【連載小説】Words #13
この物語はフィクションです。
作中の人物・団体・学校・事件、及び各種名称、方言などあらゆるものは、創作であり、実在のものとは一切関係がありません。
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僕は、その教室の季節を、書かなかった。
わざと。意図的に。季節が一巡りしたら、それが、終わってしまうから。
ずっと、そこにいたひとのことを、そこにしかいなかった少女のことを、書き続けたかったから。
でも、僕の記憶のストックも、もうそろそろ尽きようとしている。秋が来て、冬が来る。終わりの春が、すぐにでも。
でも、そうじゃないのかもしれない。本当は、季節なんて、どうでも良かっただけなのかもしれない。そんな余計なものを僕は見詰めてはいなかっただけなのかも知れない。
中学最終学年の僕にとって、進学の問題は、日を追うごとに、シリアスなものになっていった。
いや、受験そのものも重大事ではあったけれど、当人である僕なんかより、ずっと母の方が深刻にそのことを捉えていたのが、問題だった。
それまで許されていた少ない自由のひとつである、読書ですら、禁止された。おちおち勉強するフリをして「作詞」することもできないほど僕に向けられる束縛と、監視の視線。
僕は学校でも塾でも、勉強自体をそれほど好んではいなかったけれど、そういった場所にいれば、とりあえず母の監視は逃れられる。消極的選択としての、通学、塾通い。
そして、そこにいる女の子たち。
僕は、それを救いに、なんとか呼吸する。遠泳の、息継ぎのように。
そういうわけで、僕は、真沢への手紙すら書けなくなった。視線も合わせない僕たちに、手紙の遣り取りすらなくなれば、それはほぼただの絶交と同じ事だった。
そして、本当の自分のカノジョとは没交渉なくせに、僕はかほ里と過ごす放課後だけは守り通した。無自覚に、自分にとって何が一番大事かを、表明していた。
もし、真沢が、本当に僕を好きだったとして、そんな彼女が注意深く観察したなら、僕が手紙に書いてきたことの欺瞞など容易く暴くことができたろう。
だから、こんな手紙が、僕の机に入っていても、僕は、ああ、としか思わなかった。
ああ、としか感じなかった。
『終わりにしよう。
受験で忙しいし。
もっと、楽しいものだと思ってたけど、
難しいね。
普通の、クラスメートに戻ろう。
いろいろありがとう。
さよなら』
失うとなれば、物事は突然価値を増し、手放すのが惜しくなるというが、僕は本当にそれを惜しいとは思わなかった。
惜しいと思うほどの手間を、その関係に僕は注いでこなかった。ご覧の通り。
むしろ僕は歓喜したのだ! 陶酔した。
かほ里の聴かせるオンガクと同じように、付き合っていた恋人との別れを、美しくうたうチャンスを得たのだから。
僕は、そのことが嬉しくて、そして、クリエイティブな自分を見せつけたくて、かほ里のいる放課後の教室で、「歌詞」を書いた。
かほ里は、これを読んで、背中をわざとくねらせて、呆れたような顔をした。
「なん、別れたん?」
「……うん」
「泣いたん? あいつ」
「……いや」
「まーた、つくりもんか」
「……うん」
「クサイ」
「……うん」
そう言いながら、またかほ里はその紙片を、鞄にしまいこんだ。僕は物足りなくて、訊いてしまう。
「ど、どう?」
「……どうって」
「いや、結構いいんじゃないかって……」
ハ、とかほ里は笑う。そして、何も言わずに、またイヤフォンを僕の耳にかける。
うん、わかる。それが、どういう意味かなんて。
そして、そのことが、今の僕の自分の「創作」への態度を決めたんだと思う。
どんなに「創作」が気持ち良くて、酔っ払おうとも、それが出来不出来とは別のものである、という、感覚。
どんなに自作が可愛くても、それを無条件に押し出せない冷淡さ。
常に偉大な先人との距離を測る癖。
