なぜ救いがないのか
今日LinkedInにいらっしゃる監督Rionne McAvoyさんの映画を新宿のk'sシネマへ観にいきました。タイトルは『取り残された人々:日本におけるシングルマザーの苦境』で、こちらはドキュメンタリーです。
昨夜、偶然記事をお見掛けし、今朝、母の病院の予約を変更してシネマに向かいましたが、残念ながらチケットは数分前に完売でした。慌てて向かうより先にチケットを抑えるべきでした。
どうしても観たかったのは、外国の監督さんに日本女性の苦境を作品にしてもらえたからです。
これはもう感謝しかありません。
この作品は、国際映画祭で17部門を受賞されており、上映は明日までだそうです。
こうした問題は、国内だけではどうにもならないと思っています。
国外の人も含め、少しでも多くの人に関心を持ってもらえたなら嬉しいです。
わたしは「働き方」を変えたいと動いていますが、ここに「女性」を付けると、日本ではとても動きにくくなりますし、厳しいお言葉を頂くことが少なくありません。
もちろん、わたし自身は性別の括りで何かを考えたことは無いのですが、それでも、日本の女性の貧困が深刻であることは明らかです。
その中でも、一度シングルマザー(もちろんシングルファザーも大変ですがここでは女性に限らせて書かせて頂きます)になると、幼い子どもを抱えた状態で、予期せぬ世界へ放り込まれてしまいます。
聞いたことはあっても、誰もその先で何が起こるのか本当のところは知らないままシングルマザーになっていきます。そして、一度そこへ入り込むと本当に出られなくなるのです。
しかも、それは子どもが生まれない、このままでは国が滅びてしまうと嘆かれるこの国で起こっていることです。
わたしは一昨日、名古屋で行われたチャリティーに参加しました。チャリティーの目的は「子ども食堂」への寄付です。今では子ども食堂という言葉は誰でも知っています。日本中、至る所にそうした活動をしていらっしゃる方がいらっしゃいます。
けれど、それは多くの子どもが貧困に巻き込まれているという事実でもあります。
子どもたちが貧しいのです。
こうした活動で、不毛だと感じるのは、豊かな暮らしをしている人たちにはこうした声は届きにくいということです。
この問題は、古くて新しい問題です。
半世紀以上続いてきた問題であり、
「世帯」で動く社会だからこそ起こる問題でもあり、
見えにくい問題でもあります。
その「世帯」から一度抜け落ちた人たちは、働く場がみつかりません。
それが、日本のメンバーシップ型の強さであり、表現が強すぎるかもしれませんが、その型から一度はみ出した人に手を差し伸べない厳しい仕組みです。
シングルマザーとお話しをする機会があります。そうした人たちは外からは問題が見えにくいのです。一見すると皆さん、穏やかで幸せそうにさえ見えます。けれどお話しを聞くと、想像もできないほどの環境で暮らされています。
とにかく、まともに働けません。
働いてもまともな賃金を受け取れません。
一昨日もそうした女性とお話しをしました。
けれど、誰も社会が悪いとは思われません。
誰を責めることも無いのです。
なかなか書きにくいのですが、それでも、日本では一度主婦になるとまともに仕事を探すことができなくなります。もちろんパートであれば探せますが、それは暮らしていけるような働き方ではありません。
「主婦のパートは何年働いても最低賃金の周辺」という働き方が、なぜこの国で問題にならないのか、真剣に考える必要があると思っています。
そうでなければ、女性にとって、子どもを産むことや、子どもを抱えての離婚は、リスクでしかないのですから。
労働人口が減ってきたのだから、こうした問題はやがて解消されると思われがちですが、決してそうではありません。
この国の働き方の形そのものが変わらない限り、この負の連鎖は無くなりません。
他人ごとに思えますが、いつか娘や孫の問題になるかもしれません。もしも、彼女たちがシングルマザーになったなら、わたしたちは彼女たちを本当に支えられるのか、そんなことを考えてみる必要があると思うのです。
現在、海外にお住まいで日本の働き方に疑問をお持ちの方とお話しさせて頂いています。色々なアイディアをいただけますと幸いです。
今日は、少し思いが強くなったかもしれません。
Rionne McAvoyさん、声なき声の小さな人たちに光を当てて下さりありがとうございました。
上映は明日までです。
※最後までお読みいただきありがとうございました。