源言語表現としての朗読
源言語表現としての朗読
如何なる表現形式であれ、表現する以上は常に表現者の意図が核にある。
特に肉声による表現は、顕す人物の魂、精神の在り様が直に顕れる。
私は「朗読」という一般的名称に拘るつもりもないが、別に良い名称があれば変えたい、と軽く考えているが、中々適当な名称が思いつかぬ。
名称も大事なものとは思うが、問題は表現の内容である。
言霊という概念も用いる事は誰でも簡単であるが、それを表現出来るか?となれば話は別物である。
私は他者との共同作業としての朗読表現を長くやってきたが、中々思うようにはいかない。
自分自身のみで肉声を発しても事情は同じである。
ただ、己自身の精神的深みと変容に関係する。
単に読む技術ではなく如何に言語化し得ぬものを顕すか?である。
ゆえに、これもまた言葉による説明は難いのである。
何度も月並みな物言いになるが、「自己認識」を前提とした普遍的表現に至らぬ限りは単に私的自己満足表現にすぎない。
今日、個性的といわれる表現は殆んどがこの範疇に属する。
また、この区別や判断も常に既知の尺度では測れない。
個々人が如何に無意識裡に既知の価値観や審美観に囚われているかの無自覚による。
自己の足場を消失しても己を保持しうるか?
この未知の意識空間に耐え得るか?
未知の意識領域に常に踏み込み続けていく行為の果てにある異空間とも称すべき普遍的領域。
過去未来が今になり時空が融合しつつ発せられる意識領域。
この意識空間の核より発せらるる表現行為。これこそが普遍性を含みつつあらゆる魂に或る問いを放つ。
この困難な行為を保持しつつ日常の営みへと、、。
肉体は滅してもこの行為に込められたものは時代を超えて活動し続ける。
2006年07月18日
「鬼神ライブ」渋谷アピア 2008.5/15
詩、声、梅崎幸吉:Poetry, voice: Kokichi Umezaki.
ドラム、パーカッション :石塚俊明: Drum, percussion:Toshiaki Ishiduka
フルート、ソプラノサックス:狩俣道夫:Flute, soprano saxophone.Karimata Michio
映像構成:伊東哲男:Video production.Ito Tetuo.