その一方で、かほ里は、僕の「作品」を本当には拒絶しなかった。僕が差し出せば、彼女はそれを受け取り、目を通し、鞄にしまいこむ。
褒めてはくれない。でも、受け入れられている。
だから、僕は、自信がなかろうが、プロと比べて劣っていようが、自分の作品を誰かに見せることに、臆さないようになったのかもしれない。
僕の「創作」の最初にかほ里がいた。それが、幸運だったのかどうかはわからないけれど。
あの一件以来、塾での僕は、品川との距離を少し縮めていた。
あばたもえくぼ、ではないけれど、親しくなってしまえば、彼女の批判的で皮肉っぽい口調も、率直で、わかりやすい、さっぱりとした美点であるような気がした。
授業前や、後、僕たちは軽口をたたき合った。
「え? 別れたの?」
「ふられたの」
「うあ、やっぱり」
「やっぱり、ってなんだよ」
「良いとこないじゃん、あんた」
「あるっつの」
「どこが?」
「……そのイロイロ」
「具体的に言いなさいよ、ほら」
「だから……イロイロ」
「ちょっとお……」
「何?」
「彼女がいなくなったからって、わたしに惚れないでね。キモいから」
「おまえだけはぜってーない。カレシ持ちなんて」
「またまた、そんなこと言っちゃって! っていうか、とりあえず金返せ」
「すみません、もうちょっと待って下さい」
「十日で一割だからね」
「何が」
「利子」
「あ?」
「当たり前でしょ、誰が無利子でお金貸すのよ」
「ちょっと……出世払いで」
「しないしない、有り得ない」
「軽くひとの将来を否定しないでくれる?」
「だから、早く返せ」
「……はい」
なんだろう、と思った。カノジョとすらできなかった丁々発止のやりとりを、品川とならできる。内容はないのに、話が、ほっといたら、いつまでも続く。
楽しい。
それを恋かと問われたなら、少し自信がない。真沢に感じた緊張感も、かほ里に感じる生々しいなまめかしさも、品川にはない。
何よりカレシ持ちだ。僕に他の男のものを奪い取れる素養も、容貌も、自信も無い。
でも、僕は思う。これ、カレシのいるオンナに惚れるというシチュエーションの歌詞にできるんじゃね? そう思いついてしまうと、その楽しいだけだったはずのコミュニケーションを、何か他の意味のあるものにしなければならないような気がする。
「作詞」のために。無自覚に。
塾で席替えがあった。僕は、品川のカレシ、経堂の隣になった。別に仲も悪く無い代わりに、特別親しいわけでもなかった。
「やあ、よろしく」
「うん、よろしく」
そんな挨拶を交わし合って、でも何を話していいのかわからなかった。僕は、普通に授業を受けた。
そして、その授業後、僕が帰ろうとすると、経堂が僕を呼び止めた。
「何?」
「いや、君、志望校、決まった? 東? 英鳴? まあ、東か」
「あ、うん。そうだといいけど……五教科は良いんだけど、それ以外で内申がちょっと足りないかもしれなくて。他になんかないかなとか色々考えてて……まだ、親にも相談してないし……」
ウチの場合、下手に自分の希望を知られてしまったら、母がそれを全力で潰しに掛かりかねない。僕は、自分がどうしたいかを極力言わないクセをいつのまにか身に付けていた。
どこか遠くへ、とは思う。
その願いを叶える条件となるとそう多くない。自分の学力と入試の難易度も含めて、慎重に、極秘裏に、えらばなければならない。
決めてはいないが、でも、それを口にしたら、どうなることか。何を選んでも、僕がワガママ勝手を言ってることにされる。
それを仮に潰されなかったとしても、僕のワガママを仕方無いからゆるしてやったのだという恩を売られる。
いずれにせよ、苦々しい。
とにかく、少なくとも、もう、例の高専と同じ轍は踏まない、そう決めていた。
経堂は、ニッコリと嬉しそうに笑った。
「僕はね、倫生(りんせい)だ」
「あ、そうなの? 君の成績なら、それこそ、東で大丈夫じゃない?」
「この街を出たくて。寮生活も、楽しそうだ」
「へえ」
