美しさのありかた(女の子のはなし)
こんにちは☺海です!
いきなりですが、最近、美しさとはなにかについて考える機会があって👀
考えるうちにいろいろもっと調べたいな~とおもって本を読んだりしているうちに
じぶんの考え方がまとまったので、メモ程度にnoteに書き起こします📝笑
☞ 主張
美しさのありかたについてわたしは以下3点の主張をしたいと思っています。
①画一化された美の基準を女性に求めること、または、
女性が自分自身に対して要求することは
間違っており、その必要がないこと。
②「美人観」はメディアのあり方と共に変わっているが、メディアは社会風潮に大きな影響を与えている。
その中でも一部の人が行なっている容姿差別の問題は深刻化していること。
③「美」という言葉を具体化しているとされる美人コンテストと、その参加者は、
いまや外見の美よりも、時代背景を活かした多彩な女性像を象徴するものであるべきだということ。
☞ わたしのなかの美
わたしは、自分の中での「美」を、
もともと顔がシンメトリーで余計なものがなく各パーツ揃っていて、
健康で姿勢が良い人間のことを、
男女問わず美しい人であると定義していました。
しかし最近は、これが外見の主観的な美しさの評価基準に過ぎず、
内面や行動様式も外見と同等以上に大切だなと考えるようになりました。
たとえば、最近のミスコンテストは、
もともと美の競技大会としての形を取っていたものでも、
女性のやりたいことを後押しし
挑戦の機会を広げる目的で開催されていることが増えているようで、
そうしたミスコンテストでは外見が綺麗なだけでなく、
具体的に
Vitality(身体とフィジカル両方の健康)、
Specialty(専門性)、
Originality (独創性)、
そしてPersonalityに関しても要求しているところがあるようです。
☞ 容姿についてのかんがえかた
幾多の女性史やジェンダー論を取り扱った著作を拝見しましたが、殆どの本では
「美の基準というものは、時代や国ごとに異なっていたが、近年ではそれが画一化されてきたこと」
「そのため痩せて、美しい肌をもつ女性になろうとする人が増えていること」
について言及していました。
特に井上輝子著『新•女性学への招待』では、
消費産業やマスメディアの連携に加えて産業の文化のグローバル化が進行したことで
美の基準が国境を超えて世界中に伝達されるようになったことに言及し
、
食事制限によって女性が主体的に女性としてのアイデンティティを保てるようになった一方、
摂食障害等の原因にもなり得ると警鐘を鳴らしていました。
わたしは、女性がこのように
自分の身体に対して高い理想を抱いたり、
理想とされるものに近づこうと努力する一番の要因はなにか
と不思議に思いました。
そこでふと目にした、デボラ L ロード著の“The beauty bias”を手に取りました。
わたしは、
「美形な人は優遇され、そうでない人は不遇な扱いを受けている」
という現状があるからこそ、
人は少しでも見た目をよくしたがるという考え方には同意しています。
容姿差別には、個人の尊厳を侵す側面があり、差別によってすでに弱い立場にある人間がさらに不利な立場におかれる事実があります。
マイケル・サンデル氏は『完璧な人間を目指さなくてもよい理由』の中で、
身体的な魅力に対する現代のこだわりは、経済的不平等に対する憎悪という副産物を産んだと指摘しています。
わたしはこれと同じ考えで、
現代の美の基準は、階級ごとの特権を反映するうえ、
容姿を磨く時間やお金が無い人を不利な立場にしていると観察できると考えています。
助長された差別は、ジェンダーアイデンティティの問題が表面化された現在、
とくに個人の自己表現の権利を制限することもあります。
そのため、わたしは、画一化された美の基準を社会が女性に求めること、または、女性が自分自身に対して要求することは間違っており、
その必要がないことは明白であり、
誰にとっても生きやすい社会というものから乖離している部分が今の世の中にはあると考えています。
その一方で、そのような社会風潮が生まれたのには様々なことが起因していると考えます。
そのひとつで、大きな要因なのは、メディアです。日本におけるメディアのあり方は、女性と共に変遷を遂げてきました。
☞ メディアの影響
✓ もともとのメディアの在り方と女性
もともと、初期の人物写真の被写体は、貴顕や幕末士など限られた人びとでした。
それは、肖像の所有が、19世紀初頭まで貴族の特権であったことの名残だったからでしたが、
