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タキの春
どうせ貧しく生まれるなら、せめて美しく生まれたかった。
ツルはそう思いながら暮らしていた。生家は八歳で追い出された。遊郭に売られたのだ。
器量の悪いツルは下働きを経て、局見世で客をとる最下級の女郎になった。
汚らしい男たちに安い金で休みもなく抱かれ続けながら、ツルはいつしか自分の運命を呪うこともなくなっていった。
若さという唯一の取り柄さえすっかり失ってしまった二十五歳の秋、ツルは横浜に売り飛ばされる。
横浜に大きな遊郭ができたからだった。
海にほど近い港崎遊郭は外国人の客を相手にしなければならないということで、遊女たちに敬遠され、人が集まらなかった。
だからツルのような器量の悪い女でも、局見世ではなく妓楼で働けることになった。
ツルはそれだけでうれしかった。毛深く大きな体の外国人に抱かれることを想像すると足が震えたが、貧しく卑しい男たちに好き勝手に体を弄ばれる日々に戻りたいとも思わなかった。
ツルは新たな妓楼、玉川楼では、タキと名のった。借金は消えないのはわかっていたが、せめて名は捨てたかった。
安い女郎として奴隷のように働いていたタキにとって、玉川楼での生活はとても快適だった。
客である外国人たちは、皆、タキたち女を丁寧に扱ってくれた。飯も食わせてくれたし、酒も勧めてくる。そんな客を相手にするのは初めてだった。
寝る前に食事や会話を楽しむ。タキは自分が花魁になったかのように錯覚し、うっとりと酔った。
仲間の女たちは、そんな外国人客らを「ジェントルマン」と呼び、笑顔を作ってしなだれかかったが、タキはそこまでは染まりきることはできなかった。
しかし、苦しかった時代には絶対に戻りたくないと思うようになった。
「アレがでかいのは最初は驚いたけど、今じゃ日本の男のじゃ、ちょっと物足りないねえ」
店に出る前に化粧をしながら、女たちはそんなことを言いながら笑い合っている。平和な日常に、タキも笑顔を浮かべるようになっていた。
そんなタキの前に、一人のアメリカ人が現れた。外国人の中でもとびきり体の大きなケビンという男は、貿易で大きな成功を収めていた男だった。
金髪で青い目をしているが、その目は柴犬のように黒目がちで優しかった。
ケビンはなぜか器量のよくないタキのことを気に入り、何度も店に通ってきた。
タキは最初はケビンを受け入れるのに必死だったが、そのうちケビンの訪問が待ち遠しくなっていった。
多くの妓楼の多くの遊女がそうであったように、タキも妻帯者である外国人の客に本気で恋をした。
客を好きになったのは初めてだった。
ケビンは真面目な男で財力があったため、タキを早々に水揚げした。
ケビンに買ってもらった小さな家に暮らしながら、タキはケビンが仕事で横浜を訪れるのを待つ日々を送るようになる。
「うまくやったねえ、タキちゃん。こんな家まで買ってもらって」
タキが出した茶で買ってきた饅頭を流し込みながらカネが言う。
同じ妓楼で働いていたカネは、タキと同じように外国人の客に借金を払ってもらい店を出たが、カネを水揚げした客はしばらくしてカネを離れ、他の遊女に夢中になった。
港崎遊郭の最大の妓楼、岩亀楼の花魁に惚れたのだ。
「馬鹿だねえ。ケツの毛までむしり取られるよ。あんな花魁に本気になって」
男に去られたばかりの頃、カネはそんなことを言って男をなじっていが、すぐにそれもしなくなった。
そして、本牧にある外国人遊歩道に立って客をひくようになった。
カネのような女たちは、曖昧屋、もぐり屋などと呼ばれた。
とびきりの美人ではなかったが、カネは賢く強い女だった。自分にないものを持つカネをタキは慕い、年嵩のカネはタキを妹のようにかわいがった。
「ケビンさんにはほんとに感謝してます」
そう言ってほほ笑むタキを見て、カネは苦笑いした。
「タキちゃんは、ほんとに心がキレイだね。そんな女に、あんな商売をさせるんだから、ほんとにひどい親だ」
「仕方ないですよ。貧しいのは誰のせいでもありゃしません」
「そうかもしれないけど、じゃあ、私たちは誰を恨んだらいいんだい?」
「それは・・・わかりませんけど・・・男の人、ですかねえ」
「男? だったらケビンも悪人かい?」
「いえ、あの人は私にとって神様みたいなものです」
「神様かい!」
カネが大声をあげて笑った。
タキはおかしなことを言ってしまったと思い、耳まで真っ赤になる。
「ごめん、ごめん。確かにあの人はあんたにとっちゃ神様だ。私もそんな男に出会いたいよ、まったく」
カネはそう言って、湯飲みに残っていた茶を一気にぐいと飲み干した。
タキはカネにもケビンのような客が現れたらいいのにと思いながら、急須に湯をとるために立ち上がった。