育児と科学は相性が悪い 知育エビデンスに振り回されない子育てをしよう
初めに誤解なきように説明しておくと、私は自然科学系の大学・大学院(修士)を出ているので、科学を否定する立場ではありません。むしろ科学大好き人間です。初めての子育てをするなかで、育児と科学は相性が悪いなと感じることがあり、少し書いてみた文章です。ご興味あれば読んでみてください。
子どもがいたらどうしても目に入ってくる、知育や幼児教育の話。家の近くにはいくつか教室があるし、本でもウェブでも「知育におすすめ」とか「幼児教育が大事」とかいろいろ出てくる。
私自身、知育が気になって本を読んだり、いわゆる知育おもちゃを買ってみたり作ってみたり、保育園に入る前にベビーパークに通ったりした。
しかし、生後半年も経った頃には違和感が強くなっていた。知育や幼児教育、なんかモヤモヤするぞ?
自分の子が知育のプログラム好きで、自分からどんどん指先遊びをしたり、絵本を読んだり、身体を動かすならいい。でも、おもちゃで遊ぶより外に行きたい子もいれば、絵本を読むよりアニメが好きな子もいれば、動くよりおとなしく遊んでいるのが好きな子もいる。
小さい子は好き嫌いがはっきりしてるので自分がやりたくなければギャーンと抵抗する。知育のプログラムが嫌ならギャーン。これはどう説明したらいいのか? モヤモヤ、モヤモヤ……。
⚫︎エビデンスと自分の子は別物と捉えないといけない
知育や幼児教育をうたう宣伝文句は、エビデンスを示してくる。
・脳は3歳までに80%完成する
・教育投資効果が最も高いのは幼児期
・知育玩具で非認知能力が向上する etc
エビデンスとは科学的根拠であり、科学的な手法に基づいて調査研究し、科学的に確からしいと考えられるものである。脳は3歳までに80%完成するというのはエビデンスがあるので(多分。原著はあたってないけど)、それ自体は概ね正しいと扱ってよいのだと思う。
しかし、自分の子の脳が3歳までに80%完成するかはわからない。
科学は広い視点から俯瞰的に「概ね確からしい」結果を出すけれど、個別のケースが「概ね確からしい」集団に当てはまるかはわからない。
科学のうち、自然科学は因果関係を導き出すが、人文科学が因果関係を導き出すことはほとんどない。多くは相関を示すのみだ。発達心理学も教育経済学も、相関を見ているのであって因果があるものではない。
例えば、東大生の多くがピアノを習っていたからといって、ピアノを習っていたら東大に入れるわけではない。
幼児教育については追跡調査があるから、幼児教育を受けていると非認知能力が高まる人が受けていない人に比べて多いのは事実。でも幼児教育を受けても非認知能力が低い人はいるし、幼児教育を受けていなくても非認知能力が高い人はいる。科学はそこを捨象してしまう。
エビデンスの説得力は強力で、エビデンスがある=正しいと思ってしまう。正確には、科学が示すのは「概ね確からしい」ことであり、常に概ね確からしい集団に入らない個別のケースを無視してしまう。
そして自分の子がどの集団に入るのかわからないし、人間は揺らぎがあるので昨日はメインの集団に入っていたが、今日は入っていないかもしれない。
親に科学的リテラシーがあったとしても、知育や幼児教育のエビデンスが示すことと目の前の子どもの言動の乖離に戸惑うんですよ。エビデンスに沿っていないのは正しくないのではないか、と不安になってしまう。
⚫︎マウスとヒトの比較で考えてみる
院生時代、マウスで実験していたことを思い出した。遺伝的バックグラウンドや生育環境が画一化されたマウスでさえ、実験を行えば100の結果を出すマウスも10の結果を出すマウスもいる。100の結果を出すマウスはチャンピオンデータとして扱われる。同じ環境に置いても東大に入れる人もいれば高卒の人もいるのと同じ。
ある介入をすると100の結果を出すマウスが増えるかもしれない。でもその時でさえ10の結果しか出さないマウスはいる。幼児教育をすると東大に入る人が増えるかもしれないが、高卒の人もいる。
人はマウスとは比べ物にならないほど交絡因子が多く、エビデンスが何からの因果関係を示すことはほぼない。エビデンスと謳っていたとしても相関を示すのみ。
