プロジェクトB111
今年の年頭に「ストリートピアノで1曲弾けるようにする」という100日プロジェクトを立ち上げた。ちなみに私は自称クラヲタだがもっぱら聴くばかりで、ピアノは「小学校のとき数ヶ月、習った」という程度のド素人。
…その私がこんなプロジェクトを立ち上げた動機は「全国を出張すると、駅ピアノやストリートピアノによく遭遇する。しかし当然、弾けるワケないのでツマラナイ。現役で仕事してる間に、一曲でいいから弾いてみたい」と思ったのがキッカケ。
選んだのはショパンのプレリュードOp.18の冒頭・第1曲ハ長調。時間にしてわずか数十秒。だが難易度は決して低くない。
…無謀なチョイスかも知れないが、私にはソモソモ「弾けそうな曲から選ぶ」という発想はない。英語学習なんかでもそうだが、ソモソモ素材・教材が「ゼンゼン興味もなく面白くもない」と、意欲なんか湧くわけがないのだ。世の中の多くの人が英語学習で躓くのは「教材が面白くない」ことなのである。同様に、「弾きたいと心の底から強烈に思わない曲」に取り組んだところで、弾けるようになんかなるワケがないではないか💦。
閑話休題。そこで私は、次のようなポイントを先に挙げた;
1)じゅうぶん短いこと
2)できればハ長調かイ短調(💦)
3)大好きな曲であること
…
4)難易度がリーズナブルであること
5)聴き映えがすること
という順位となる。
…熟考に熟考を重ねたすえに辿り着いた結論がショパンのプレリュードOp.18-1で、これは実にドンピシャだった。
私は子供の頃、この曲をサンソン・フランソワの演奏で聴いてとても感動し、その後もいろんなピアニストの演奏をレコードやCDで楽しんできた。
…が、1曲とはいえマサカ自分がトライすることになろうとは、夢にも思わなかった。人生異なもの。
初めの譜読みは大変だったが、何とか100日で弾けるようになり、初めて駅ピアノで弾いたときには、それはそれは酷いもんだった。正直、甘くみていた💦。それからたぶん10回くらいいろんなストリートピアノを弾いて、今ではようやく「弾き直しせずに1回で弾き通せる」ようになった程度。
…だがこの「わずか1分足らずの曲を、ヘタクソとはいえ、自分で弾けるようになったこと」は、私の人生観や世界観を少なからず、変えた。もちろん今でも1日に数回は必ず弾くし、次の駅ピアノに遭遇したときには、少しでも上手く弾けるように努力する。
そしてそういう人生を過ごしていると、あるとき「世の中の人間を『ピアノを弾くか弾かないか』に2分したとき、私は『弾く』ほうに入るんではないか?」と気づいたのだ。
もちろん、オソマツ極まりない。だが「弾くか弾かないか?」となれば、私は「弾く」と宣言はできるわけである。そして「ピアノを弾く側の人間の人生」になる。そのヨロコビは、「弾かない側」にいたときには、決して分からないものだ。
…さてそんなワケでショパンを毎日弾くわけだが、そんな毎日を私はまた同時に「自転車通勤」して仕事に通っていた。
私は自転車が大好きで、一時は道楽で集めて不興を買ったものだが、今は集めることから乗ることへキチンと目覚めたのでよかった💦。そして、ツーリングや長距離ライドよりも、通勤を何より楽しむ。
余談ながら私は「実益・実用にかなってないと、趣味を楽しめない」性質。
例えば書道。私は「書道のための書道」はアンマリ興味はなくて、仕事で実際に草書を使って効率化を図ることが目的、要するに「実際に使うために書道を学ぶ」のであり、だから鑑賞するのも能書家の「作品」よりも実務家の書簡の方が興味がある。
自転車も然り。「自転車に乗るために自転車に乗る」というのは、楽しめない。世の中の大半の人たちは真逆で「他の目的のためにそれをするんじゃ楽しめない」というだろう。もちろんそれはそれ。「どっちが正しい」とか言いたいワケじゃない。私は「実用にかなわないと楽しめない」というだけのことだ。
