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ヨルシカを聴けない。
俯いたまま大人になって 追いつけない ただ君に晴れ
僕はヨルシカを聴けない。
僕の青春はヨルシカとn-bunaさんの音楽で出来ていたと言っても過言ではない。友達がいない中学生の頃、n-bunaさんの曲に出会った。こんなにも美しい曲がこの世にあったのか!と思い、毎日家に帰ったらパソコンで彼の曲を聴いた。当時はアルバムを買うお金も無かったので、違法サイト(やめよう)でダウンロードしたアルバムを受験期もずっと聴いていた。音楽が好きだなんて家族にも友達にも言えず、ずっと一人でイヤホンをしていた。いつか彼のような音楽をつくりたいと思った。
音楽を聴きながら勉強していたら志望校に受かった。が、友達は全く出来ず、毎日イヤホンをつけて教室の隅で一人休み時間をやり過ごしていた。登下校中も、弁当を食べる時も、家に帰ってもずっと彼の音楽を聴いていた。活動を開始したヨルシカの曲も貪るように聴いた。歌詞を暗記して、何年も弾いていなかったピアノにも再び触れた。
n-bunaさんのツイキャスやYouTube Liveをmp3にして、何百回も聴いた。少し高くて掠れた声や斜に構えた思想が大好きだった。ファンからの人生相談の答えはいつも、「君も作曲しよう」だった。だから僕は音楽を始めた。ギターを買って、スコアを買って、練習もした。
ずっとあなたになりたかったんだ。あなたの詩を真似た。あなたの曲を真似た。あなたの好きな本を読んで、あなたの好きな映画を観た。だけど、追いつけなかった。僕はいつのまにか大人になっていた。
当時の僕の頭の中には常にアイデアが溢れていて、それを書き留めておくので精一杯だった。一年か二年で100曲以上作ったが、その多くは自分では認めてやれない駄作だった。もう音楽なんてやめようと思った。ピアノもギターもなかなか上手くならない。n-bunaさんの音楽は僕を救った。でも、僕の音楽は誰かを救えるだろうか?とてもそうとは思えなかった。僕は音楽から離れた。
2023年2月8日、ヨルシカのライブ「前世」に当選した僕は、年明けからヨルシカを聴いて脳をチューニングしていこうと目論んでいた。しかし、僕は気づいた。ヨルシカが聴けない。あんなにも頭に染みついた曲たちが、聴けない。イヤホンを耳に差して再生ボタンを押しても、イントロだけで脳が拒否反応を出すのだ。どうして?僕は自分の中の大切なものを失った気分だった。もう一生ヨルシカを聴けないのだろうか?これが大人になるってことか?
結局ライブ当日までヨルシカの曲は聴けなかった。こんなんで本当にライブを楽しめるだろうか。武道館に着いた僕は不安でいっぱいだった。怖かった。ヨルシカは青春の残渣でしかなく、大人になった僕には、まるでモスキート音のように、もう聞こえなくなってはしないか。
19:00、ライブが始まった。最初の曲はなんだろうか…?
HOWL!!
何百回も聞いた遠吠え。それに続く何百回も引いたギターリフ。suisさんが歌い出す前に、僕の目からは涙が流れていた。何年間も憧れたあなたが、目の前のステージで、ギターを弾いている。曲と声だけを知っていたあなたが、僕の神様だったあなたが、目の前にいるのだ。
大人になりたくないのに何だかどんどん擦れてしまっていて
青春なんて余るほどないけどもったいないから持っていたいのです
今まで数えきれないほど聞いた歌い出しは、僕のために書かれたみたいだった。大人になんてなりたくなかった。溢れるくらいの青春が欲しかった。あなたの曲を聴いて、あなたが描いた季節の中にずっと居たかった。余るほどもない僕の青春は全て、あなただった。涙が止まらなかった。
何千回聴いた曲たちが次々に演奏されていく。「言って。」のギターリフ。「靴の花火」のソロ。「左右盲」のアコギ。全てが僕の青春だった。ひとりで下校した夕暮れ。騒がしい昼休み。憂鬱な夜中。早朝のコンビニ。あなたの音楽とともにあった日々の記憶が、全部が蘇ってきた。僕は泣きながら走馬灯を見ているみたいだった。
最後に「春泥棒」のラスサビでクラッカーが発射されても、まだ涙は枯れていなかった。僕の神様が逆ピッキングでギターを弾いて、あの冷たい声で朗読をしていた。2時間ほどのライブは泣いている間に一瞬で終わった。多分あの日武道館で一番泣いていた自信がある。普段は泣かないのに。
祖父が死んだときでさえ泣いた振りをして
人の気持ちがわからないなんて言い訳 僕が駄目なだけだ
ずっと音楽に恋をしてきた。でも僕は感受性が豊かな方ではないから、音楽を聞いても涙を流すことなんて一度もなかった。なんて冷たい人間だ!その事実を信じたくなくて、必死に目を見開いて涙を流そうと努めたこともあった。だけどやっぱり涙は出てこなかった。こんな人間に音楽なんて作れやしない、と思い込んで生きてきた。だけど。
あの日、あなたの音楽を目の前で聴いて、僕はやっぱり音楽が好きだと気づいた。
その後、僕は引きこもったり自殺未遂をしたりして、今やっと精神が安定してきた。鬱の時には音楽が聴けないが、今は新しい曲を貪るように聴いている。作曲もちゃんとやるようになった。昔よりはアイデアが出ないけれど、自己の断片をつなぎ合わせて形にしていく。楽しくて仕方がない。僕は気づいた。
音楽を作ることは作曲者自身を救う。
思えば5年前、初めてリストカットをした夜、僕は気づかぬ間に詩を書いていた。初めての創作。あれは僕の気持ちが溢れ出したものだったのか。未だに僕は溢れ出す感情に対処できない。それを音楽という形にしていく。そうやって生きていこう。あなたにはなれない人生だったけれど。
もう一生、後悔したくない僕らは吠えたい
負け犬が吠えるように生きていたいんだ