない。時間を溶かした感想が「時間溶かした」の一言で片付いてしまうから時間を溶かした以外の意義がなくなってしまってるのではないだろうか?時間を溶かすというこれ以上下が存在しない史上最悪のプレミをなんかしら前向きな効果があるムーブに変身させることができれば労せず一歩前に進めるのではないか、そうに違いありません。詭弁ベンベベン(ターミネーター)アーーーノルド…屁理ク・𝙯𝙚𝙣𝙚𝙜𝙜𝙚𝙧(中山きんに君)
時間を溶かしたら「溶けたなぁ」のひとことで終わらせることなく、そこから能動的に何かを得にいく姿勢を心掛けたい。無駄でしかないようなひとときを自分の頭のなかでこねくり回してなんとか意義あるものにする(あるいは意義があると解釈、言い聞かせる)。それから逃げないことで少なくとも愚行の結果うず高く積みあがった不可逆な過失、おじゃまぷよみたいな過ちを消去して身動きが取りやすくなるでしょう。そもそも時間を溶かさなければいいじゃんと言われればまったくもってその通りで、一点の曇りもなく正しいんだけど、そんな自分はできた人間じゃねぇなって気づき始めたの!!うっせぇうっせぇうっせぇわ!
根本を断とうとするより上手に失敗する練習やリカバリーに力を入れるほうが現実的なんじゃないかと最近は思います。絵に描いた餅は役に立たないのですな。社会一般的な正論が自分にとっては机上の空論でしかないということをはじめて自覚したショックはなかなか大きく、かなりの絶望だったけど
「普通ができない自分」を嘆こうが悲観しようがそのまま人生は続いていくからどんなに醜くても非効率でもキモくてもダサくてもどこに向かってるのかわからなくても自分なりに蠢き続いてかなければならないのが現世(リアル)。
メンタルが落ち込んでる時くらい理由をあとづけして自分の都合の良いように解釈してしまえばいい。現状をよりよくしようともがくため、という動機があれば