『陳情令』は、シャオ・ジャンとワン・イーボーの美しさの映像美術館だ
『陳情令』とは
1.仙侠小説
陳情令は中国のウェブドラマである。墨香銅臭作の小説『魔道祖師』を原作として2019年に公開されその年の最も人気あるドラマとなった。ジャンルとしては仙侠小説に含まれる仙師である若者たちの物語である。
2.監督他
監督は、郭偉文と陳家霖、主演は二人、シャオ・ジャン(肖战)がウェイ・イン(ウェイ・ウーシエン)及びワン・イーボー(王一博)がラン・ジャン(ラン・ワンジー)である。原作はBL小説であるが、本ドラマは二人の主役の信頼と友情の物語であり、「知己」としての友愛が主要テーマとなっている。二人の人間への愛、正義と信義を貫く人生が幾多の試練と悲劇を乗り越えて豊潤な心の繋がりを実現する物語である。
3.あらすじ(ネタバレあり)
全50話からなっており、第3話から16年前に遡るが、第1話はウェイ・インの目覚めから始まる。16年前に絶望の果てに不夜天で崖から身を投げたウェイ・イン。ラン・ジャンは落ちていくウェイ・インの腕を掴んで行くなと願うが、姉の死の原因となったウェイ・インを許せない義弟のジャン・チョンから「死ぬがいい!」と剣を向けられ、ラン・ジャンが握った手を振り払って落ちていく。その後骸さえもなくなって行方不明になっていたウェイ・インが、捨身呪という術によりモー家のモー・シエンユーとして復活する。
ウェイ・インはモー・シエンユーの4人の仇を打たなければこの呪いから逃れられない。ウェイ・インの知己であるラン・ジャンは、16年前に崖から身を投げ骸も魂も消えてしまったウェイ・インが必ず生きていると信じてずっと探し続けている。
ラン・ジャンはウェイ・インと雲深不知処の入口で初めて視線を交えた時から一目で心を奪われ忘れられないからだ。しかし、ウェイ・インの天真爛漫で自由奔放な性格に対し、厳格な掟を持つ故蘇ラン家に生まれその神髄を叩き込まれたラン・ジャンは、愛するがゆえにウェイ・インを自分の規範を押し付ける。ラン・ジャンにウェイ・インも惹かれているが、自分の自由と正義を貫く姿勢は譲らない。正義を貫くということではラン・ジャンも同じ志を持っているのだが、ウェイ・インに心を奪われていることを他から知られたくないラン・ジャンは冷たい態度を崩さない。
単純なウェイ・インにはそんなラン・ジャンの想いがわからない。ウェイ・インは脳天気にラン・ジャンの気をひこうと思わせぶりを重ねるが、いつも冷たくあしらわれる。信義を貫く誠実さ、人に対する優しさ、正義を追求する心の強さ、愛する者のためなら命をも賭ける勇気、など人間としての理想の心、ラン・ジャンが求めていた心を持つウェイ・インにますます堕ちていくラン・ジャンだが、その愛を示す言葉を知らない。ただひたすら見つめることしかできない切ない想いだ。しかし、ウェイ・インが危機の時には必ず彼を助けるラン・ジャンだ。
不夜天で崖から身を投げたウェイ・インをその後16年間も探し続けていたラン・ジャンが大梵山でウェイ・インを見つけるのが第3話だ。しかし、そこにウェイ・インを身内の仇と恨む義弟ジャン・チョンも現れ、霊器紫電でウェイ・インを攻撃する。
紫電に打たれ気絶したウェイ・インをラン・ジャンは自分の家である雲深不知処に連れて帰る。ウェイ・インは気絶する時に16年前に帰りたいと願う。そして第3話から第33話までがウェイ・インの子ども時代から不夜天で破滅するまでの物語となる。
4歳の時に両親を失い浮浪児としてさまよっている時に、父母の知人であるジャン家宗主に引き取られ、義姉のイエンリーと義弟のジャン・チョンとともに成長し青年になる。故蘇ラン氏での座学への参加、ラン・ジャンとの出会い、ジャン家の滅亡、ウェン氏ウェン・ニンとウェン・チン姉弟との出会いと別れ、そして不夜天での悲劇までの数年間が描かれる。
