四十にして惑わず、なんて無理。『WORKIN' HARD』を聴いて吹っ切ろう♪
この一年と数ヶ月、『人生の迷子』になっていた。
40どころか、とっくに齢60を過ぎているけれど、惑わない人生なんて無理…。
50歳で東京を離れて故郷に帰り、父を送り、母を送り、愛犬達を送って、気づけば60代に突入。高齢の両親を看取るために帰郷したのに、結果的には「あの時ああしていれば…」「もっとああしてあげればよかった…」と、幸せな最期を迎えさせてあげられなかった後悔ばかり。連れ帰った2匹の愛犬達への思いも同じ。
特に、母と最後の愛犬がひと月違いで立て続けに逝き、心の拠り所を一気に失ってから、精神がふわふわと漂い、彷徨う日々が始まった。どこに行っても、何をしても、埋められない大きな大きな虚無を抱えて暮らして来た。
正直、最後の家族を亡くした昨年1月からの記憶が薄い。何をして来たか、あまり思い出せない。何をやってもうまくいかず、満たされず、病気にもなり、生きて行くのが面倒になるくらい全ての意欲を失いかけていた。
それでなくとも、仕事がない、娯楽が少ない、親戚も友人もいない…と、ないない尽くしの田舎の一人暮らし。
大好きな石垣島に行っても、京都に行っても、気が晴れない。新しいメニューを考えて作っても、まるで身につかず、毎回レシピを見ないと作れない。もう前に進むことは出来なくて、このまま後退して終わって行くのかな。こんなダメ人間だったかな。諦め、虚しさ、悲しみ、憂鬱、絶望…。
そんな中、毎日毎日、大好きな藤井風くんの音楽を聴いて心を鎮めて来た。彼の博愛と、達観した老成っぷりと、それと相反する無垢な幼さに惚れ惚れする。紡ぐ言葉も、音楽も、声も、奏でるピアノも素晴らしい。
その彼がアジアツアーのドキュメンタリーの中で語っていた「最近、以前より自分らしくいられるようになった」という言葉が、新曲『WORKIN' HARD』を聴いて腑に落ちた。以前、彼は「他人に自分を受け入れてもらえるかが不安な小心者」だと自らを評していたけれど、ようやく自信を手に入れたんだね。
それは、緊張感がビリビリ伝わる武道館から、ホールツアー、スタジアムと経験を重ね、アリーナツアーではリラックスした表情を見せるようになり、アジアツアーでは自由気ままな振る舞いをし…と、LIVEで見せた変化に如実に現れている。
アリーナツアーの「彼自身がステージ上で率先して楽しんでる雰囲気」は、観客をとても温かい気持ちにさせた。客席から身内の音楽発表会を見守る親族の心境。と言っても、パフォーマンスが圧巻過ぎて、感動の嵐なんだけれど。肩肘張っていない、つまり、風くんの自然体は最強ってこと。
『WORKIN' HARD』のMVを何度も観て、歌詞を読み込んで、ダウンロードした曲をループで聴き続けている。
「子曰(のたま)わく、吾十有五(じゅうゆうご)にして学に志し、三十にして立ち、四十にして惑わず、五十にして天命を知る、六十にして耳従(したが)う、七十にして心の欲する所に従いて矩(のり)を踰(こ)えず。」
彼はすでに七十の境地に達しちゃってるかも。
お陰様で、心が少し上向いた。そうだね、わたし、頑張って来た。出来ることをコツコツ続けてみよう。生きている実感を得られるような暮らし方をしよう。風くんのLIVEにまた行けるまで頑張ろう。
26歳の青年の音楽に励まされて、生きる希望を再び見出した60代。
孔子より、藤井風。わたしの師匠は藤井風。