写真術の一般的普及過程には女性という存在が大きく関わっていたと考えられています。
佐伯順子著『明治美人論』では、
美人写真が写真草創期の明治日本に、
写真そのものの魅力を伝える社会的な機能を果たしていた
と解かれています。
さらに、この過程で1891年の「凌雲閣百美人」コンテストという、
日本初の美人コンテストが開催されました。
これは凌雲閣というビルで開催されたもので、
現代のコンテストのように参加者たちが一堂に会して審査されるものではなく、
ビルに写真を展示し、投票によって行われていました。
明治期には「美人」というのは
一般女性ではなく花柳界の女性(=芸者)を指していたとされています。
明治日本では花柳界=芸能界とされており、
芸の素養がある芸者たちが、日本の伝統芸能を担う芸能人として、
国際交流の一翼を担うことも自然な結果になっていました。
文明開花に伴い、その対象は芸者から女優へと変遷したようです。
✓ メディアの在り方の変遷
凌雲閣百美人よりおよそ15年後の1907年、
一般家庭の子女による初の美人コンテストが開催されました。
このとき、広告には
「芸妓女優等を除き一切素人のみの写真なり。
隠れたる良家の美人は始めて世に紹介せされて、
時ならぬ花は紙上に咲き乱るべし」と添えられており、
ここで芸者を排除した一般女性を理想の美人と見なす明治の女性観の転換がありました。
このとき、美人とは、男性が女性に一方的に求めるものとは限らず、
女自身の容姿への関心を高め、
〈美人〉であることを写真というニュー・メディアを使って
メディアでアピールしようという動きが生まれたとされています。
美人であることを公的に周知することが、
女性の社会的自己表現の手段の一つとなったことは重要であると
考えられます。
写真という複製芸術は、女性に対して、
容姿の美をメディアで不特定多数の"視る者"たちに知らしめ、
それをアイデンティティにするという新たな自己実現の方法をもたらし、
写真に写ることは恥ではなく、
主体的に公領域に向けて、自らの存在を主張する機会を女性に与えました。
美人観の変遷はここからも観察できます。
日本髪と旧来の化粧で装う芸者に対し、
評価される美しさとは、薄化粧と束髪でした。
明治後半になるにつれ、女性雑誌で
セレブ写真や女学生写真以外にも、
多彩な分野で活躍する女性たちが紹介されるようになり、
孝養や貞女であることが女性にとっての美とされ、
多分に儒教道徳の影響を残した保守的な価値観がメインになったとされています。
興味深いのは、
明治の恋愛観が男女平等な関係を目標としたのに対し、
女性雑誌の美人観は男尊女卑的な要素を残す女徳を重視した相違点です。
野口芳子著『白雪姫の固定概念を覆す』によると、
近代以前の結婚において
理想の妻の条件は
家柄や財産、労働力としての体力が優先されていましたが、
近代以降、女性が生産労働から疎外されるようになってから、
容姿の美が求められるようになったともいわれています。
前述のような相違点について、
明治の女性雑誌に「美人」への関心が初期から見られるのも、
"女性=家庭"という規範によって、
社会での自己実現の機会を奪われた女性が、
人生の関心事を容姿に向けざるを得なかったこと、
また、
男性(将来の配偶者候補)の関心を惹き、
より安定した生活を手に入れるために「美人」になるという戦略が要求されたという、
近代化がもたらしたジェンダー状況の所産と考えることができます。
古来より、
「美人」になることが
女性自身の主体的な欲求として提示されている一方で、
明治以降の女性たちは、
実は近代的ジェンダー規範に暗黙のうちに取りこまれ、
「美人」になることがあたかも主体的な欲求と思いこまされた
という側面もあると考えられています。
しかしながら明治後半には、
メディアが伝えた多彩な女性像(=近代社会にふさわしい美しい生き方をしている女性)こそが美人であるとの美人観に変化するに至っています。
☞ 現代のミスコンテストに期待すること
ここまででわかるように、わたしは、
「美」という言葉を具体化しているとされる美人コンテストや、
その参加者は、
いまや外見の美よりも、
時代背景を活かした多彩な女性像を象徴するものであるべきだ
と考えています。
このうえで、ミスコンテストのあり方は、
現在の社会背景と、社会の中なおける女性の在り方を大切に想い、
女性の期待することを吸収し、
潜在能力を存分に発揮できる機会を提供してくれるものであることを期待しています。
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