第34話からウェイ・インが不夜天で崖から身を投げ、骸も見つからないにも関わらず、ラン・ジャンがひたすら探し求めた16年後の物語となる。
大梵山で気絶し雲深不知処で夜目覚めた時ウェイ・インはラン・ジャンに救われたことを理解する。次の朝起きて雲深不知処での思い出をたどり冷泉にいるラン・ジャンを見つける。その時、モー家で災厄を起こした剣霊、ラン・ジャンが雲深不知処に持ち帰っていたのであるが、それが再び荒れる。ウェイ・インとラン・ジャンはこの剣霊を笛と琴で鎮めるが、何か重要な背景があるのではと考え、剣霊の謎を解くためにその導きに従って冒険を始める。
その中で16年前、ウェイ・インが自滅していった陰にはある人物がおり、彼に陥れられた結果の破滅だったことが明らかになる。その人物を恨むモー・シエンユーがかけた捨身呪はその仕掛け人が死んだ時に解けるはずだ。
大まかなあらすじは以上であるが、ウェイ・インは2度死に3度の人生を生きることになる。この過酷な運命に翻弄され、天真爛漫・自由奔放であったウェイ・インがどのように大人になっていくか、この3度の生を通じてラン・ジャンのウェイ・インへの一途な愛の行方はどうなるのかに心奪われる展開となっている。
4.陳情令の見どころ
しかし、陳情令の見どころは2人の主演者ウェイ・インを演じるシャオ・ジャンとラン・ジャンを演じるワン・イーボーの美しさ、心も姿も美しいこの二人にある。シャオ・ジャンの人の心を蕩かすような笑顔、ワン・イーボーの最初から最後まで凛とした貴公子としての姿、美しい顔、スタイル、表情、すべてが美しいこの二人が織りなす冒険と苦難と愛の物語、全編二人の美しさにあふれたドラマだが、その中でも特に美しい二人を見ることができる場面をいくつか取り上げる。ユーチューブにこれらの画像はいくらでも挙げられている。
一つ目は第3話、雲深不知処の入口で初めて視線を重ねた場面、ウェイ・インの「中に入れてよ」と訴える純な黒目がちのつぶらな瞳と、その目に一瞬で魂を奪われたラン・ジャンの戸惑い、しかし毅然を装う鋭い目との対比。
その後の雲深不知処の屋根の上での攻防、ウェイ・インの笑顔、媚びる、ねだる、拗ねる、嘲る、罵る、酒を飲む、などの表情の豊かさはその天真爛漫さと自由奔放な性格を際立たせる。
それに比して無言のラン・ジャン、引き締まった鋭い表情と視線は姑蘇ラン氏の家訓を教えてやらねばと言う真剣な使命感にあふれている。ウェイ・インに対しては「招待状を探してこい!」というため口、前触れなく禁言術をかけるという横暴、かける言葉は「結界を破るのは掟に反する、辰の刻以後に帰ったものは中に入れぬ、酒の境内への持ち込みは禁止だ」とラン家の家規だけという素っ気なさだが、ラン・ジャンのウェイ・インに対する「ほっておけない」想いに満ちた場面である。
昼間に拒否したジャン家の者を宗主シーチェンの許可を得て中に入れ、招待状を麓の町まで探しに行ったウェイ・インの帰りをずっと待っていたラン・ジャンだが、結界を破り屋根から侵入するという破天荒なウェイ・インの行動に呆れてしまう。その上言葉巧みに懐柔しようとするウェイ・イン、「許さぬ」と脅そうと剣を抜いたが、思ったより手ごわく剣では制御できず、ラン・ジャンはまたまた禁言術という下策を使ってしまい、自分の手に負えないウェイ・インをラン先生とシーチェンのところまで連れていく羽目になる。
ドラマにとって重要な二人の出会い、満月の夜、煌々と輝く満月の下、屋根の上で舞うように戦う二人の白装束の姿も含めて初めて出会った二人のからみはそのすべてが美しい。
二つ目は第6話、寒潭洞で姑蘇ラン氏の祖先のラン・イーから陰鉄を受け取る時の二人。ラン・ジャンが問霊をし、ラン・イーが現れ、二人そろって正義のために戦うと誓う場面である。ラン・イーに志の継承をする決意に充ちた若々しい清冽な表情の美しさ。
なんでこんなに美しい人がいるのだろうとため息がでる。
