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言葉の持つ『力』

子供の力は凄い。

幼少期、大阪の高槻市に住んでいた。そこは、田舎と都会の良いところが合わさった「素敵な場所」だった。
家の近所は山に囲まれていて、自然がとても豊かだ。車で10分ほど行くとジャスコや道路沿いに色々なファーストフード店などが立ち並び、プールや図書館、大きな公園などもあって遊びには困らなかった。

4歳になって自分で幼稚園を選んでいいと母に言われたので、私はかしこまった私立の幼稚園では無く、「泥んこになれる」というキャッチフレーズが魅力の幼稚園を選んだ。
思っていた以上に素晴らしい幼稚園で、園内に田んぼがあってカブトエビがわんさか採れた。

生まれた時から、「生き物」が大好きで図鑑の本をよく図書館で借りては夢中で生き物の名前や見た目を観察し、読んでいた。幼稚園に「カブトエビ」が存在すると知った時、ものすごく嬉しくて堪らなかったのを覚えている。

他にも幼稚園内には桑の実があって、おやつに食べたり。園内にある葉っぱから染色して服を青色に染めたり。秋には柿を取って干し柿にしたり、山にサツマイモを取りに行ってみんなで焚き火をしたりした。

私が、何より張り切った行事が「運動会」だった。体育が特別得意な子では無かったけれど、体を動かして人間の限界を知る事にワクワクしていた。話の流れのとおり、得意では無かったので運動会の前日、私はお風呂で自分の体を洗いながら

「君(足)なら大丈夫!走れる!どんどん走れる!しかも速い!」

「君(足)なら明日1位を取れるよ!信じてるよ」

と言い聞かせた。なんなら寝る前に、足を壁にべったりとくっつけてL字になって足をずっと見つめながら

「君の可能性を信じてるからな!鳥より速いもんな」

と念を押すくらい身体の可能性を私は信じた。

運動会当日。やっぱり私は速かった。なんなら周りの人間の動きが止まって見えるくらい遅く思えた。体育ができない自分を忘れてしまうくらい速かったので先生や周りの友達に「足速かったんだね。知らなかった」と言われた。

その時から「言霊ってあるのかもしれない」と、思う様になった。

私が「わたし」自身を信じて言葉をかけてあげる事で、思いもよらないくらいのエネルギーやパワーが発揮される。

この特性は人間だけのものなんだろうか。

野生の動物も「食べられたくない」と肉食動物に対して思ったら、強いエネルギーを発揮するのだろうか。

そして私たちが生まれてきた時にも「選ばれたい」「生まれてきたい」といった感情はあったのだろうか。

意志はいつ頃芽生えるものなのだろうか。

死んだら、意志や思いは引き継がれていくのだろうか。

私はもっと知りたい。それが「正解」である必要なんて無い。

ただ、私の中にあるパズルのピースがうまくハマって、(もしかしたらそうなのかもしれない)と納得したいだけなのだ。

FIN

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