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忘れていた、たいせつなこと。

「○○さん(わたしのこと)、Aさんがまた呼んでるよー」
「またですかー? 苦笑」
「顔みたら、安心するんよー」

安心。
・・・そうか。わたしは大切なことを忘れていた。

ショートステイで入居しているAさんは、わたしの家の近所・・・というか、近い地域に暮らしている高齢者夫婦の妻の方です。
母親や母親の姉である伯母とかかわりがあって、畑でつくっている大根をもらったり、なにかと行き来している夫婦でした。

昨年くらいから、手術のために妻であるAさんが入院したのだけど、足が弱ってなかなか立てない、とか、なかなか退院できない、というような話を聞いていました。

とはいえ、わたしはほぼまったく面識がありません。
今の場所に暮らしはじめてやっと1年がたったくらいの住民です。Aさん夫婦が暮らす家は、母方の実家の隣近所だったので、それでなんとなく、「あそこの畑のおじいさん」というくらいの認識がある程度だったのです。

それがある日、とつぜん、とある事情があって、『入院しているはずだった妻のAさん』がショートステイに入ることになったのです。

それはやむにやまれぬ事情で、とつぜんのことで、Aさんもびっくりしていたとおもいます。
入院していたはずのAさんは、昨年夏に退院していて、しかも自宅生活のなかでだいぶ元気になっていて、杖で歩けるほどになっていました。

そんなAさんが、とつぜん、施設にあずけられることになったのです。

施設にやってきたAさんに、母や伯母はつきそってやってきました。近所にこどもたちはいないため、身内ではない母たちが付き添ってきたのです。そして、母はわたしを紹介して、「娘だから、なんでも言ってね」と言ったのでした。

それからときどきは、顔を合わせれば話すこともあったのですが、しばらくして、わたしもなかなか会いに行くことができない状態になってしまったのです。
仕事もなかなか終わらず、21時まで残業しているひともいたくらい、多忙になっていた時期でした。

そんな忙しい日々もすこしずつおちつき、Aさんがわたしを呼んでるよ、とよく聞くようになっていました。
その都度会いにいっては話をしたりしていたのですが、それでもまた呼ばれました。

「○○さん(わたしのこと)、Aさんがまた呼んでるよー」
「またですかー? 苦笑」
「顔みたら、安心するんよー」

・・・顔を見たら、安心する。

そういえば、以前、母たちが、「誰もいない場所に行ったときに、知り合いがいたら安心する」というような話をしていたことをおもいだしたのです。

施設に入るまでは、正直わたしとAさんは面識がありませんでした。だから、わたしにとっては、どう対応していいかとまどう部分もありました。ものすごく親しければ、「わがまま言ったらだめよー」などということも言えるのですが、そんなこと言えるような関係でもないのです。そもそも、『はじめまして』なのですから。

軽度の認知機能の低下と、ちょっとしたわがままと、困ったときには介護士さんたちにいつも呼ばれるので正直重荷に感じていた時期もありました。

なんども言いますけど、だって、はじめましての関係なのですから。

だけど、「顔みたら安心するんよ」そう言われたそのことばにハッとしました。

何かをしようとしなくても良かったんだ。
あえてなにかをしようとしなくても、ただ、すれ違うときに声をかける、とか、手を振る、とか、ただそれだけのことが、安心につながるんだ、というごくふつうのあたりまえのことを忘れていたことに気がつきました。

知らないひとばかりの、知らない場所に入ってきた高齢者の方は、不安になってあたりまえだし、心細くなって当然なんです。

ケアするってだいそれたことじゃない。
大きなことでもなければ、高尚なことでもない。

ただ目をあわせて声をかける、それが、存在を認めているという合図になり、「ここにいていいんだ」という安心感になっていくんですよね。

そんなあたりまえのことを。すっかり忘れていたことに気が付かせてくれた、Aさんにとてもありがたいなと思ったのでした。


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