『たむら』人生のあらすじ
はじめに
コチラのツイートは私の人生においてのコミット的なモノになりますので宜しければチラ見下さい🙇♂️↓
https://twitter.com/wpp_umesunz/status/1302522779338637313?s=21
はじめまして、タムラです。
物書きが生業ではないので『文章を書く』にあたっての“決まり事”スキル“テクニック“等何ひとつ持ち合わせておりません。が、自己表現の一環として「note」始めます。いきなり最終回の可能性も無くはない、と言い残し、サラッと自己紹介します。
自己紹介
名前 タムラ フミヤ
性別 ♂
年齢 アラフォ~
居住地 生まれも育ちも“札幌”
職業 平凡なサラリーマン(飲食店責任者)
家族 既婚、6人家族(我両親も同居→磯野家風)
生い立ち
小さい頃から物静かな性格で、無口で大人しい目立たない引っ込み思案な子供〜青春時代。
割とスポーツは出来た方で体育とかでは少々目立っていた。小学校では6年間リレー選抜、騎馬戦では6年の時に赤組大将…性格と合わないな🤔…(それも今日まで生き延びる為の“神様からのご褒美”だったとして、受け止める事にしよう。笑)
静かで自己主張も出来ず、友達付き合いもそんなに多くはなかったけれど、少年野球をやっていたので、その活動に没頭し、野球の仲間たちと主に過ごしていました。
中学に入ると、少年野球時代の1番仲の良い友達が柔道部に入る。とのことで一緒に入部。個人で輝かしい成績はないけど、中2の新人戦の団体戦で札幌市3位って時もありました。(そもそも柔道部のある学校少なめ)
性格が暗く、会話も出来ず、些細なコミュニケーションも取れず、人知れず孤立する。。。
とにかくそんな
ズバり“隠キャ”だったので思春期の人付き合いは本当に苦労しました。(今も)笑
『学生の頃に戻りた~い』という話しを耳にすることがありますが、個人的にはあんな暗黒の青春時代には絶対に戻りたくない。と思う派です🤣
学歴、経歴など
親が建設会社を自営していた影響で、高校は工業高校/建築科へ入学。まともな人間であればそのまま建築関係の職に就き、ゆくゆくは親の会社へ行くべきところですがある時、
TVの料理番組で
料理人の方がフライパンでファイヤーしてる姿に、、
手際よく淡々と調理して行く様に、、
魅了され、料理人になりたい。。。と淡い想いを抱くようになりました。
当時はなーーんにも考えていない、超絶刹那主義的な生き方だったので、あっちフラフラ〜こっちフラフラ〜と、その時その時に興味関心のある方へと流される、そんな生き方でした。
でも『やりたくなったらどうしてもやりたい』を変えられないタイプだったので、そんなに優しく甘やかすような両親ではなかったけれど、工業高校卒業後は調理師専門学校への進学を許してくれました。
(色々迷惑かけたなー、本当に両親には感謝🙇♂️)
無事調理師学校に入学し、良い仲間達に恵まれながら学生生活を送っていたのも束の間、自分の中に、またまた新たな興味関心事が湧き上がり、段々とその活動時間も増えて来ました。(ザックリ説明すると、ボーイスカウト的な、社会善化活動をする団体での活動です)
環境、またそこに居る人達のタイプ的にも、自分にフィットする付き合い易い人だらけのようなところで、非常〜に居心地も良く完全に没頭しました。
…調理師学校の卒業を間近に控え、就活をするタイミングになった時、先生の紹介もあり、街の中心部にある某後楽園ホテル(今は無き💦)の料理長さんから、ウチに来ても良いよ。
とお声掛けいただいたものの、大きなホテルの厨房だと朝早くから夜遅くまで、と拘束時間が長くなる。
=善化活動が出来なくなる。笑
これは当時の自分としては一大事で、あっさりと辞退してしまいました。。。のちにその事を後悔した時もありましたが、アラフォ〜になりスッカリ大人になった今、決して間違いではなかったと思えるので万事OKです🙆♂️
卒業したあとは、飲食系で何ヶ所か、その合間に親の仕事を手伝ったりと、割と転職回数は多めです。30を過ぎた時、前々からの家族の薦めもあり、整体関係の仕事へ就くべく、昼働きながら夜学校へ通う、なんて時もありました。
冒頭部分でも述べてますが、良い悪いは別として、あっちフラフラ〜こっちフラフラ〜という生き方で、人生の大半を過ごして来ています。。
整体の学校では、解剖学、生理学などなど〜実技と身体のことを幅広く学びました。講師陣、関係者の方々も素敵な方がたくさんいらっしゃり、こういう人間になれば稼げる、そんなお手本になるようなスター性のある方々が多く、良い経験でした(あくまでも個人的見解です笑)
卒業後は、その整体学校が運営する整体院に就職し、2年間で約3000名の方々に施術し経験を積みました。(リピートの方も多数いらっしゃるので、新規で3000名ではなく、、約3000回の場数です。イオンに入っている店舗なので、このくらいの人数には軽くなります。コロナ渦の現在は不明ですが…)
そこでかなりの【手応えと自信】をつけた自分は家族に相談ナシで退職の話しを進め、個人事業主として完全歩合制のグループへ登録するという転職話しを水面下で調整し、研修にも行き、デビュー日まで、前整体院を辞める前に決めてあったのですが…そんな話しをギリギリになってから家族に報告したもんで、強烈な反感と猛烈な反対のダブルパンチ
