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hiloyuki
桐島部活やめるってよ的なお経 『維摩経』
『維摩経』は、不在と否定がおもしろかった。
冒頭は『桐島、部活やめるってよ』ですね。
主人公の桐島、じゃなかった維摩は一切出てこない。しゃべってるのは、釈迦と弟子たち。
釈迦が、ねー誰かお見舞い行ってきてよってお願いするんだけど、弟子たちが「むかしコテンパンやられたんで無理っす」って断り続ける。周囲の人が語る維摩さんは、意地悪な一休さんみたいね。未来において悟りが約束されてる弥勒菩薩がいうには、「仏教だったら、過去も未来もないのだから、あなたの未来の約束っておかしくない?」「あなたが教えるべきは、悟りはこうである、みたいなことじゃなくて、悟りについてのはからいを捨てることじゃない?」みたいに維摩さんに指摘されてぐぬぬとなったとか。釈徹宗さんは「この人、大乗仏教さえ否定するのでは…」と言ってるが、そのあたりが痛快。
あなたはそう思ってますけど、ねえねえねえねえ、ほんとにそうなの?って揺さぶる感じがおもしろい。
しかも物語の構成においては、揺さぶる維摩さんじゃなくて、固定観念を崩されてハッ!となった側が語ってるわけだから、読み手としては納得もしやすい。このオレ無理っすの語りが500人分あるらしいね、500人て。
しかも、この滅多斬りにされてるのが出家してるいわゆるエライ人たちなのも愉快。維摩さんは在家のふつうの人という設定のようだし。下剋上しまくりというか、権威とか規則みたいなものを根本から問い直すっていう構成が爽快でした。仏教の詳しい内容を知らずとも、物語の建てつけだけでも楽しめる作品でした。ちゃんちゃん。
うめざわ
あ、すごくきれいな詩もあった。
智慧による悟りこそ菩薩の母であり、方便(手立て)は父である。
仏法を聞く喜びこそ我が妻、慈悲の心こそ我が娘。
善き心・誠実こそ我が息子、空の教えは我が家。