楽しみ方は人それぞれでいい
趣味や好きなものを聞かれて答えられないことがずっとコンプレックスでした。
私自身が好きなものやことはそれほどなく
強いて言えば
「好きなものを好き」と言っている人
「この人のこんなところが好きなの!」と話す人
(今で言うと“推しを語る人”)
が好きなんだと思います。
夫は野球観戦が好きなのですが、
私は野球のファン(応援している人)が好きなのです
特に千葉ロッテマリーンズのファンが好きなのです。
例えば、千葉ロッテマリーンズの試合を観に行く時は
千葉ロッテマリーンズの応援をしている人たちがよく見える側(アウェイ側)の席を取ります。
そうしたら、千葉ロッテマリーンズの応援団が応援している様子がよく見えるので、楽しいのです。
おそらく夫からしたら、野球一緒に観に行っても野球全然観てないなぁ。つまらないんだろうなと思われていたと思います。
でも、私は試合よりも応援している様子を見るのが好きなんです。
プロ野球試合観戦ではなく、プロ野球応援観戦をしに行くのが好きなんです。
なので、野球観戦に行くとその球団自体を好きでなくても応援歌のCDを買って、帰りの車の中でCDを聴きながら、応援団が応援をしている時の様子を脳内で再生するのが好きなんです。
応援歌のCDは脳内再生のためのBGMなんです。
野球応援観戦は一例ですが、私が好きな人は
推しがいる人
推しを語る人
私が好きなことは
推しを語る姿
なんです。
話している内容じゃなくて、話している(語っている)姿に魅力を感じているんです。
(あっ、それも私が中村倫也さんを好きな理由のひとつかも。)
母親から否定されて育ち、ずっと自分のことを認められなかった私。
そんな私が自分を認められるようになったのも、西洋占星術を学んで、人はひとりひとり違うと言うことを理解できたからだと思っています。
「こういう楽しみ方をしなさい」
「楽しそうにしなさい」
と言われて求められることをするのではなく、
自分の好きな楽しみ方で、自分が楽しいと感じていれば、別に周りの人が私がそれを楽しんでいることに気がつかなくてもいいのではないかと最近思えるようになりました。