閑話休題。
そんな自転車通勤の際に、かつてはスピーカーを持参して音楽を聴いていた。ホントはイヤフォンしたいが、そうすると環境音が聞こえず危険なので、今は法律でも禁じられてるんじゃないか?ゆえにスピーカーだったのだが、あるとき盗難に遭ってしまった。
…スピーカーを買い換えようかと思ったが、そんなとき「昔買ったネック型スピーカー」を思い出して、取り出してきた。
するとこれがよい。で、イロイロ聴いてるのだが、ここ数ヶ月、ベートーヴェンのピアノソナタNo.32が定番になった。
…今となっては、なぜこれが定番になったのか、もう思い出せない。しかしナゼか、自転車通勤と相性がいいのだ。
特に、ルドルフ・ブッフビンダーというピアニストの録音がDG(ドイツ・グラモフォン)からリリースされて、これがまたピアノの音が抜群に美しいので、よく聴いていた。そしたら「知れば知るほど」この音楽に魅せられて、配信サービスで聴けるほとんどのピアニストの演奏をダウンロードして、聴けるようにした。
…この曲のソモソモに関して言うと、ベートーヴェンの「最後の」ピアノソナタ。
第1楽章が交響曲第5番(いわゆる『運命』)と同じハ短調で、音楽の内容も非常に似通っていて、極度に深刻で劇的なことから「最後を飾るに相応しい」みたいな言い方をよくされる。
そして、ピアノソナタとしては例外的な2楽章形式。ピアノなど器楽のソナタは3楽章なのが通例だが、なぜか2楽章で、その理由は明確には分かってない。しかし「ベートーヴェン最後のピアノソナタ」であるゆえに、まことしやかに、もっともな後づけ的理論が横行する。「完成度がじゅうぶん高かったので、第3楽章を必要としなかった」とか。だが現実は「ただベートーヴェンに時間がなかっただけ」とも言われている。そんなもんだろう。
そして第2楽章。
ハ長調に移行して終結した第1楽章を受けて、ハ長調で始まる。そしてベートーヴェンお得意の変奏曲形式。
ちょうどこの時期並行して書かれていた「交響曲第9番」の第3楽章も変奏曲形式で、両者は動機(モティーフ)を共有するほどの密接な関連性がある。
ちなみにベートーヴェンはこの最後のピアノソナタを書き終えたあとにも5年くらい生きるのだが、その間にはピアノソナタは書かず、その代わりに稀代の規模を持つ大曲「ディアベッリ変奏曲」を書いている。これは変奏だけで33もあり、演奏時間も1時間かかる。いかにベートーヴェンが変奏曲およひ変奏曲形式を愛していたかがよくわかる。
これに対してこの32番のピアノソナタの第2楽章は、5つの変奏を持っているに過ぎず、大人しいと言えば大人しい。しかも第1・2と4・5変奏の4つは非常に地味で、冗長な音楽とすら言える。
ところが圧巻は第3変奏で、まさにジャズ。
ベートーヴェンは交響曲第9番や弦楽四重奏曲第16番などにも見られるように「そのジャンルの最終作品」で、周囲がのけぞるような奇術を披露するのが常だが、それはこのピアノソナタでも行われているのである。
さて、余談が続く。
この「ジャズのような第3変奏」に魅せられた私は、配信サービスで聴けるすべての演奏をダウンロードし、聴き較べてみた。
…その理由というのが、先に言及したブッフビンダーというピアニストの演奏が、チョット不満だったから、である。
ジャズのような曲なので、とにかく「強靱なテンポ感」が、とにかく重要。他の何が優れていようと、ここのテンポ感がゾンザイだと、すべてダイナシなのである。
そしたら、面白い発見をした。
ブッフビンダーがこの録音を行ったとき、66歳。素晴らしい演奏ではあるものの、ヤッパリ「指(と脳?💦)がついていかない」感が否めない。