ウェイ・インに冷たく接してきたラン・ジャンが突然「親と妻子のみ」しか触れてはいけない抹額で手を繋ぐという大胆な行動をとる。このようにいざという時には、ラン・ジャンはウェイ・インが自分にとって大切な人だと行動で示す。口では冷たいことしか言わないラン・ジャンの深層心理ではウェイ・インはすでにかけがえの無い存在なのだ。しかしウェイ・インはその単純さゆえラン・ジャンの気持ちには気づかない。
三つめは第10話、清河ニエ氏の不浄世での別れの場面。陰鉄を探す冒険を重ねながら互いの絆を育んできた二人であるが、雲深不知処が襲われたという知らせを受けラン・ジャンは急いで戻ることになる。屋根の上で酒を飲んで寝たふりをしてラン・ジャンを見送るウェイ・インに「さらばだ」と別れを告げて立ち去る場面。
決意を込めたラン・ジャンの表情、酔ったふりをして眼をつぶっているウェイ・イン、これから待ち構えている危険を躱して再び会えるのかという思いを胸に別れる二人。決然と去っていくラン・ジャンの美しさ、黙って眼をつぶったまま見送るウェイ・インの表情の麗しさ。二人の最初の別れである。
四つ目は第14話、玄武洞に取り残された二人、屠戮玄武という妖獣を退治するウェイ・インとラン・ジャンである。ラン・ジャンの傷を心配するウェイ・イン、協力して屠戮玄武と戦う二人。勝利した後、「俺が生きているうちに心配してくれるランの二若君を見られるなんて・・・」と死にそうな状態での殺し文句。「歌を歌ってよ」という無茶ぶり。霊力でウェイ・インを治療しながらラン・ジャンは歌う。
うつむいたその顔の美しさ、うっとりする気絶寸前のウェイ・イン。この歌(ワンシエン)はこれ以後の二人にとって重要な絆となるものだ。
五つ目は第33話、不夜天で崖から身を投げたウェイ・インが復活し大梵山でラン・ジャンと出あう。手首を握りじいーっと見つめつづけるラン・ジャン、思いのたけを込めた眼差しにおもわず手を握り返すウェイ・イン、そこに現れた義弟ジャン・チョンは紫電でウェイ・インを打つ。ラン・ジャンは気絶したウェイ・インを雲深不知処へ連れて帰る。
夜雲深不知処の影竹堂で目覚めた時、琴をひくラン・ジャンの伏し目の横顔の美しさ、寝たままそのラン・ジャンを見るウェイ・イン、一筋の涙がほほを転がる。その後ベッドに座ったウェイ・インが、「あの時、お前は本当に俺を信じてたか?」と問う,黙っているラン・ジャン。
夜の静寂の中でこの二人の横顔の美しさは言葉にできないほど魅
惑的である。
六つ目は第39話、義城でニエ・ミンジュユの骸を発見し、解き明かそうとしてきた謎の全容が見えてきたあと潭州に来て提灯を買う場面。
子どもを見てアーユエンを思い出し寂しいウェイ・インが振り返ると心配そうに見守っているラン・ジャンがいた。その横にラン・ジャンの好きなウサギの絵が描かれた提灯が売られている。昔、天灯式で誓いを立てた時にウェイ・インがラン・ジャンのために描いた天灯のウサギに似た絵の提灯の横に立っているラン・ジャン、ウェイ・インは嬉しそうに笑う。
近づいて「ラン・ジャン、これ買おう」ととびきりの笑顔で甘えるウェイ・イン、「そうだな」とほほ笑むラン・ジャン。
多くの苦難を乗り越えてきたこの二人の心のつながり、麗しいと
しか言いようがない。
七つ目は第42話、金麟台で追い詰められたウェイ・インが仮面を脱ぎ夷陵老祖として一人で戦おうとすると、ラン・ジャンが「厳しく暗い道を行くのも悪くない」と自分の名声も姑蘇ラン氏としての身分も捨てて世家から敵視され悪人と思われている夷陵老祖ウェイ・インと共に戦う意志を表明する場面である。覚悟を決めたラン・ジャンの豊かなまなざし、「お前ってやつは・・・」とほほ笑むウェイ・イン、命を賭けた友情だ。
以上はほんの一部であり、まだまだ二人の美しいシーンは多々ある。
5.シャオ・ジャン
