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「おカネの教室」要約

こんにちは!

ここ3日間別のことで忙しく、投稿が滞ってしまっていました😭

今日取り返すべく4冊分まとめることにしました!(笑)まずは一冊目📚

この本は、中学生の2人の生徒にとある先生がお金についての授業をするという内容になっています。

まず、先生が生徒に対して「人の役に立つ仕事・立たない仕事は何か?」という質問をします。

それに対して、男の子の生徒であるサッチョウさん(あだ名)は、昆虫学者を役立たない仕事、パン屋先生を役立つ仕事として挙げます。
それに対して、女の子の生徒であるビャッコさん(あだ名)は、高利貸しパチンコ屋地主を役に立たない仕事として挙げます。

実は、ビャッコさんは、お父さんが高利貸し・パチンコ屋を営み、おばあちゃんが地主であるというお金持ち一家の娘なのです。しかし、とあることからお父さんやおばあちゃんの仕事に不快感を抱いています。

一方、先生は銀行家サラリーマン売春婦を役に立つ・立たないの物差しで見てみようと提案します。

まずは、銀行家。銀行家は、お金が余ってる人の増やしたいという願望、お金が足りない人の借りたいという願望、この二つを結びつける存在として”役立つ”仕事だと思われる。

しかし先生は、銀行家が人の役に立たない、むしろ害となった歴史があると言います。
それが、“リーマンショック“です。

皆さんは、リーマンショックが起きたのは何故だったかすぐに言えますか?
私は、ローレンバフェットについての映画を見たことがあるのでそこで学びました。

リーマンショックは、アメリカの銀行が所得の低い人たちに自力では返せない金額の住宅ローンを貸しまくる→ローンを返済できない人が急増→しかし、その住宅ローンは証券化という方法で取引自体を世界中の投資家にばら撒いていたということが原因で起こりました。

ゴミみたいな商品を何兆円といった単位で取引していた、と先生は言います。

有能であるはずの銀行家がなぜそんな愚行を犯したのか?と思いますよね。
しかし、銀行家は銀行ではなく、あくまで従業員なのだと主張します。

銀行家は、ローンの価値があるか・ないかではなく、ローンが売れるか・売れないかということを重視するのであり、自分にボーナスが入ることしか考えてないのだと。

もしその後銀行が潰れそうになっても国の援助が入るため、多少銀行家も損するものの、大損はしないということなのです。

この国の援助とは、税金で賄われています。税金を蝕む存在として、先生は銀行家のことをダニ集団と呼びました。

なぜ先生はこれほど銀行家のことを嫌うのでしょうか?
→実は、先生はもともと銀行家であり、そのビジネスの仕組みに嫌気が指し、銀行家をやめた人だったのです。

次に、売春婦についての話になります。
(多少中学生にとってはわかりにくい話かもと思ったのですが笑)、先生は売春婦のことは“必要悪“な存在と言います。

つまり、この世から無くすことはできないのに建前では根絶すべきという矛盾を抱えている、というのです。

したがって、売春を“なくそう“と思うのではなく、必要悪と認めて最小限に抑えることが必要なのです。(働く人の人権と健康を守る、人身売春を防ぐ、収入を把握して税金をとるなど)

パチンコ屋についても基本的に売春と同じ考え方で捉えます。

では、サラリーマンはいかがでしょう?

これは、生徒のサッチョウさんが非常にいい意見を出してくれています。サラリーマンは、“会社によって役立つ仕事かそうでないか“が決まる、というのです。確かに、リーマンショックの時の銀行家ではないような“本当に人の役に立っている銀行家“も存在します。したがって、サラリーマンは一概に定義できないのです。

次に、先生はお金を増やす方法について、“かせぐ“、“もらう“、“ぬすむ“、という3つの方法を紹介します。ここで、この3つの言葉は普段私たちが日常で使う意味とは違う意味で使われています。

例として公園でのゴミについての話があります。公園で自ら他の人のゴミを拾い、ゴミ箱に捨てに行く人を“稼ぐ人“、自分で捨てるゴミは自分でゴミ箱に捨てることができるのが“もらう人“、ポイ捨てをする人を“ぬすむ人“と呼んでいます。