倫生高等学校はその街から遠く離れた地方都市にある、私立の男子進学校のひとつだ。入試も難しいそこに入るというのは、その地方では、それなりのステータスである。
全国規模でみると、たいしたこともないのだけれど。
でも、割と破天荒で放任的な指導方針が有名で、コスプレなんてものが一般的になる前から、仮装した生徒で溢れる卒業式の映像がよくニュースになっていた。
経堂が立ち上がって、僕と向かい合う。
「あのさ」
「何?」
「もし、まだ志望校を決めてないんだったら、僕と一緒に倫生を目指さないか?」
「え?」
「知ってるかい? 倫生は、色んな行事があってね、文化祭なんかは本当に盛り上がるんだ。ミス倫生とか」
「ミス倫生? 男子校だろ?」
「だから、男子が女装して、誰が一番美しいか決めるんだよ、そして優勝者には、近所の女子校あたりにファンクラブなんかもできるらしいよ」
「へえ」
「それだけじゃないぞ、クラス対抗駅伝なんて行事もある」
「へえ」
「優勝チームは、みんなタダで焼肉を食えるらしい」
「はあ」
「もちろん、進学の実績だって、東やなんかと勝るとも劣らない。仮に落ちこぼれても、教師達が補習や個人指導で全力でバックアップするそうなんだ」
「はあ」
「で、寮生活」
「うん」
「僕の知り合いのオトナが、寮で暮らしたらしいんだけど」
「うん」
「一緒にメシを食い、同じ部屋で寝て、共に高みを目指して助け合いながら勉強する。そこで仲良くなったトモダチは、一生の親友だってさ」
親友か、と思った。
かほ里に言ったように、僕にトモダチは少ない。引越した先で出会う連中は、皆、その場限りの関係だった。そのことに、疲れる、と思うのはウソじゃない。
でも、じゃあ、本当に、トモダチなんか要らない、と平気でいれるかと言うと、そういうわけでもない。
なんだか、僕は、親友という言葉に、少し、心動かされた。
「うん」
「いいと思わないか?」
「……うん」
「だから、もし、良ければ、君も、倫生を目指さないか?」
「はあ……」
「っていうか、皆わざわざ離れた街に行きたくないから、近場の公立志望だろ? しかも倫生はちょっと入試問題が特殊だから、一緒に勉強できるやつがいなくてさ。だから」
「ああ、うん……」
「倫生は、悪くない」
「うん」
「良いよ」
「うん」
確かに、悪く無いような、気がした。
寮生活をすれば、とりあえず手っ取り早く窮屈なイエから逃れられるし。
……うん悪くない! 良い! それ良い! とあっさり決断した僕の顔を見て、経堂が手を差しのべた。僕はそれを握り返した。経堂は嬉しそうにニッコリ笑って頷くと、こう言った。
「ちょっとここらのフツーの連中と違うことをしようよ」
「うん!」
僕たちは、がっちりと握手した。じゃあ、今度の日曜日にでも、図書館で一緒に勉強を始めようよ、と経堂は言った。僕は、頷いた。
だけど、次の日曜、僕は図書館へは行けなかった。
休日の外出禁止令が発令されたから。
「トモダチと勉強なんて言って、本当に勉強するわけないじゃない!」
まあ、そう間違ってもない。確かに、結局いつのまにか対戦ゲームやったり漫画読んだりし始めるものだ。
そうは言っても、その時の僕は、自分のやる気を踏みにじられたような気がした。僕の希望を、注意深く、踏みにじって、母は僕の人生を、空っぽにし続けていた。
でも、その日は少し違っていた。経堂が、僕の家を訪ねてきた。
え? と思った。でも、礼儀正しく挨拶した彼は、お土産の和菓子を差し出し、今日はこちらで勉強させていただきます、よろしくお願いします、と深々と頭を下げた。
母は横暴にコドモの人生を支配するくせに、他人様には、弱腰のところがあった。
見栄っ張りなのだ、ひと言で言えば。
きっと、自分の監視下にあれば、本当に勉強するとも思ったのかもしれない。少なくとも、僕の部屋にゲーム機もテレビも漫画も無かった。
だから、僕たちは本当に勉強だけをした。彼は僕に倫生の過去問題集を、一通りやってみるといい、と差し出した。ひとことで言うと、それは普段の勉強など全く役に立たないくらいの難易度だった。