ウェイ・インを演じるシャオ・ジャン、過酷な運命に翻弄される人生、二度死に、三つのそれぞれの人生を生きるウェイ・インの千遍万化の表情と感情表現、そしてどんな場合でも崩れないそのハンサムさ。笑顔、泣き顔、怒り顔、苦痛、絶望、恐怖、切なさ、不敵さ、どんな場合でもシャオ・ジャンは美しい。
まずは感情をあふれさせる大きな黒目がちの目、悲しみ、媚び、愛、怒り、反抗、哀れみ、喜び、切なさ、恐怖、様々な心を映し出す目だ。ラン・ジャンが一目で魂を奪われた目だ。
そしてなによりもその笑顔。天真爛漫・無防備なはじける笑い、左側の口角を少しあげた皮肉な笑い、戸惑うのを隠す照れ笑い、涙ぐみつつ相手を思いやる笑い、ラン・ジャンへの憧れの笑い、ラン・ジャンだけに向けた愛溢れる笑い。
彼の笑顔で幸せになるのはラン・ジャンだけではない。映像を見
る人を誰でも幸せにする。
しかし、夷陵老祖となった乱葬崗後のウェイ・インの妖しい美しさも捨てがたい。この美しさをもう一度他のドラマで見たいと思う。
6.ワン・イーボー
ワン・イーボーは大げさな表情による感情表現を極力抑えながら、その微妙な表情の変化だけでラン・ジャンの心を見事に私たちに感じさせてくれる。
「ラン・ジャンは尽くす人」だとワン・イーボーは一口で言い表しているが、この言葉がドラマ全編を通じて感じられるのだ。ウェイ・インの危機をいつも助けるラン・ジャン、何回ウェイ・インを抱き留め、抱き起し、気絶した後起きてきた姿を慈しんだか。
このあふれる愛を鈍感なウェイ・インが知るのはドラマの最後の方である。ウェイ・インへのあふれる想いを場面場面で微妙に違った目線や唇で見せてくれる演技力は驚嘆に値する。見つめる瞳の色が、怒り、戒め、愛おしさ、切望、切なさ、嬉しさ、思いやりによって変わるようだ。唇の美しさもまた印象的だ。きっと結んだ唇、少し開いた唇、微かな笑いを浮かべた唇、そのふっくらした美しさも比類がない。
イーボーの美しさはジャオ・ジャンの美しさとは違って「ハンサム」と言う言葉の領域におさまらない美しさと言えるかもしれない。「絶世の麗人」という言葉がふさわしい。
ワン・イーボー自身は「美しい」と言われるのは好きではないと言ったことがあるらしい。男らしさに憧れているとも言っていた。その後映画に軸足を移して「男」を演じる作品に多く出演している。そういう意味ではラン・ジャンは美しくて且つ男らしい役であるが、インタビューではもっと流浪人のような役がいいなどと述べている。
あなたがそれを言うのか?罪だよ、ワン・イーボー。
7.究極の美の記録
このようにそれぞれ二人の特徴ある美しさをあらゆる角度から見せるこのドラマは、二人の究極の美の記録だ。このドラマの神髄はシャオ・ジャンとワン・イーボーの「動」と「静」の対照的な美しさが普遍的に映像化されたところにあり、物語の「しんどい」内容があるからこそ、二人の美しさが人の心を打つのだ。
この美しい二人が陳情令という美しいドラマで出会ったことは奇跡と言えるかもしれない。二人とも最初からこの役を得たわけではなく、たまたまオーディションで目に留まりこの役を受けた。二人とも5年後の今のように人気が沸騰していたわけではなく、上を目ざして飛躍を切望していたまだ発展途上の若者に過ぎなかった。それだからこそ二人の共演という稀有な機会が生まれたのだ。そしてこの二人だからこそこのドラマの描きたい世界が実現した。
美しい二人の青春と愛がちりばめられた傑作と言えよう。そういう意味で今まで歴史に残る数々の名作映画やドラマのように、彼らの出会いは奇跡と言えるかもしれない。もしまた彼らが共演するとしても、それは全く違ったものになる。
『陳情令』は二度と出あうことのできない一期一会の作品である。シャオ・ジャンの笑顔の魅力を発掘し、ワン・イーボーの究極の美しさを結実させた監督やディレクターの審美眼は素晴らしい。
8.映像の持つ力
そしてこの二人を何度でも楽しむ幸せをくれるのは、映像の持つ普遍性と永遠性だ。
ウェイ・イン、ラン・ジャン、それぞれの単独の美しい映像は無尽蔵であり、最初から最後まで二人の美しさを堪能できる。
