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カタギに戻れと言うけれど、戻ったところで居場所はあるのか

囀るとしての連載開始が2011年。

読み手のこちらも10年経過するとそれなりに変化があるわけで、そうなると当時と今とで物語への印象が違う箇所がいくつか出てきたり。


初見時と一番印象が変わったのは、百目鬼の状況。

矢代含めて複数人が折に触れて百目鬼に「カタギに戻れ」と言っていて、当時私もその言葉に疑問を持っていなかった。

でも。最近読み直して思ったこと。


百目鬼にはカタギに戻るのも茨の道じゃないか?
みんな当然のように「戻れ」と言うけれど。
戻ったところで百目鬼の居場所、本当にある?


だって、百目鬼は既に『普通の人』ではない。身も蓋もなく言えば、刑期を終えたばかりの犯罪者だ。
傷害事件で実刑4年ってヤクザの世界では酒のツマミにもならない話かもしれないけど、一般社会では十分敬遠されて拒否される理由になる。
(詳しくないけど、初犯の傷害事件で執行猶予なし実刑4年って結構重ためですよね)


仮に、出所後に百目鬼が何かしらの求職活動をしたとして。
おそらく採用側は、履歴書の空白期間を認識した時点で警戒するはず。何か訳アリそうだぞ、と。

疾病も傷病も障害もなく、
学生でもなく、
日雇いも短期もインターンも
ボランティアすらも全くない4年間。


健常な25歳男性の履歴書において、20歳から24歳の4年間の完全な空白は“異質”もしくは“異様”と言っていい程に不自然なんですよね。で、選考初期段階で諸々あっさりバレて落選となる。
百目鬼にとっては残酷だけど、この流れが容易に想像つく。
(蛇足だけど、警官が公務中に私的な傷害事件起こして実刑食らうってなかなかにアレな不祥事なので、報道されてもおかしくなさそう)


だからと言って、
目的達成のためにあれこれ画策して選考を乗り切ることも百目鬼の性格じゃ出来そうにない。

自分で起業してやっていくなら稼げる道を作れるけど、そういうタイプでもない。

家族は気持ちの支えになりはしても、家族がいることと経済的な見通しが立つことはイコールではない。

そして家族がいるからこそ「悪知恵を働かせて公的扶助申請(要は生活保護)を…」なんてことにもならない。

(こうした狡い手段を使えないあたりが、矢代のいう百目鬼の綺麗さかもしれないと今書いていて思った)


圧倒的に不利な立場なのに自分を偽れず、狡くもなれず、所在ないまま時間が過ぎていく。
そんな25歳の胸中や如何に。


……と考えていくと、百目鬼にとってはカタギよりも『矢代の側』の方がずっと明確な居場所なんだな、と。


矢代のためだけにヤクザの道を選ぶ百目鬼のことを単細胞過ぎないかと思っていたけど(失礼)、百目鬼の一般社会の中での立場の悪さに気付いてからは理解できるようになった気がする。

4巻の「俺には何もない」も、5巻の「違う、あなたに出会わなければ俺は……」の台詞も同様に、以前よりも気持ちが分かる気がする。


そもそも百目鬼が最初の金融屋に辿り着いたのも、カタギで居場所が見つからなかったからだよね。
出所後スムーズに社会復帰出来ていたら、こんなことにはならなかった。


それなのに「戻れ」「辞めろ」としょっちゅう言われ、終いには強制送還(=発砲)されるという。

百目鬼、つらい。

誰か一人くらい、百目鬼のことを慮ってあげて(いや勿論そこを天秤にかけてもヤクザはやめておけという話ではあるんだけど)
矢代の背負うものと比較すると、百目鬼の背景はそこまでではないと思っていたけどそんなことなかったですね。百目鬼の業も重い。
 
なんで現行犯逮捕でなく暴行に走っちゃったんだよ。その手段は禁じ手だったんだよ…。


・・・・・・


諸々書くと言っておきながら百目鬼のカタギ話だけで1,000文字超えてしまった。

次回(54話)も楽しみですね。番犬時代よりも四年後の百目鬼の方がだいぶ好きです。



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