「だから、特殊なんだ。もしかしたら、高校生の参考書で勉強するのがいいのかもしれない」と経堂は言った。
僕は頭を掻きむしることになった。
そして、夕方になり、母の勧める夕食を、やんわりと辞退して、経堂は立ち上がった。僕は彼を、近くまで送った。
「今日は、ありがとう」
「いや、僕の方こそ」
「いやいや、ホントにありがとう……あのさ」
「何?」
「経堂って、品川と付き合ってんだろ?」
「あ?……ああ」
「?」
「一応、な」
「……倫生なんか行ったら、会えなくなるんじゃないの?」
「ま、そうだけど」
「そうだけど?」
「なあ」
「なに?」
「僕は、一生をオンナというものに捧げるつもりはない」
「……どういう、意味?」
「女の子は可愛いよ」
「うん」
「魅力的だね、確かに」
「うん」
「惹かれるし、好きにもなる」
「……」
「でも、それだけだ」
「……」
「ねえ、僕は、自分の母親を見て思うんだ」
「何を?」
「このひとも、女の子だったことがあるんだって」
「……」
「可愛くて、可憐で、少なくとも自分の父親というひとりの男を魅了したことが」
「……」
「でも、今はどうだ? 父親を粗大ゴミ扱いし、息子や娘を金切り声で叱り飛ばし、他人様には、厚化粧で愛想笑いしながら、陰で悪口を言うただのオバサン」
「……ああ」
「わかるだろ?」
「……まあ」
「品川も、今は、カワイイよ。少なからずそう思う。だから、付き合ってる」
「……」
「でも、いずれ、そうなる。必ず、そうなる存在だ。彼女も、オンナだから」
「……」
「僕は、青春の一瞬の喜びのために、その後の人生を墓場まで苦悩を抱えて生きたいと思わない」
「……」
「男が、本当に、人生を賭けるべきは、仕事だよ。専門的な知識と経験と技術、その対価であり、証拠たる地位と報酬だ。それだけが、今、この社会で、本当に価値のあることだと、僕は思う。決して、オンナではない」
経堂は、真剣に僕を見詰めた。僕は、その鋭い視線に戸惑った。
「なんか、経堂は、オトナっぽい事言うね」
「そうか?」
「僕は……そんな風に考えたことがなかった」
経堂は愉快そうに眉を上げた。
「僕だって、誰かにこんなことを口にするのは、初めてだ」
「……そう」
経堂は、押していた自転車と共に立ち止まり、少し、俯いた。
「僕は、医者になる」
「……うん」
「その道に、オンナを介入させたりはしない」
「……」
その言葉は、直ちに自分の容れ物の中に収まりそうになかった。でも、彼の「信念」に異議を申し立てられるほどの中身もその容れ物の中には無かった。だから僕は情けなく微笑むしかなかった。
そんな僕に、経堂が改めて向き直った。
「でもね」
「うん」
「トモダチは、違う」
「……うん」
「同じく高みを目指す仲間は、僕は是非とも欲しいと思ってる」
経堂は、そっと、僕の肩に手を置き、そして、強く掴んで、少し揺らした。
「……」
「……」
そして、完爾と笑うと、後は何も言わず、経堂は自転車に跨がり、軽く手を上げて、もう殆ど夜になった道を、走り出していった。
僕は、家に帰った。母親が「良い子ね。躾けのできてる子だわ。そうよ、あんたもよそで夕食を勧められたら、ちゃんと辞退して帰って来るのよ。そうしないとワタシが『躾けもできない親だ』って言われるんだから」と言うのを鬱陶しく思いながら、夕飯を食べた。
大体、よそで夕食を勧められる以前に、外出そのものを禁止してるくせに。
その夜、経堂の置いて行った倫生の過去問題を広げた。一日苦闘したからと言って、その難易度が下がったわけではなかった。
でも、もう、意気込みが違った。僕はそれを解けるようになろう、と決意していた。
そして、何度も誤答を重ねながら、僕は、経堂が掴んで揺らしたものが、肩だけではなかったのを、感じていた。
<#13終わり、#14に続く>
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