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【連載小説】Words #08

 この物語はフィクションです。
 作中の人物・団体・学校・事件、及び各種名称、方言などあらゆるものは、創作であり、実在のものとは一切関係がありません。  

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 そして、僕はついにその日を迎えた。
 手紙を密かに渡しあいながら、僕と真沢は休日にシネコンにいた。何を見るかはまだ決めていなかった。そのとき話し合って決めよう、と真沢の手紙にあり、僕もそれに同意した。
 それで、僕たちは最寄り駅で待ち合わせをしたわけだけれど、僕たちはそこにつくまでにロクな会話をしていなかった。教室で、無視し合うことになれすぎていて、いきなり親しげになるのが難しかった。真沢もそうらしかった。僕たちはただきまずく俯いて歩いた。
 さて、何がいいかな、と思った。ドラマや漫画だと、女の子が本当に見たい映画と自分の見たい映画が違っていて、どちらかが我慢するようなエピソードが生まれるはずだったのに、僕には特に見たい映画は無かった。
「どれにする?」
「どれでもいいよ」
「……僕も」
 ははは、と虚しく笑いあうときも、視線が合わない。
 一体どうしたというのか? 僕は前日シミュレーションしたのだ。何度も脳内で。
 こう、軽いジョークを交わし合いながら、楽しく一日を過ごし、最後にキスのひとつでもして、なんならその先も……というような妄想を。
 でも、何ひとつシナリオ通りにいかない。結局そこには、気まずい沈黙。
 真沢が「女勇者」じゃなかったら、きっと僕たちは帰るまでロビーで立ちすくんでいたのかもしれない。
「じゃあ、わたし、これが見たい!」
 真沢は、アクションSFの話題作のポスターを指さした。僕に、それを云々する自己主張は無かった。だから、あ、いいよ、それで、といかにも気のない返事をした。
 かっこつけた。クールに振る舞おうとしたのだ。でも、それは真沢には不服そうにしか見えなかったらしい。少し、意気を削がれた真沢が、また、俯いた。
「いやなら……いいけど」
「あ、いやじゃないけど……」
「見たかった……の」
「うん」
「うん」
 そして、どうしていいのかわからない、再度の沈黙。
 気まずい。
 そして、僕はつい比較する。かほ里となら、沈黙ですら、心地良いのに。むしろ、話さないことが、嬉しいのに。
 そんなことを思って俯いていると、突然袖を引かれた。
「え?」
「あいつら!」
「え?」
 真沢は、少し、気まずそうに顔をゆがめていた。僕はひっぱられるまま壁に身体を向けて、少しのぞき見るように振り返った。そこに、例の実行犯――クラスの上位グループのうちの二人が、パンフを抱えてチケットを買おうとしていた。
「どうする?」
「見たい、けど」
「同じの、見るみたいだよ?」
「……」
「……」
 本当に困ったように、真沢は、楽しみにしてたのに、と呟いた。
 で、僕の頭が悪いのを改めて発表しなければならないのは心苦しい。僕は思いついた。
「じゃあさ」
「うん」
「離れた席に、座ればいいじゃん」
「え?」
「別々にきて、たまたま同じ映画を見たってことにすれば」
「いや、でも……」
「うん、それがいいよ」
 そして、僕は勝手にひとりで彼女たちが去ったチケット売り場へと向かった。そして僕はチケットを独断で買い、そして、真沢に軽く手を上げて、上映室へと歩き出した。
 本当に、頭が悪い。
 そのことに気付くのに、遠くの席に座った真沢の後頭部を見詰めつつ、映画が半分過ぎた頃まで掛かった。
 あ、違う映画にすれば良かった? いや、来週辺りの違う日に改めてくれば良かった? いや、時間を一本ずらせば良かった! それだけで良かった!
 なんだこれ?
 映画に一緒に来て別々に見るなんて。デートですらない!
 僕はだから、自分の馬鹿さ加減に落胆して、映画のストーリーの殆どを頭に入れることができなかった。エンドロールで、実行犯たちが立ち上がって帰るのを確認し、ライトが灯るの待って、僕は真沢の席に近寄った。真沢は笑った。
「はは……」
「はは……」
 僕も笑うしかなかった。
 しかし! しかしだ! 映画なんて、ただの飾りです。エライひとにはそれがわからんのです! これが、デートなら、この後こそが本番だ、と僕は意気込み直していた。だから、言った。
「じゃ、じゃあ、これから、どっか――」
「ごめん」
「え?」
 真沢は笑顔だった。だから僕も気付かなかった。
「ごめん。ちょっと、今日は、帰る」
「え? あ、あの……」
「ごめんね」
 真沢は立ち上がり、そして、僕を残して、その上映ルームを出て行った。
 そして、その時、後を追ったらいいとアドバイスしてくれる不良っぽい女の子はいなかった。
 だから、僕は、その場に立ちすくんで、もうひとドラマを展開することができなかった。僕は、ああ、嫌われた、と落胆しながら家に帰ることになった。


