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そばにいた天使たち。
「あなたが笑うだけで、まわりをしあわせにするんだよ」
そんなこと言われても、いい感じにおとなになってしまったわたしたちには、そのことばをまともに受け止めることができるひとって多くはないんじゃないのかな、と思うんです。
自己肯定感がたかくなると、そんなふうにすなおに思えるようになるものなのかもしれないけれど、今のところわたしはそのことばを「うんうん、そうですよね。わたしもそう思ってますー」なんてぬけぬけと言えるほどの自己肯定感は持ち合わせていないです。
笑うだけでまわりのひとをしあわせにすることができるのは、赤ちゃんくらいじゃないかな、なんておもってました。
赤ちゃんは、まあ笑ってなくても癒やされる。
泣いててもかわいい。
ただただ、かわいい。
なにしていてもかわいい。
笑うことが誰かを元気にしたり、しあわせにするなんてあるのかな、とおもうけど、あるか。
わたしはミスチルのライブで桜井さんが笑っていると、骨までとろけるようなきもちになるし、
テレビで女優さんがわらっているときゅうーんとときめいちゃうひともたくさんいるとおもう。
でも、
有名人じゃなくても、赤ちゃんじゃなくても、美人じゃなくても、イケメンじゃなくても、笑うだけで、そこにいるだけでひとってまわりのひとをしあわせにする力があるんだ、とやっぱり、そう思えることがありました。
というか、ほんとうは、まいにちあったんです。
認知症もあって、統合失調症もあるのかな、いつもテーブルを触ってはなめ、隣にすわっているおばあちゃんを食べようとし、じぶんの指も口に入れる、そんなおばあちゃん。
点滴が必要になって、点滴をするのだけど、30分だけの点滴だから、いつも翼状針というトンボみたいな形をした針で点滴するんです。
「動かないでくださいねー」というと、
「はいはい、わかったよ」
と、笑顔で速攻かえってくる、なんとものわかりのいいおばあちゃん。
・・・・という感じなのですが、「はいはい、わかったよ」の、次の瞬間にはもうそんなこと忘れてるんです。
だから、血管に針が入って点滴を落とし始めて、ずれないように、もれないようにそーっとそーっとテープで針を固定して、っはーーーーよし、できた! と、点滴の速度を確認したその瞬間。もう点滴の落ちかたは悪くなっていて、え? と針先を見るとぷっくりふくらんでいるのです。
腕を持っていてもらうのですが、持っても持っても、動く。
くねくね、くねくね動くのです。
だから、途中までちゃんと点滴できていても、途中でふくらんできて(点滴がもれて)、やりなおし。
そんなだから、何度も何度も針をさされて痛いだろうに、そして刺すわたしたちとしても、申し訳ない。
なのに、
「しあわせー」
といって怒ることなく、やり直しにつきあってくれるのです。(つきあってくれる、というか、刺しなおしていることも理解できているのかどうかもあやしいところではあるのですが)
「ごめんねー」というと
「ええよー」と軽い返事。
そんなおばあちゃんたちに話しかけて返ってくるリアクションが、ことばではないこともたくさんあります。
ただの笑顔なときもあるし、目を閉じたまま天皇陛下のように静かにうなづいたり手をゆっくり振ったり。
そんなひとつひとつの動きが、どれほどこころを洗い流してくれるか、ほんとうに計り知れません。
このひとたちがいるから、しごとができているし、癒やされるし、楽しいなって感じられるんです。
だからわたしの笑顔もひとをしあわせにしてるのよ! とは、まだしっかり思えはしませんが、それでもやっぱり、きっと、ほんとうは誰の笑顔でも、まわりのひとのこころを和ませることができるんだとおもうんです。
じぶんを喜ばせることをもっともっと、無邪気に楽しんでいきましょう。
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