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日記:3/23(後悔)

 人として生きている限り、後悔は絶えない。あの時ああしていれば。そんな感情はいつも僕らに付き纏う。

 もっとあの人に感謝を伝えておけばよかった。もっとやりたい事をやっておけばよかった。逆に、あんな事しなければよかった。後悔とは人の根幹である。後悔がなければ人間は過去を顧みない能無しに成り下がってしまう。

 22年と少しの僕の人生も、既に後悔に満ちている。中学生の頃、もっと自分の好きを追求すればよかった。高校の頃、無理せず少しずつ勉強すればよかった。卒業後、夢から逃げなければよかった。

 後悔は刻一刻と生産される。今朝ダラダラしてしまった時間を勉強に充てればよかった。または、こんなnoteを書いている時間で新しい何かをインプットした方がいいかもしれない。

 人間は後悔から逃れられない。だからこそ、一つ一つの後悔に意味を持たせ、またはそもそも後悔しない様にしなければならない。つまりはこうだ。

 一つ:同じ類の後悔を繰り返さない事。二つ:後悔しない様に先回りすること。

 一つ目に就いて。人間は普く愚かなので、どうやっても同じ過ちを繰り返す。しかしそれらを人の性だと甘受していては、成長は望めない。一度失敗したことからきちんと学ぶこと。

 僕はずっとやりたい事ばかり募って何もできない子供だった。行きたいところがあっても躊躇った。欲しいものがあっても黙っていた。その結果が、何も無い空っぽの人間の出来上がり、だ。音楽が好きだからCDを買いたい。ライブに行きたい。その程度のことさえ口に出してはいけない気がして、延々と同じ曲をイヤホンで聴いていた。作曲したいと思っても、何の努力もせず、ただいつか出来るだろうと漠然とした自意識で漂っていた。勉強に関しても、自分はやればできるのだという根拠のない自信だけがあった。

 結局僕はあらゆる事から逃げて、何も持ち合わせていない人間になってしまった。作曲できる、勉強できる、そう宣うのは結構だが、それでいて何もしない人間はどんなに拙くても手を動かした人間に敵いやしないのだ。行動した人間全員が成功する訳ではないが、成功した人間は皆行動を起こしている。後者にならなければならない。幸いな事かは分からないが、僕にはやってしまった事に対する後悔は殆ど無い。いつもやらなかった事を悔いている。躊躇ったら、やる。興味があったら、まず飛び込んでみる。やればできるではなく、手を動かす。それが僕の人生の命題だ。

 二つ目。後悔しないように先回りするとは、一つ目の話と半分重なっている。同じ後悔を繰り返さないように先回りすること。ただここでは取り返しのつかないことに対する後悔を和らげることについて書く。

 安直だが、人の死は不可逆で不可避な出来事である。親しい人が死んだ時、人は皆後悔する。もっと優しくしておけばよかった。もっと話しておけばよかった。

 例えば、親の寿命はたいてい子よりも早く来る。親孝行したい時に親はなし、とは本当のことだろう。だから僕はなるべく親孝行したい。いつか親が死んだ時に取り返しのつかない後悔をしないように。

 また自分だっていつ死ぬか分からない。明日余命宣告を受ける可能性だってある訳だ。そうなった時に僕は生きていてよかったと思えるだろうか?悔いの無い人生だったと本当に思えるだろうか?メメント・モリではないが、自分でさえも急に終わることを忘れないで生きていたい。死ぬ前になるべく楽しいことをたくさんしたい。美味しいものをたくさん食べたい。たくさん学んで、多くを知りたい。

 いろいろ書いたが、一番大きな後悔は、生まれてこなければよかったという後悔だろう。僕の中のそんな後悔でさえも消し去れるような人生にしたい。自分の人生を操れるのは自分だけだから。

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