「教育実習」と佐々木(後編)
友人から後編の催促をされました。意外と読まれているそう。驚いた。とても嬉しい。
さて、こちらは後編になります。教育実習の9日目〜の日記のまとめになります。前編は以下のリンクから見ることができます。
これで大学生活5年間で打ち込んだものが麻雀牌と教職と言えるかな?
以下、本文です。
9日目
授業は数学2の領域と1Aの演習。生徒に合わせたいわゆる生徒観を加味した授業の計画と展開の難しさを痛感した。厳密さをわかりやすく伝えることが自分の売りだったが、相手によっては厳密さよりもまずは使えるようになるための授業やわかりやすさを重視した噛み砕いた表現も適切であると改心する機会になった。
放課後は担当クラスの文化祭の看板作りに立ち会った、非常に良く作れた。多分ウチのクラスが1番だ。
文化祭で制作したものは大体文化祭が終われば廃棄されてしまう。大人になった今、当時なんとも思っていなかったその事実に儚さを覚えてしまいまだ終わってもいない文化祭そのものの寂しい側面を感じた。歳をとるとモノの見方や感じ方が変わる、的な何かを思い出した。
10日目
授業は数学2の連立不等式の示す領域。連立方程式との共通点を通して伝えたかったことを伝えられた。授業後は指導教員に「黒板に描く図が綺麗になった」「文化祭のことも含め、頼りにしている」とお世辞でも嬉しい言葉をもらった。
放課後は文化祭でやるお化け屋敷の内装製作に用いるダンボール集めにチャリを漕いでいくつかの最寄りのスーパーへ東奔西走。高校周辺をチャリで走り回るのはいつしかここの生徒だった頃を思い出す。
生徒と話しながら引率するのは生徒だった時に生徒会に所属していてできなかったクラスの出し物の制作を思い出した。文化祭の準備をやり直せている気がした。
11日目
この日担当授業はなく、研究授業の計画に1日を使った。研究授業とは実習生の集大成とも言えるイベントであり、実習期間で得た知識や経験を活かして普通の授業に加えて指導教員以外の方々に参観してもらうといったものです。懐かしい先生たちの前で成長した過程と姿と結果を見せる機会、というもの。その準備をした1日だった。
ある意味学校に来てる意味はあまりなかったが懐かしい校舎の雰囲気がそうじゃないようにさせてくれた。今日まで新鮮な雰囲気の中慌ただしく進む忙しい日々だったがたまにはこう時間の流れを感じるのもいいと思った。体育の先生の大きな声、校舎を交差する吹奏楽の音、精を出す部活の声。ありきたりな言葉だけど、日常じゃなくなって初めて恋しく思える。無くしてから気付くこと。
(画像をタップするとYouTubeで聞けます、ぜひ一度聞いてください。)
12日目
群数列の研究授業の予行として文系クラスで授業を行った。明日が本番のため改善点を模索し、指導教員にさまざまな助言を頂いた。群数列は高校数学の中でも教えるポイントが多いらしく数列をおさらいをどの程度入れるかと言った生徒観を考慮した展開に苦戦した。これらのことを本番に活かしたい。
今日は8-21時の間学校にいた。研究授業で頭がいっぱいの中、文化祭のことでクラス内に課題が出てきて多忙な1日だった。いつの時代もそういった生徒間のすれ違いは存在し立場が変われば見えるものも異なった。近い将来、教員としての立場ならばどのように立ち回るべきなのか考えさせられた。
放課後は3日目の授業参観でひょんなことから仲良くなった指導教員とは異なる高校3年生を担当する教員と煙草を吸った。喫煙に関しては母校は厳しくルールが設定されており喫煙する教員はみな自家用車内で吸う模様。車内ではお互いの経歴や教員になった、なろうと思ったきっかけを話せる歳の近い先生でとても関わりやすかった。
13日目
研究授業の本番を行った。理系クラスで群数列を扱った。数学を教える点では技術なんてまだまだだけど、自分らしく授業を明るく楽しく元気にできたと自己評価できる程度にはなったと思う。授業の中には弊学の過去問を大学の名前は出さなかったが例題に使うなどちょっとした遊び心も入れられた。
研究授業の教員の参観は大体5,6人らしいが13人も来ていただき教室の後ろのみならず窓からも顔が並んでいた。期待されている、注目されているとお世辞でも嬉しいことを多々聞かされた。
数Ⅲの微分の授業も楽しんで授業ができた。研究授業の直前の授業だったため授業の中で「この後研究授業があるんだよね。はさみうちの原理で授業難易度が高い今からの授業が上手くいけば研究授業も上手くいくはず、、だよね!」なんて言ったところ2人くらいの昔の自分みたいな生徒にウケてくれて嬉しかった。
分からないところの予測、生徒のレベル層の把握がうまくハマった授業になった。定義域の端点における微分係数は考えないことなど厳密さを加えた授業が生徒の反応がよく生徒観の把握の大切さがここでも再認識することになった。また、卒業までにお世話になった今は他校へ異動された教員がわざわざ遊びに来てくれた。嬉しかった。休憩がてら気を抜いてアイスを食べていたところだったからか「相変わらず佐々木は佐々木のままで安心したよ。」なんて言われ思い出話に花を咲かせた。帰りにはいつも溜めて溜めて吸う喫煙所のあるコンビニで生徒とその保護者にばったり会って挨拶をした。酒を片手に持つ直前でヒヤヒヤした。残りも気を引き締めて頑張りたい。