本人たち、俳優であろうとする二人は「それだけなの?」と言うかもしれないが、演技力が無ければ単なる人形になってしまう。それぞれの役割になり切って生きているからこその美しさが人の心に残るのだ。
『陳情令』は主演の二人の美しさとその愛を全編通して見せようとした作品である。
「愛」というものが人間の最も美しく麗しい感情であるという哲学を、二人が自らの美を媒介として私たちに示してくれている。
シャオ・ジャンは、インタビューに答えて俳優にとって重要なものは、演技力、天賦の才能、そして最後が顔面偏差値だと述べているが、俳優としては当然の意見であろう。しかし、この顔面偏差値も天賦のものであり、美術品にその価値があるように、容姿の美しさもまたかけがえの無い価値である。容姿は年齢と共に変化していくものであるからいつまでも同じではない。ある時点での一番美しい姿形を永遠のものとすることができるのが映像芸術だ。誰でも、いつでも、何度でも、将来もずっと、それを楽しむことができる。たとえ本人の姿が年齢に伴い変容したとしてもこの映像の彼らは不変である。
9.映像美の美術館
このドラマは、シャオ・ジャンとワン・イーボーがいてその生命が吹き込まれた。どこから見ても美しく役を演じきった彼らがいなければこんなに感動を生む作品にはならなかった。あれから5年後の今、2人が中国のエンターテインメント業界でトップを争う人気を得ているのは当然だと思う。
シャオ・ジャンとワン・イーボーの美と愛と信義の宝庫、二人の映像美の美術館、それが『陳情令』の最大の魅力ではないだろうか。
10. 蛇足
シャオ・ジャンとワン・イーボーのメイキング映像に見る仲の良さ、このドラマを作った共演者・スタッフの努力、特筆すべきことについて述べる。
このドラマのメイキングを見ていると、主役のシャオ・ジャンとワン・イーボーの繋がりの麗しさは私をドキドキさせる。イーボーが本当に生き生きとしていて、視線や笑顔は恋をしている若者を髣髴とさせてくれる。他のメイキングを見てもこんなに楽しそうなイーボーはいないようだ。同じようにシャオ・ジャンも愛おしそうにワン・イーボーを見る。二人とも互いに認め合い尊敬しあいいつくしみあっているのが分かるが、二人とも「このドラマが終わっても会いますか」という問いには、速攻で「会わないよ」と答えていた。
それは俳優として当然でどんなに良い関係でも仕事ありきなのだろう。二人ともアーティストとして互いに尊敬しあい信頼しあっているのだ。シャオ・ジャンは、「イーボーのダンスは素晴らしい」と言っているし、ワン・イーボーは、「ジャン兄は歌がうまい」とほめていた。それぞれの優れた能力を認めあう二人である。
互いの仕事での成功を願い、アーティストとしてより高みを目ざす努力をする二人が眩しい。又いつか共演する日があればどんな展開になるのだろう。期待して待ちたい。
『陳情令』のメイキングを見ると、役者同士の和気あいあいとした景色、スタッフとのやり取り、陳情令を良い作品にしたいという関係者の思いが溢れている。一番良い映像を撮るための数々の工夫と、それを実現するための役者や関係者・スタッフの努力、いつも扇風機を手にしているのを見ると、どんなに暑く厳しい環境だったかが伺える。
そして自然の情景と一つ一つの小物まで丁寧に作りこまれた背景がある。それぞれの映像の背景音楽、キャラソン、どれも素晴らしい。この作品に出合えた役者は幸せだと、そして、その中から最もハンサムで多才なエンターテイナーとして現在中国のエンターテインメント業界で人気を誇るトップのシャオ・ジャンとワン・イーボーが誕生した。
私たちは彼らの素晴らしい足取りをこれからも楽しみにできるのだから、2人を日の当たる場所に導いてくださった監督・ディレクターを始め陳情令の創造に関わったすべての人に感謝したい。
素晴らしい作品をありがとう。