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お経は呪文じゃなかった 『維摩経』


これまでならぜったい読まなかった本を読むようにしている。
たとえば『維摩経』。仏教のお経って呪文じゃなくてお話だったのね、というレベルで何もしらなかったんだが、だんだんとわかってきたぞ。

聖書と同じだと理解した。キリスト教も、キリスト教っていっしょくたになっちゃうけど、旧約聖書と新約聖書じゃ書かれてる内容も成立背景も違うし、そのなかでも創世記と出エジプト記は書かれてること自体がぜんぜん違うし、なんちゃらによる福音書は主人公イエスは共通だけど内容は微妙に違うし、なんとかへの手紙もまた違うし。ってことですかね?仏教に詳しい人。(そういや中学校のとき覚えさせられたの、旧約聖書の◯◯記一覧。まだ言える)

ということで、たとえば法華経と華厳経となんとか教はおなじ仏教というくくりであっても別物なんだというおそろしいほどの初歩だけはわかった。

で、維摩経、これは維摩居士(ゆいまこじ)という人を主人公にした物語だそうな。これが画期的なのは、ほかの経典では立派な人に書かれている仏弟子たちがけちょんけちょんにされるからだそうな。(伝聞調なのは、経典に頻出する「如是我聞」=私はこう聞きました、だと思ってください)(キリスト教の聖書だと、頻出フレーズといえば「はっきり言っておく」ですよね。このあたりもスタンスから真逆だからおもしろいね)

で、なんで『維摩経』かといえば、「つまらない小説を100冊読むなら、『維摩経』を3度読め」と松岡正剛がリコメンドしていたからです。
https://1000ya.isis.ne.jp/1530.html

それを読んで、へえーと思って素直に図書館で借りたら、なんだか国語辞典みたいな分厚さの(しかもいまだに誰にも開かれていないような綺麗な)本が出てきてそのまま返却ポストへお帰りあそばせた。そんで、最近たまたま釈徹宗さんの注釈本見つけて、そうか、なにも原典じゃなくていいよねあたりまえのことに気付きこちらを読んでみたということ。

くわしくはまた明日あたりにでも。
この本は釈さんがね、「維摩ってやなやつ。身近にいたら仲良くなれないと思う」みたいに、等身大におろして語ってくれるからわかりやすい。100分de名著は、この本の実写化みたいな感じだった。

うめざわ
*あとねー、ずっとね、仏典を翻訳した人「くまらじゅう(鳩摩羅什)」を「くらまじゅう(鞍馬)」だと思ってたの。はずかし。らじゅうね、らじゅう…もう間違えないぞ…

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