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少しの諦めと自分軸

誰かに自分のことを許してもらいたいとか、受け入れてほしいとか、相手の顔色ばかりうかがって、「他人」が居ないと自分が成りたたなくなっている時は『他人軸』になりすぎているんだと思う

「他人軸」って聞くと、一見相手のことを思いやれているようにも思えるが
実は自己中心的だと思う

他人軸になりすぎている時はどこかで相手に期待をしていて、依存的な状態。期待しているから相手の言動で傷ついたり、自分の意思があるようで無い。
他人なのに1つになろうとしているのではないか。

私は私で、貴方は貴方。分けて考えないといけない。でも、「他人軸」になりすぎている時はそれが出来ていないんだと思う。

自分を他者に委ね、ひとつになろうとか、相手にどうにかしてほしいとか思いすぎると、他者なしでは自分の気持ちを保っていられなくなる。

これってお互いにいい関係と言えますか?相手の気持ちはどうなりますか?それはもう自分のことしか考えられてない、他人軸はいき過ぎると自己中心的。

一方で、「自分軸」は他人に依存しないことだと思う。決めることは自分で決めるし、誰かのせいにもしない。

やっぱり、誰かに認めてもらおうとか許してもらおうとか受け入れてほしいとか。安心するだろうし、必要な時もあるけれど、依存はよくない
まずは、自分を自分で受け入れる、認める、許していく。自分を受け入れられない人が相手を受け入れて尊重ることができるとは思えない

自分軸も、他人軸もいき過ぎると自己中心的になってしまうからどっちがいいとも言いきれないけど。やっぱり極端になるのはよくないと思う。難しいですね

わたしが思うのは「他人」に少しの諦めを持ちを持つことも時に必要だということ





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