 そして、望んでもいない山場なら、簡単にやってくる。僕が家に帰ると、母が怒りと苛立ちにこめかみをひくつかせていた。
 母は食卓に、かほ里からもらったCDを並べて、僕を睨み付けた。
「どうしたの、これ?」
「……いや、もらった」
「もらったって、誰から」
「と、トモダチ」
「こんな高いものを? 何枚も?」
「いや、本当にもらった……っていうか、なんで、机にしまってあったものがここにあんの?」
「そんな話はどうでもいいでしょっ!?」
 がつんと食卓に手を付いて立ち上がった母が、ヒステリックに叫ぶ。
「誰から? 名前を言いなさい!」
「いや、だから、なんで、僕の部屋を勝手に――」
「ごまかすんじゃありません!」
「ごまかすとか、そういうことじゃなくて!」
「都合が悪いから、そうやって、ごまかすのね?」
「いや、ごまかしてるの、そっちでしょうよ!」
「親が、コドモの部屋に入って何が悪いの! ここはワタシの家よ! あんたなんか一銭の家賃も入れてないでしょう?」
「いや、だから!」
「あんた、本当は万引きしたんでしょ?」
「いや、そんな――」
「どこから盗んできたの?」
「だから、言ってるじゃん、もらったって!」
「だから、どこの他人が、こんなに高いもの、何枚もくれるっていうのよ!」
「くれたんだから、仕方無いだろ!」
「あああああ」
「いや、だから……」
「こんな子には育てなかった! ひとさまのものを盗むような子には!」
「だから……もらったって……」
「今日も! 今日も、どこで、何を盗んできたの?」
「いや、だから、そんなことは……」
 母は、たじろぐ僕を捕まえて、ポケットというポケットに手を突っ込んだ。そして、その紙切れを見つけて、鬼の首でも取ったような顔で僕を見詰める。
「何? これ?」
「……」
「映画? 映画の半券ね?」
「……」
「そんなお金どこにあったの?」
「いや、だから」
「どこでお金盗んだの?」
「……盗んでなんか……」
「財布! 財布から?」
 母が慌てて自分の財布を探し、それを開く。ひいふうみい、と札を数え、その数が合っていることに、むしろ悔しそうに舌打ちをする。
「どこで、盗んだきたのっ!?」
「だから、それは……」
「目を逸らした! 疚しいことがなければ、真っ直ぐこっちを見なさい! お母さんは、アンタの言うことが本当かどうかなんて、一目でわかるんだから!」
 話が、通じない。何か強い確信が、母にはある。
 僕の言葉の真偽なんて、どうでもいいのだ。母には。
 そんなものより、自分の確信の方が大事なのだ。
 僕の、気持ちなんかより。
 こういうことに、それまでの人生で慣れてきたつもりでいた。でも、やはりそういうことが起こると、僕は、怒りより先に、無力感に支配される。
 どんなに言葉を重ねても、僕の言葉は母に届かないし、どうせ最後は「そんなに不服なら、家を出て行きなさい」とヒステリックに言い放たれるだけなのだ。
 僕は、だから、言える範囲の「真実」を言った。
「……映画、見たかったから、塾へのバス代節約して、歩いた。貯まったから、見に行った」
「ほら、盗んだんじゃない!」
「は?」
「塾に行くためにワタシが出したお金を、ズルをして、別のことに使ったんでしょう?」
「いや、それは、盗んだってわけじゃ……」
「いいえ、それは盗んだの! それと同じ事!」
「いや、だから――」
「わかった! もう一銭も、バス代は出しません!」
「え?」
「歩いて行けるんでしょう? だったらバス代なんかいらないじゃないの!」
「いや、ちょっと待って――」
「CDもそうやって買ったのね!」
「いや、だから、それは、本当に、もら――」
「だから、プレイヤーなんて買いたくなかったの。お父さんはあんたに甘いから、言われるままに買い与えたけど!」
「聞いてよ――」
「ベンキョウ以外のことは許しません! このCDはわたしがあずかります」
「だか――」
「不服なら、自分で稼いで、家を出て行きなさい」
 ああ、やっぱり、その言葉が出る。そして、それが、この会話は終わりである、という宣言だった。
 その後に何を訴えようが、母の耳は何も聞かない。僕はただ脱力して、部屋に戻った。
 かつてあれだけピアノを押しつけたひとが、僕からオンガクを取り上げる。
 なんの躊躇もなく。
 自分の矛盾に気付くこともなく。
 僕が、先進国の平均的な収入の家庭に育った故の、贅沢を語っているのは知ってる。もっと恵まれないひとがこの国にだっている。
 でも、僕がその全てを奪うひとへの不平をここに書くことは、罪だろうか?
 大事なものを全て奪われ、要らないものをおしつけられて潰されてきたことは、本当に、贅沢な悩みだったんだろうか?
 僕は、ろくに聞きもしてなかったCDを、いまさらのように、大切なものだったような気がし始めて、ベッドの上で、身体を捩り続けた。
 拳を振り回した。握りしめた虚ろな拳に、何も触れなかった。
 だから僕は思いきり掌に長いままの爪を突き刺した。強く、強く、何度も。
 いつかそこには、血が滲んだ。でも、痛みなんか無かった。そんなものを感じなかった。
 あのCD。それは、たぶん、かほ里の、気持ちだった。
 どんな気持ちかはわからなかったけれど、僕に――僕だけに向けられた、誰かの気持ちだった。
 僕は、また、自分に、中身を詰め損なった。

<#08終わり、#09に続く


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