「己を鞭打つ行為」
「己を鞭打つ行為」
現在は自分自身の肉体を鞭打つような行為はしていない。
若い頃は建築現場で肉体労働をしていた。
帰宅してからが本職である絵を描く。
ただ、仕事を終えて帰宅するのは夜の12時頃は普通であった。
時には二日徹夜仕事をすることもよくあった。
私は絵は独学の為、徹底的にデッサンを欠かさずすることを自分自身に掟と課した。
時には肉体疲労の為に集中力が鈍る事があった。
通常の労働ではタフにはならない。それで私は他人の3倍位肉体を強靭にする為に働いた。
疲労して集中出来ぬと、私は手ぬぐいを水で濡らして、自分の背中を手首のスナップをきかせて思いきりムチの如く打ち据えた。
当時は銭湯に行っていたので、私の背中を見た人物達は驚いていた。
無数の紫色をしたあざが縦横無尽に走っていたからである。
私の自分の背中を鏡で見て「これでは見た人はびっくりするだろう」と思った。
肉体労働を止めてからはあらゆる分野問わずの交流活動を始めた。
やはり多くの様々な人物との交流は生モノで相当のエネルギーを使う。ゆえに精神的疲労が伴う。
私は自分の背中ではなく自分の胸を右腕で思いきり殴るようになった。
たるんだ自分自身を叱咤する為である。
しかし、その内に自分で殴った自分の肋骨にヒビが入った。
で、今度は自分の首の後ろをスナップをきかせて思いきり打つようになった。
自分の尾てい骨まで振動が伝わる程である。
この首を打つ行為が招いたものが両眼の「網膜剥離」(2008年)であった。
この様なことを書くと如何にもマゾのように思われると想う。
私は自分自身の意識が弛んだり、不鮮明である事を極度に嫌うのであり、決して自分を痛めつけて喜んでいたわけではない。
その後、2014年に右肺の上葉部切除手術(12時間)をしてから自らを鞭打つことが出来なくなった。
右の背中の肩甲骨の下からからわき腹まで刀傷の如き35センチの切り傷がある。
で、体力も一気に落ちたの、、です、、。。
写真を見せられぬのが、、残念ですが、、。。
、、身内が心配するからである。
で、今は体形も変化して若干ぽっちゃりとお肉が付くようになった、、。。