むしゃくしゃしたらnoteを書いてみよう
(↑画像は怒髪天さんの画像。怒髪天のもともとの意味は怒りで髪の毛が逆立って天井を向くとかだったはず。競輪のCMとかで流れてて、曲数はそんなに知らないが、結構好き)
自分で言うのもなんだが、最近は充実した毎日を送れている。
前にも書いたが、大好きな彼女もできたし、大学の試験もおおむね感触よく乗り切れた。新しく始めたアルバイトもとても楽しい。
しかし、そんな満足度の高い生活でも、むしゃくしゃするときはある。
どうしようもなくむしゃくしゃした話
この前、大学近くを自転車で走っていると、路上駐車がひどい区間に差し掛かった。路上駐車が多いわりに、横断者も交通量もある程度な道なので、僕はしぶしぶ歩道を走行した。
すると、前からおじいさんが歩いてきた。
僕はゆっくりと左に進路を変えて、よけようとしたその時。
すれ違い間近で、おじいさんが僕の進路をふさぐような形でずれたのである。そうして、「ここ走ったらあかんやろ。」と大きくはないが、剣のある声で注意してきた。
僕は「すみません」といって車道に降りた。
だが、僕の心の中は穏やかではなかった。
教習所に通っていた時、自転車が歩道を走ることはよくはないが、交通違反ではないことを聞いていたからだ。
おじさんの言っていたこともわかる。
僕の通っている大学近辺では自転車のマナーが悪く、近所の人たちからクレームが来るほどだ。注意したくなるのもわかる。
しかし、これではなんだか僕が悪者みたいではないか。
歩道をスピードを出して走っていたわけでもないし、車道を走ることはむしろ危険であった。法律でも、やむを得ない場合は歩道を走ってもよいことになっている。
むしろ、進路に自らの意思で飛び出してくるおじいさんの方が、悪い。。云々としばらくムカついていた。
noteに書く題材がなかったので、憂さ晴らしに書いてみようと思った。
泣いたり、人に話してみたりすることは、つらいときにいいと聞いていたので、全く深刻ではなかったが、書いてみた。
むしゃくしゃを書いて驚いた話
途中まで、書いていていると、どんどんと自分の思考が変わって驚いた。
まず、そこまでむしゃくしゃすることか?と思うようになった。
noteを書く際、短く文をつなぐことと、論理的でかつ簡潔な文章になるように心がけている。これはとても基本的なことなので、noteを書いている人なら誰でも意識していると思う。
むしゃくしゃした内容も短い文で論理的に書こうとすると、自分のムカついているポイントや理由が明確になる。
そして、明確になった部分を見返してみると、自分の思っている深刻度合いよりも小さいことがほとんどだ。きっと短く簡潔で論理的な文章を意識することで、頭も整理されるに違いない。
次に、こんなつまらないことで時間を取られていいのか?と思うようになった。
今回の自転車の件も、書いていて自分の矮小さが恥ずかしくなってきた。
高々おじいさんの一言で(しかも罵詈雑言でもない)イライラしても仕方がないではないか。
そんなプロセスを経て、僕の気持ちは、また穏やかに戻った。
イライラというのは、自分でなかなか制御できないものだと思っている。
理性的には、相手の言っていることや、自分のしていることを冷静に分析できているつもりでも、心情は全く冷静ではない。
そんな時は、noteを書いてみると冷静になれるという発見をした。
もしも、noteを書いてもどうにもならないときはそのまま投稿してしまえばいいと思う。
共感性の高い内容ならば、スキやview数で励みになるし、切り捨てられる内容なら、きっと自分がまだ未熟だということなのだと理解できるから。
さぁ今日も一日頑張っていきましょうか