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圧倒的孤独にスパイスを添えて

みなさん、こんにちは。

始めまして。くま子です。

私は、現在30代まっさかりの独り身女性です。


今回は、誰しも抱えるであろう孤独について、最近感じる事、思う事を書いていきたいと思います。


私の孤独の吐き出しにお付き合いいただけたら、幸いです。


生まれた時から積んでいた

幼少期の私は、周りにまったく興味がない子供でした。


自分の世界が大切で、周りを顧みない夢見がちな女の子でした。


三姉妹の真ん中でしたが、そんなみんなと違う違和感を姉と妹は感じたらしく、よく“身障(たぶん精神障害などと言いたかた様子)”などと言われていたことは今でも覚えています。


また、ド田舎であり近所に同年齢がおらず、小学校に入っても友達と遊ぶにも親の車での送り迎えが必要な状況でした。


そんな、環境もあり私はますます本の世界に閉じこもるようになります。


そして、幼い子供心に近くに味方がいない喪失感を味わいます。


井の中の蛙大海を知らず

小学校もクラスに19名いる程度のド田舎の小学校でした。


一時期さかなクンが“小さい世界だから虐めが起こる”と話している記事が話題になりましたが、まさにその通りのことが起こる。


どんなに田舎でも虐めは起こる。そして、田舎で暇でやることがないので余計に虐めが起こる。


しかも、クラスの人数が少ないので、虐めの順番がそれは驚くほど平等に回ってくるのだ。


この子は絶対虐められないだろうと思われている明るいあの子も、“あの子はあんなこと言って目立っている 人を非難している”といった理由で虐められる側に回る。


そうなると、もはや虐めもただのルーティン化している事がわかってしまう。


それがわかってしまうと、ただただ馬鹿らしくなるのだ。


あぁ、人って小さいなと感じた出来事であった。


また、高学年になると、(先生によっては)先生がいかに頼りにならないかがわかってしまう。


両親も含め、親や先生が絶対的な“正義、正解”ではない事がわかってしまうのだ。


大人って私が理想とする大人ばかりではないのかもと、現実を知ってしまう。

にらみを利かせて

高校時代になると、ある程度空気を読むことを学習する。


ただ、この頃もやはり人から見た自分に興味はなく、写真など理由がなく愛想を振りまくことが苦手であった。


その愛想になんの意味があるのだろうかと考えてしまい、周りから“可愛いを意識している”と評価されることも苦手であったため、より愛想が振りまけなくなってしまっていた。


同級生には“初対面で睨まれているのかと思った”と言われるほどだ。


誰とでも仲良く出来ているように見えてしまう友達と比べて尚更、卑屈になる日々であった。


周りから見た自分を知る

時は流れて、作業療法士(リハビリの先生の資格)の専門学校時代。


精神科の実習に入りますが、そこでまた壁にぶつかってしまう。


精神科では人の精神状況や、患者とセラピストの関係を客観的に評価しないといけない。


関係を客観視するためには“自分がどんな性格で、相手にとってどんな自分がどんな相手なのか”を理解して挑まないといけないのだ。


そこで、初対面の人が苦手すぎることが分かった。


そうか、最初の印象って、愛想って大事なのかとやっとこの頃気づいたのだ。


社会の波にもまれて

社会人になり一人暮らしを始め、慣れない家事や理解できない大人たちにストレスしかたまらなかった。


学生生活よりさらに、自分が理解できない考えを持っている人たちがこの世にいる事を知ってしまったのだ。


そして、自分は会社の歯車の一つにすぎず、いくら会社で働いて尽くしても、会社は自分の幸せを考えてはくれないし、会社にその責任などまったくないのだ。


そうなると、自分の幸せは誰が考えてくれるのだろう。


なんにしても、自分の人生は自分で変えるしかない。

誰も助けてはくれないのだ。


それに気づいたとき、転職していた。


転職中は、新しい未来が輝かしく待っているようで、自分の可能性を少し信じることが出来た。


新たな世界で

新しい会社に飛び込んだが、そこでもまた新しい環境が苦手な自分が顔をだす。


それは嫌なほどにあっさりと、以前と変わらない自分が顔を出すのだ。


“もう大丈夫、もうあの頃の自分はいない“と何度も自分に言い聞かせても、希望は簡単に打ち砕かれてしまう。


その度に、成長していない現実が絶望の感情と共に波のように押し寄せてくるだ。


もう大丈夫と期待した分、なおさら辛い。


自分に裏切られば裏切られるほど、自分が嫌いになっていくのだ。


友達の旅立ちと幸せ

20代半ばになると、周囲は結婚ラッシュとなってくる。


みんな、それぞれの家庭を持ち、優先順位ががらりと変わってしまうのだ。


そうすると、自己肯定感の低い私は

“みんな一番大事な人と幸せになれば良い それは私の人生と関係ない”

とひねくれにひねくれてしまうのだ。


家庭があるだけで、なぜだか勝手に距離をとってしまうのだ。


そんな私でも、出会いを求めて行動したこともある。


しかし、男性に慣れていないことや、人に対する拒否感が強く、自分のパーソナルスペースに招き入れることを許容することが出来なかったし、それが許せる相手を見つける事が出来なかった。


人生をまとめて

生まれてから常に“なんでみんなと同じことが出来ないんだろう”


“どうして人に認めてもらえないんだろう”の連続であった。


私も、友達や親友が欲しかったし、仕事はやりがいを持ってストレスなく働きたかった。


20代で人としっかり向き合う恋愛をしたかった。結婚をして、自分が安心できる場所を作りたかった。


なにがこんなに生きにくいのだろう。


なんで自分だけこんな感情と向き合わないといけないのだろうか。


と叫びだしたい気持ちを抑え、このnoteに思いの丈をぶつけている。


もちろん、ここに書いたことが私の人生のすべてではないし、良いことも楽しいことも人なりにあった。


だけど、失敗したことや嫌なことが頭の隅にずっと住み着いているのだ。


その感情を追い払うために、このnoteを書くことを選んだ。


ただただ、社会にでて生きているだけでも褒めてほしい。


良く生きてるじゃん。


社会人頑張ってるじゃん。


誰にも迷惑かけずに生きてるじゃん。


そんな言葉を、自分にかけてあげたいと思う。


少しでも、私が抱えた孤独が誰かの光とになることを祈って。


おしまい















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