14日目
明日で本来は教育実習は最後だが何とかして1日の延長して木曜のサークルまでに文化祭を回れることになった。本来は最終日の明後日が文化祭になるため大学の授業の都合で行くことができなかった。この「何とかして」の部分だが、5日目(前編参照)の大雨で帰宅要請が出た日に1日中何もしてなかった、ってことにして大学の教職事務と掛け合って1日延長と言ってもらえる状況を作ったのだ。やはり集大成は研究授業だったが担当クラスの生徒と作った文化祭は一目見たい。愛着が湧いてしまったのは言うまでもない。そして担当クラスの担任かつ指導教員でもある先生が部活の大会の都合で文化祭を見届けることができなくなってしまったのも理由のひとつである。
そんな今日は1A演習の授業だけを担当した。生徒の発表に対する間違いのフォローや説明がとても良かったとお世辞でも嬉しい(n回目)高評価をいただいた。放課後の文化祭準備は色々あったけど指導教員と手を組み、そして生徒と手を組みなんとかなりそうにまではなった。明日の授業と文化祭準備も何とかなりそうだ。
15日目(最終日)
高校教員免許取得のためにはたしか7日だか10日で足りるのだが弊学は†実力主義†を謳う大学なため大体の15日の教育実習を送ることになる。
他実習生は本日で終了のため忙しそうにしていた。一方佐々木は数Bの漸化式の授業を2つ扱い放課後は文化祭に本腰を入れて取り組んだ。明日で最後と思うとやはりなんだかんだ寂しい。思えば留年して実習の日程が1年後に伸びたが、直近の1年は母校に生かされていたのかもしれないと思えた。教員になる決心を、この期間でするなどしたわけだし非常に有意義な期間だったと思う。
16日目(延長戦)(本当に最終日)
今日は数2と文化祭の準備を手伝う1日だった。6人で過ごすにはちょうど良い控室の教室はさすがに1人だと広さを感じた。意外にも他の実習生に救われていた部分もあったんだなぁと思った。
数2の実習最後の授業は担当クラスで行うことができ感慨深い授業実習になった。そして今日、16日間の実習が終わった。高校で行う授業の難しさ、やってみないとわからないことや友達でもリーダーでもない担任という立場を学ぶことができた。
朝の職員朝礼ではスピーチというほどのものでもないが少し前で話す時間をいただいた。この日記に書いてるような思ったことをそのまんま話し感謝の言葉を最後に一礼をした。
卒業するまでにお世話になった教員にまたこうして再会し、指導してもらえて嬉しかった。たった16日だけどとても濃密な時間を過ごせた。一生忘れないだろう。ありがとう、母校。日本のどこがで必ずいつか教員になると、誓った場所よ。
放課後は他実習生とお疲れ様会ということで神戸三ノ宮の夜の街へと赴いた。一緒に過ごした仲間だ。最初は留年による歳の差を僕が一方的に気にして関わろうとしていなかったがこの日に至るまでに多少気が知れて仲間だと思えるほどにはなった。15(16)日間の楽しかったことや辛かったことの思い出話やこれからの将来を交わした。
文化祭当日(後日談)
せっかくなので西明石発東京着の新幹線の時間まで文化祭に遊びに行くことにした。生徒たちがこの日のためにとあの手この手を使って一生懸命作り上げた少し不恰好なオブジェクトで満たされている学校はどこか懐かしさを感じた。担当だったクラスのお化け屋敷は群を抜いて大盛況だった。みんなやる時はやる、生徒たちの本気を感じられた。そして、何より楽しそうにしていたのが素敵だった。青春思い出作りのお手伝いにしては及第点と言える程度には力になれたんじゃないだろうか。
この日は木曜日、サークルの活動日。毎度の活動後のツイートを指を咥えてサークル活動を実家からスマホの画面で眺めていた。そんな僕に気をかけてくれたのか実習期間中はいろんなサークルメンバーが電話してくれたのもあり支えられた。
午前中から文化祭を回り終え、西明石駅に向かい松戸駅へと急ぐ。1日で西日本で用を終え東日本へと向かうのはなんだか多忙なサラリーマンのようだ。新幹線に乗り新大阪、京都、名古屋、と東京駅に近づくにつれて指数関数的にソワソワしてしまい楽しみで車内て笑みが漏れていたに違いないが指定席で隣に人はいないので気にしないでおこうと思う。19時30分ごろか、久々のこの空気、帰ってきた理雀。長く大変だった期間を超えて出会うみんなには少しだけ自信を持って関われた気がする。今日からまた、私のいる場所守る場所はここなのだと思えた。
総括
教育実習にまさか行く側の人になるとは小さい頃の自分は思いもしなかった。ちゃんとお兄さんできてたんだろうか。とにもかくにも先生になろうと心から思うきっかけになりました。貴重な経験をありがとうございました。
そして、ここまで駄文散文続きでしたが読んでくれた方、ありがとうございました。
これにて教育実習の感想、まとめとする。
佐々木
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