迷わない
昨日、NHKの大河ドラマ『光る君へ』の録画を観た。これは『源氏物語』の筆者、紫式部が主人公の物語。
昨日は、そのドラマの中で、実に暗いシーンがあった。
そのシーンから、少しだけ重たい話しをしてみたい。
ドラマは、藤原家が花山天皇を騙し出家させてしまう続きからはじまる。
時は平安時代。
まだ外套も無ければ、夜だけでなく昼だって建物の中は薄暗い時代。
出家させられた花山天皇は、藤原家を恨み、寺で一人数珠を手に、ひたすら真言を唱える。そして、次の天皇である一条天皇の即位の日に事件が起こる。
即位で使われる高御座と呼ばれる椅子の横に、恐ろしいものが置かれていたのだ。係りの者たちが、驚きのあまり腰を抜かす。
その時の、藤原家の三男の取った行為が、まさにタイトルの「迷わない」だった。
彼は一瞬怯みつつも、腰を抜かす係りの男女に向かって素早く指示を出す。それは、新天皇の即位を穢してはならないという一瞬の判断だった。もちろん、その不吉な事件に花山天皇の恨みが込められていることは百も承知だ。
そして、この「迷わない」という行為が良かった。
以前、ネットで毎日引けるおみくじがあると教えてもらった。空海が好きだというと高野山のおみくじもあると教えて頂いた。そのおみくじをわたしは朝、時々引かせて頂く。
実は、昨日の大河ドラマのそのシーンが体のどこかに残っているような感覚があった。だから引いてみた。
すると、実に興味深い内容が出てきた。
わたしはおみくじでは、言葉を読むけれど、その言葉が余りに印象的だったのでスクショした。その内容を少しご紹介してみたい。
和歌のほかに、そのおみくじには、
とある。
迷うなと。
これは偶然なのだろうか。
その言葉をさらに開いた言葉が右隣りに書かれている。
と。
もうまさに今朝のわたしだ。
昨日のあのおぞましいシーンが、体のどこかにまだ残っている。
すると、
とある。
迷っても仕方が無い。
既に一歩踏み出したのなら、それは既に始まっているということ。
昨夜の大河ドラマで、藤原家の三男が一瞬怯み、その直後、迷いを吹っ切るように動いた。
それでいいのだと思う。
なぜなら、彼は既に藤原家が動きはじめたことを知っていたし、そのことを承知していたのだから。動き出した事に間違いはない。
よいも、悪いも、結果はまだ出ていないけれど、それでも迷う段階は超えている。
迷うべき時は、物事を決断する時しかないのだと思う。
これを自分の暮らしに置き換えるとわかりやすい。
誰にでも人生、判断しなければならない時がある。
小さな決断ならまだしも、自分に乗り越えられるだろうかと迷うほどの決断をしなければならない時は迷って当然だと思う。それでも迷いのポイントはここにしかないと思う。
だから、決断する時にはよくよく考える。
といっても、その結果は誰にもわからない。
わたしたちは未知の世界を生きているし、正解のない時間を生きている。
それでも、一度決断して何かを選びとり、何かを選ばなかったのであれば、そこから先は迷っても仕方がない。
そこから先は戻れない。
様々なことは時間が答えを教えてくれる。
大河ドラマの藤原家の三男の取った行為はそれしかなかったという事だと思う。このシーンに良いも悪いもなく、そうする事しかできなかったという事だと思う。
藤原家の場合、家を中心に動いてる。
家の繁栄が判断の基準だ。
けれど、個人の場合はどうだろう。
わたしは、決断のポイントが、考えてもなかなか見えない時には、明るさに基準を置く。明るいか暗いか、これは意外に分かりやすい。楽しいか、楽しくないか、という人もいる。
人には決断しなければならない時がある。そして、恐らく誰にでもその判断の目安があると思う。
それでも、一度その決断のポイントを過ぎたなら、後悔も、恐れも、心配も、不安も手放す方がいい。
それでなければ、それは繰り言になる。
その繰り言は、何者かに影響を与え、永遠にあとを残す。
その影響を与えるのは他人のような気がするけれど、きっとそうではない。
わたしは繰り言は、自分への影響の方が大きいと思っている。そして永遠にあとを残すことになると思っている。
朝からやはり少し重い話しになってしまった。
けれど、迷わないという言葉がわたしは好きだ。
※最後までお読みいただきありがとうございました。
※スタエフでもお話ししています。