特に気になるのが“ぬすむ“人の存在ですが、生徒2人と先生はここで工場見学に出かけます。
工場見学では、知的障がい者の人たちが働いている工場に行きますが、そこでは知的障がい者の人の強みを生かした作業(長時間の単純作業=知的障がい者の人たちはこういった作業が得意なんだそうです)で生き生きと働いている人たちがたくさんいました。

このような人たちが生活保護として政府からお金を受け取ることは“ぬすむ“の行為ですが、悪と言えるのでしょうか?先生はそこが問題の核ではないと言います。“かせぐ“から偉いのではなく、どんな人も社会においてそれぞれの役割を果たす、持ち場を守るということが大切なのだと言います。これは抽象的な表現ですが、のちの話で意味がわかってきます。
(先生は生活保護を不正受給している人について言及していますが、それの防止にお金をかけるのはバカバカしいし、ほんの一握りの人なので放っておきましょうともいっています)

次に、先生はお金の借り方についての講義をします。

先生は、生徒2人に対して「先生から100万円を借りる方法を考えなさい」という課題を出します。生徒2人は必死に考えますが、頭のいいビャッコさんは、「中学生で稼ぎのない私たちにとって、100万円を借りることはリスクが高く、いいことはあまりない」と考えて、先生にそう伝えます。

その回答に対し、先生は「素晴らしい!」と。100万円を借りるときには利子がつき、その利子の上限は法律で決まっている15%。昔には、30%、40%の利子がざらにあったみたいです。

最近よく聞く“過払金訴訟“。これは、15%の法律ができる前、30%・40%の利子で借りた借金についての15%を超える利子を返してもらうことができるというものだそうです。(知らなかった、、)

先生は、お金を増やす方法である銀行預金・不動産・株式のうち、特に株式の投資について、これは“かせぐ“方法なのか“もらう“方法なのか?という質問をします。

これに対し、サッチョウさんは先生の友達(銀行員時代の友達で、生徒2人は訪問したことがあります)の言葉を引用し、「投資は未来を予測しお金を貸すという“神の見えざる手のお手伝い“であるから、経済への貢献度を考えればかせぐに値する」と答えます。

素晴らしい答えですよね(笑)私だったら中学生の時にこんな答えをできる自信はないです(笑)

以上の話から考えていくと、高利貸しは“もらう“という人のグループの中で、お金を借りたい人に対し、返すことが不可能であるような利子をつけてお金を貸すため、“役立たない“仕事だという結論に至ります。

(これが、先ほどいった“それぞれの役割を全うすることが大切“という議論にもつながっていきます。不正に人の弱みにつけ込むようなことはしてはならない、というのです)

このような話をもとに、お父さんが高利貸し・パチンコ屋であるビャッコさんは、お父さんにプレゼンを行いそのようなビジネスを止めるよう説得します。

ここで、物語の中でちょこちょこ影を表していたある謎が解決します。それは、実は先生はビャッコさんのお母さんからの依頼によってビャッコさんにこのような授業を行なっていたのです。また、お父さんもそのようなビジネスからは撤退することを既に決めていたのだそうです。

そして、お父さんと先生は古くからの旧友であり、今後一緒にビジネスを行い、いわゆるベンチャー企業の投資を行う会社を作ろうと計画していたのです。(ハッピーエンド☺️)

以上がこの本の大まかな要約になります。

この本は、中学生に講義するという内容なので、難しい概念の説明も一からされており、非常に読みやすかったです。しかも、一人一人のキャラクターがとても丁寧に描かれているので、要約ではなくちゃんと原作を読んだ方が全然面白いです(笑)

大学で経済学の授業を受けるときは、突然専門的な概念から始まったりすることが多々あって授業が楽しくなくなっちゃうということがあるあるなんですよね、、
こんなふうにわかりやすく説明してくれる本は大好きです!w

今日は他にも投稿をしようと思っています!

ではまた😎👋

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