映画『市子』解釈・感想②
ここからは
わたしの解釈と感想
初め2人でご飯を食べるシーンで「私、今幸せなんよ」と口にしているが、長谷川がプロポーズしたことで、そんな生活に終わりがくる。無戸籍の市子は長谷川と結婚することはできない。市子が泣いていたのは嬉し泣きではなく悲しくて泣いていたことが分かる。そして、「はい」の変わりに「嬉しい」と答えるのがまた切ない
市子は、月子を殺害した後「月子」として小学校に入学し、高校卒業まで月子として生きていくが。その後はなぜ「市子」として生きることにしたのか。月子として生きていたら戸籍があるので、病院に行くこともできたし、就職の幅も少し広がっただろう。
しかし、市子は「市子」として生きていくことを決める。友達や夢ができ、ようやく市子として生きていけそうだったが、そこに北秀和が現れる。過去を知っている北は重荷でしかなかった。しかも市子には俺しかいないとか重すぎる。余計なお世話、解放されたかったと思う。
市子は夢を諦めることになる。また、長谷川からプロポーズされても結婚はできない。
同じ頃、生駒山で白骨化した遺体が見つかり「川辺月子」のものと判明。
もう、「月子」としても「市子」としても生きていくことができなくなった。
【最後のシーン】
過去を知る北秀和がいなくなり、しがらみがなくなった。冬子の戸籍で市子は新たな人生を送ることになる。市子はようやく冬子として新たな人生を歩むことができ、個人的にはハッピーエンドだと思う。
しかし、市子が「市子」として生きることを辞め、戸籍も残らないことで「市子」は、本当にいない存在となる。同時に、幸せな生活も手放すことになり、どこまでも救いようがない。
市子のどうしようもできない運命。殺人はいけないが、無戸籍だったために困難に直面することに関して市子は何も悪くない。無戸籍の人は実際にいて、どうしようもなく理不尽な世界で生きている人もいるんだなって。人の不幸は比べることはできないが。
【冬子として長谷川といる選択肢はなかったのか】
過去を知られた以上、長谷川の元に戻ることはできない。長谷川が受け入れると言っても市子が無理だろう。また、長谷川が自分の素性を知らないからこそ気楽な関係で、一緒にいられたのではないか。
事実を隠すことで心の平穏を保つことができることもある。しかし「本当の川辺市子を誰も知らない」それが、彼女を「孤独」にするのだろう
ヤマアラシのジレンマという寓話がある(雪山で2人のヤマアラシが体を寄せ合うがお互いの棘で、お互いを傷つけてしまう。そのため、お互いが傷つかない距離感を見つけて温めあった。心理的な距離が近づきすぎると傷つけ合うということ)
一緒に居るには、お互いが苦しくならないような距離感が必要。しかし、それが長谷川のプロポーズによって崩れてしまったのではないか。
秘密にしてるつもりはないけど、人にはなかなか言えなくて、結果、秘密になっている事ってありませんか。
貴方には誰にも言えない「秘密」ありますか?