女性の働き方を変える、草の根運動
動き出して人にいわれた言葉がある。わたしが書いたり、話したりしていることは、草の根運動だよねというもの。
草の根運動とは、
とある。
確かに、働き方を変えたいのであれば、政治に訴えるのが最も近道だ。
さて、この民主主義だけれど、この国は民主主義だ、わたしだってそう思いたい。けれど、わたしはこの国は資本主義だと思っている。
この2つ、似ていそうでかなり違う。
資本主義では、力の強い方が絶対有利だ。
かつて、大企業が漁民を病に追いやった。けれど、何十年もそのことが捨て置かれ、貧しい漁民は病に侵され、さらに貧しくなり、そこに差別までが加わり、それが止むことはなかった。そして人々はそれをただ耐えていた。
戦後この国でおこったこの事件が、わたしたちに資本主義の怖さを教えてくれる。弱い人が絶対に強者の企業に逆らえない社会、それが資本主義の特徴だ。
そんな資本主義国家では、南北問題のようなことが国の中でおこる。
日本では、男女雇用機会均等法が施行されて半世紀以上が経過し、女性も男性と同じように働ける権利を獲得したはずだった。
けれど、なぜか今でも日本女性は政治的・経済的に苦しい立場に置かれている。どんなに働いても、一般の女性は稼げず、その稼げない場所から這い上がることもままならない。それが、わたしの考える、国内に広がる南北問題だ。
わたしはこれまでほとんど政治に触れて来なかった。それはわたしの中に、政治のことを口にする=政治活動=生意気な女、いう刷り込みがあったからだ。
けれど、「草の根」であれば悪くない。資本主義を強く揺さぶる力は、確かに、そこにありそうな気がする。
フランス革命に影響を与えたといわれているジャン・ジャック・ルソーはまだ君主制のあった時代に自由と権利の平等を求めている。
それを彼が求めたのは、君主制の国内で、あまりに貧富の差が大きかったからだ。
ルソーは大胆にも、王様だけでなく市民にも自由や権利があると考えた。一般市民だってちゃんと食べなきゃいけないよね、と。
絶対的な力。そんなものに抗えるのは、同じような力しかない。
現代の日本であれば、労働者より遥かに大きな力を持つ企業に抗えるのはルールしかない。そう、だから立法なのだ。
政治はわたしたちのためにある。
となると、やはりわたしたちに必要なのは草の根である。一般の市民が静かに繋がり声をあげていくこと、それはもどかしいけれどいい方法だ。
資本主義には倫理観が育ちにくい。たとえ備わっていたとしても、強い力を持つすべての企業が、労働者に本当の自由や権利をすすんで与えようとするわけではない。企業が常に求めているのは企業の利益なのだから。
女性の働き方はこのままでは絶対にいけない。わたしたちには、男性と同等の権利を選択する機会がまだ与えられていない。それではわたしたちは自由に生きていけない。だからわたしは雇用の入り口が変わって欲しいと強く願っている。
もう駄目でしょうと思わないで欲しい。
誰もが犯人も原因もここにあると断定し、固定化されてしまった病。誰もがそれを疑うことなく信じた小さな社会。そんな社会でさえ、一人の男性の、一人の女性の声で、これは企業による汚染だと気づかせることができたのだ。そんなことだってあったのだ。
当たり前を打ち破るのは容易なことじゃない。当たり前こそ力なのだ。当たり前は、真実を覆い隠す。当たり前は、恐ろしい力を持つ。
我慢強く訴えていくのがいい。
女性を企業の入り口で基幹職枠から排除するこの社会のおかしさを。
企業が働く人の年齢を聞くことのおかしさを。
主婦には主婦賃金で働かせていいという考え方のおかしさを。
それは、どれも差別なのですとわたしはこれからもずっと声をあげていく。
そう、わたしは草の根運動をしている。
※最後までお読みいただきありがとうございました。
※現在、女性の働き方を変えるための活動を立ち上げ、その活動資金を得るためにクラウドファンディングを立ち上げています。ご支援や拡散をいただけますと嬉しいです。宜しくお願い致します。