🤜🤜'д`)
を食らい、そんな不安定で未知数な収入の所には絶対行かせられん!!…と却下され、泣く泣く辞退する、そんな時もありました。
開業届けを提出した2週間後に、廃業届けを提出するという…orz
そのため、また就活が必要となり、以前お世話になった方のカフェを暫く手伝いに行ったりしたのちに、現職場である郊外よりのとある食堂に入ることになりました。
そこは、ただ食堂があるだけでは無く、高齢者複合施設に併設された食堂という事で、のちのちTV等に取り上げられる事となります。
ほぼオープニングスタッフとして入社し彼此6年、当初の上司や先輩は異動したり退職したりで3年目からは店舗責任者としての業務も行うようになりました。
社員は自分含め2人、あとは強烈なパートのおばちゃん達で構成されていたので、これでもかって言うくらい揉みに揉まれ、【究極の柔軟性】という武器を手にしました。笑
過去にはトラブルや揉め事もちょいちょいあり、人の出入りが激しい時期もありました。
そんな職場の状況を鑑みて、なんとかしたい!とは全然思って無かったんですが、ある時、妻との会話の流れで“コーチング”に興味が湧き出し、前半でも述べたように、やりたくなったらどうしてもやりたい自分は、なんとか妻の了承を得、そこそこの金額を払い約半年間の講座(コミニケーショントレーニング)を受講し、また新たな武器を手に入れ、職場で奮闘する日々が続きました。
いつからか、妊娠等の事情が無い限り、人が辞めない職場となり、たまたまヘルプで来て貰った方にも戻りたくない。そんな事を言われるような環境になって来ました。
お店の雰囲気、あとは認知度の広がり具合にもよると思いますが、オープンして3年目くらいから徐々に業績も上がり出しました。
きっかけとしては、雑誌に掲載された事です。
北海道のローカル雑誌『HO(ほ)』や『じゃらん』に取材記事が掲載され、大きな反響がありました。
雑誌に掲載されたメニューの売れ行きが多いもので通常の4倍ほどに。
過去所属していた飲食店でもメディアに取り上げていただいた事があったけど、元々忙しい店だったので正直なところ影響をあまり感じていませんでしたが、現職場はオープンして2年間ほどは、閑古鳥が鳴くとはこのことか。というような状態だったので、雑誌掲載後の影響が絶大に感じられました。
そんな繁忙状態が徐々に落ち着きつつも、確実に認知が広がり、業績は以前より高い水準をキープ出来るようになってきた2019年、史上最大級のビッグウェーブを体感することになりました(当社調べ)
ついにTV取材です。
2月、5月、10月と計3回、それぞれ局は別の夕方のローカル情報番組に取り上げていただきました。
生中継の時もあれば、収録もあり、貴重な体験でした。
何より、放送された反動?影響が凄く、放送直後から電話が鳴り止まなかったり、ご近所の方々がこぞってご来店いただき、ご飯が足りなくなったりと、、まさに嬉しい悲鳴をあげてました。
それまでの売上レコードの2倍を超える数字を叩き出した時もあり、TVの影響力スゲーなぁ、と思い知った出来事です。
気づけば、平均売上も約1.5倍の水準でキープ出来るようになっていました。
…そして今年ですね。コロナです。
正直深刻なほどの影響が出ていないというのが現状です。全く下がっていない訳ではないけれど、ニュースで見るような壊滅的ダメージは無く、3〜4割減で落ち着いてました。
感染防止策なども会社の方で早めにしてくれたのも一因かと思われますが、それ以上に、地元の…地域の…たくさんのお客様に支えて頂ける店となれた。
その事が一番大きいと思います。値段の安さもあり、毎日来られる方もいらっしゃいます。
5月を1番下降のピークとして、また徐々にコロナ前の状態に戻りつつあるところです。
7月には、これまた初のラジオ中継も経験し、そこからまた新しいお客様とのご縁もいただいたりしている現状です。
今後の店舗としての目標は、終日、地域のお客様(勿論遠方からも大歓迎ですが)の『憩いの場』となる。そんなところです。
…自己紹介の範囲が無限大w
個人としては
ここまでの半生を通して得た様々な知見を活かし、世のため人のためになる事をして行きたいと考えてます。
ミッション
そこそこの歳を重ね生きてきたこと、またその長い年月のお陰で様々な経験を積んできたことで、社会に揉まれながらも順応する術を身に付けて参りました。
しかしながら、精神年齢は非常に低く、スキルもとりわけ無く、経済にも疎く、ビジネスセンスも無い、恥ずかしい大人ですが、持ち前の人柄(優しさ、温厚さ、バランス感覚、感情に流されずに物事を判断する力、自分だけ良ければ良しとはしない配慮する心)などこれらの『癒し⁇』の力を武器に、世の中の荒波を乗りこなしつつ、皆が住み良い社会づくりに貢献していく所存であります。
おわりに
長々と書き連ねましたが、もしここまでお読みくださった方いらっしゃいましたら、最後に盛大なる拍手を送らせていただきます。👏👏👏👏👏👏👏👏👏👏👏👏👏👏👏👏👏👏👏👏👏👏👏👏👏👏。笑
ありがとうございました🙏