⚫︎エビデンスがあるから幼児教育するのではなく、子が好きだから知育を取り入れる
だから「エビデンスがあるから幼児教育をする」というスタンスは、自分の子が例外の群に入った時に受け止められなくなる可能性がある。
例えば「小学校受験をした方が生涯年収が高くなるというエビデンスがあるから小学校受験をする」(そんなエビデンスがほんまにあるのか知らんが)というスタンスを取ってしまうと、小学校受験に落ちた時、この子の生涯年収は下がるのかという話になる。そんなことは5, 6歳時点ではわかりません。公立小育ちでも億プレイヤーはいます。
繰り返すが、エビデンスが示すのはメインの集団(小学校受験→年収大)であり、分布の端にいる例外を無視してしまう。
子どもが楽しそうだから、子どもが喜ぶから、絵本を読んだり、指先遊びをしたり、公園で遊んだりする。子どもが好きだから、知育を取り入れる。
ここが崩れてしまうと親も子もしんどくなってしまうと思う。親は知育をさせたくても知育玩具を出した時に子がイヤー! チガーウ! と反発するのであればそれは違うのであって、子の好きな遊びをしてあげてほしい。今日もマンションの廊下から「習い事行きたくないー!」という泣き声が聞こえてきた。行ったら楽しそうにやるのかもしれないが、泣いてまで抵抗する子どもの要求を受け入れられるか、親が試されている。小学校受験で子どもが蕁麻疹を発症しているならそれは違うのであって、子の好きなことをさせてあげるべき。
「子どものため」と思って幼児教育に取り組んでいるかもしれないが、実は「親のため」になってないか? 今後常々問い続けないといけないと思う。
自分の子の育児についてはエビデンスと距離を取り、目の前の子の要求をしっかり満たしてあげたら十分なのではと思う。
私が知育や発達より愛着形成の方が重要と考えているのは、個別具体のケースに集団を相手にしたエビデンスを当てはめるのは無理があると考えるからだ。
⚫︎エビデンスが必要なのは集団相手の教育政策
では、エビデンスは不要なのかというと全くそうではない。科学は集団のデータを解析するものであって、学校教育など子どもの集団を考える時にはエビデンスベースで考えないといけない。
この辺りは『学力の経済学』という本に詳しいので興味ある人はどうぞ。kindle unlimitedなら無料で読めます。
⚫︎エビデンスの話をしている人を見極める
知育や幼児教育についてエビデンスは、親を不安に陥れる可能性がある。そのことに自覚的な人は丁寧に発信している。
多くのウェブ記事やX(旧Twitter)での発信はそこまで配慮されておらず、「幼児教育がいいというエビデンスがあるよ!」「こんなおもちゃが知育にいいよ!」程度の内容である。こういう話は皆聞きたいからPVが伸びるし発信する人を止めることはできないが、受け手は「自分の子がエビデンスに当てはまるかどうかはわからない」としっかり自覚しておくのが大事。でないと「知育おもちゃで遊べないのは発達に問題があるのかな…」など本末転倒な不安を抱えてしまう。
例えば私が触れたなかで、エビデンスは親を傷つけることがあると自覚し丁寧に発信している人はこの2人。
①ふらいと先生
小児科医、新生児科医。メールマガジン(Letter)でエビデンスの話をしているが、反例についての言及が多い。例えばひとり親家庭の子どもは精神疾患リスクが高いことを紹介した後で、臨床現場ではひとり親家庭から元気に活躍する子が出ていることに触れる。
②助産師HISAKOさん
YouTubeで役立つ動画多数。ただの助産師ではなく、12人出産・育児している経験もあり、発達障害のお子さんもおり、発達の凸凹に関する理解が最高級。なので親に向けた言葉の選択に細やかな配慮がされている。
今回書いた話って、当たり前っちゃ当たり前のことで多分読者の多くがわかっていることだと思うのだけど、科学のバックグラウンドがある私でも(だからこそ?)モヤモヤ感じたので整理してみました。自分のために言語化したような感じですね。
ということで育児と科学の相性は悪い。エビデンスに振り回されず目の前の子をしっかり見て育児しましょう。
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≪終わり≫