他の演奏も然り。アラウやブレンデル、といった老練たちも、やっぱりトシ取るとこの第3変奏のリズムを強靱に保つことができないようにみえる。
…あと「歌う系ピアニスト」もイマイチ。代表格が内田光子で、テンポを不自然に揺らすのだ。言ってみれば「ジャズのテンポを揺らしながら演奏する」ようなもんで、他の曲はともかく、ここではゼンゼンおかしい。あるいは、本人は揺らしてるつもりはないのかも知れないが、身についたリズム感で揺れてしまうのかもしれない。
「強靱なリズム」と言えば期待がかかるのはグールドで、しかもこの32番も録音しているだが、それでも例の「奇行癖」がここでも出て、揺らすべきではないのに、敢えて揺らしてしまっている。この「意味不明な奇行」がグールドたる所以、といえばそれはその通り💦。
すると「テンポを揺らすのがそんなにイケナイことなのか?ベートーヴェンは、別にそれでもいいと言うかもしれないではないか?」という意見もあろう。
…ところがベートーヴェンはこの第3変奏に「L'istesso Tempo」と指定していて、これは「一定のテンポで」という意味なのだ。
すなわち、ベートーヴェン本人も「ここはテンポを変えずに」という指示をしているわけである。ところが、トシヨリは年齢的な運動生理機能限界が原因で、詩人系ピアニストはテンポ揺らしの悪癖が抜けようにも抜けなくなって、結局ほとんどのピアニストがベートーヴェンの意図を再現できずにいる、という始末。
そんな中、十全の演奏をしていたのが、下記の3人。
1)(イーヴォ・)ポゴレリチ
2)(アルトゥーロ・ベネディティ・)ミケランジェリ
3)(マウリツィオ・)ポリーニ
…ま、クラシック通から見れば、納得の3人、てとこだろう。特に28歳で録音したポゴレリチの演奏はいい。ミケランジェリもさすが。先日逝去したポリーニは実は新旧2種類の演奏と録音を残しているのだが、サスガに後年の録音はテンポが一定を保つことができないように見える。
さてこの第3変奏、拍子は「12/32」となっている。
よく「通分したくて仕方ない」みたいな意見を聞くが💦、通分すると意味が半減する。
すなわち12/32とは「32分音符が12個」ということで、1つの小節に入る音符の音価は、確かに通分した「3/8」すなわち8分音符が3つ」と同じだ。
…が、リズム感が違う。8分音符で3回打つのではなく、4倍細かく32回リズムを打たなければならない。ジャズのような曲であるだけでなく、実際にベートーヴェンはそういう効果を狙って、敢えて12/32という拍子で書いているワケだ。
…が、プロのピアニストといえども、その意図を十全に反映している例は極めて稀、というのは先に言及した通り。
…さて、そしてやっと本題なのだが、同時に今回のブログの終わりでもある。
この「ベートーヴェンのピアノソナタNo.32ハ短調作品111の2楽章の第3変奏」、さらに略して「Beethoven Op.111-2-v3」(VはVariation;変奏)さらに略して「B111」をプロジェクト化し、チョット練習してみよう、というのが意図なのだ。それが今回の記事のタイトル「プロジェクトB111」なのである。
奇しくも、この変奏もハ長調。運指も明瞭に書かれているので、やはり100日くらいかければ、弾けるようになるかも。なんだかんだ言っても、実際にすでにショパン18-1を先行事例として成功させているので、やればできるはず。
そして、別にピアノソナタNo.32全曲を弾けるようにする必要はないし、このジャジーな部分だけ、弾けるようになればよいのだ。
次なる駅ピアノのレパートリーは、「ベートーヴェンのピアノソナタNo.32ハ短調Op.111の、第2楽章・第3変奏」とは、いかにもマニアック💦💦。